蹴上インクライン周辺散策2.島田道生氏の大きな実測図
今日は10月4日。
2日の投稿のつづき。
琵琶湖疏水記念館のパンフレットです。
ここでも見られます。
琵琶湖疏水記念館に入って、ここはいいなとすぐに思いました。
面白い資料がたくさんあります。
撮影禁止のマークはないな~と思い、それでも許可をもらっておこうと思いました。
写真を撮りたいと職員の方にお願いしました。
久々、「教師」の肩書を使いました。
すぐにOKでした。
(この教師の肩書を使って、社会見学をするのもあと7年ほどか~)
しかし、すぐにこの表示を発見。
そうか、職員の方は、撮影禁止なのに教師だからということで、OKを出してくれたんだ。
私は念のためのようなイメージで尋ねていました。
すごく申し訳ない気持ちになりました。
機会があれば、もちろん授業で使いますが、
確実に使うかというと、定かではありません。
それなのに撮影するのはいいのか?・・・などと考えてしまいました。
それに「常設展示図録」というのが販売されていることがわかり、
あれもこれも撮影するのは止めました。500円でした。
館内の写真を1枚だけここに載せます。
「琵琶湖疏水工事図絵」↑
9月に見に行ってきた第一竪坑(シャフト)の工事の絵です。
昨年の「歴史秘話ヒストリア」でも同じような絵を見ました。
巻き立て工事と説明してありましたが、巻き立て?
調べました。weblio辞書利用。
「巻き立て」とは、「原木や玉切りした丸太を土場(どば)や貯木場に積み上げること。」
「玉切り」とは?
「立木の伐倒後,枝払いをし,木の特徴に合わせ規定の寸法に切断して素材丸太にすること。
切断された丸太を玉という。」
しかし、シャフト工事の場合はレンガですね。
絵には、地下にレンガが積み上げられているのが見られました。
疏水工事では、田邊朔郎氏(1861~1944)が中心人物として勉強してきましたが、
当然ながら、他にもかかわった人たちがいます。
その人たちの紹介も、館内でしてありました。
島田道生(どうせい)氏(1849~1925)の描いた
「従滋賀県近江国琵琶湖至京都通水路目論見実測図」という大きな測量図には、
圧倒されました。
説明にはこう書いてありました。
明治15年4月から同16年2月にかけて、
島田道生は大津から京都まで地形を測量調査し、この実測図を作成しました。
所々に朱で記されている数字は、琵琶湖の水位と比べた高さを示しています。
彼が計算した三角測量の積算値は、実測値とほぼ一致していました。
北垣知事は島田と共にこの図面を持って東京に出かけ、
農商務省と琵琶湖疏水建設のための協議を行いました。
この実測図ができたおかげで、琵琶湖疏水工事が本格的に始まったと言えます。
そのころ田邊朔郎氏は、明治16年に大学を卒業して、
明治19年に疏水事務所工事部長に就任しています。
明治19年に、島田道生氏も疏水事務所測量部長に就任。
2人は協力して疏水工事にあたるようになります。
田邊朔郎氏一人に目が行っていたものが広がったのは、収穫でした。(つづく)
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