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2014年10月 4日 (土)

蹴上インクライン周辺散策2.島田道生氏の大きな実測図

  

今日は10月4日。

  

2日の投稿のつづき。

  

20090101_0000006 毎回、この地図は掲載します。

琵琶湖疏水記念館のパンフレットです。

ここでも見られます。

琵琶湖疏水記念館リーフレット(日本語版)

  

  

琵琶湖疏水記念館に入って、ここはいいなとすぐに思いました。

面白い資料がたくさんあります。

撮影禁止のマークはないな~と思い、それでも許可をもらっておこうと思いました。

写真を撮りたいと職員の方にお願いしました。

久々、「教師」の肩書を使いました。

すぐにOKでした。

(この教師の肩書を使って、社会見学をするのもあと7年ほどか~)

  

しかし、すぐにこの表示を発見。

Rimg5061

Rimg5061syasinnsatuei   

そうか、職員の方は、撮影禁止なのに教師だからということで、OKを出してくれたんだ。

私は念のためのようなイメージで尋ねていました。

すごく申し訳ない気持ちになりました。

機会があれば、もちろん授業で使いますが、

確実に使うかというと、定かではありません。

それなのに撮影するのはいいのか?・・・などと考えてしまいました。

  

それに「常設展示図録」というのが販売されていることがわかり、

あれもこれも撮影するのは止めました。500円でした。

Zuroku   

  

館内の写真を1枚だけここに載せます。

Rimg5063  

「琵琶湖疏水工事図絵」↑

  

9月に見に行ってきた第一竪坑(シャフト)の工事の絵です。

昨年の「歴史秘話ヒストリア」でも同じような絵を見ました。

巻き立て工事と説明してありましたが、巻き立て?

  

調べました。weblio辞書利用。

「巻き立て」とは、「原木や玉切りした丸太を土場(どば)や貯木場に積み上げること。」

「玉切り」とは?

「立木の伐倒後,枝払いをし,木の特徴に合わせ規定の寸法に切断して素材丸太にすること。

 切断された丸太を玉という。」

しかし、シャフト工事の場合はレンガですね。

絵には、地下にレンガが積み上げられているのが見られました。

  

疏水工事では、田邊朔郎氏(1861~1944)が中心人物として勉強してきましたが、

当然ながら、他にもかかわった人たちがいます。

その人たちの紹介も、館内でしてありました。

  

島田道生(どうせい)氏(1849~1925)の描いた

従滋賀県近江国琵琶湖至京都通水路目論見実測図」という大きな測量図には、

圧倒されました。

説明にはこう書いてありました。

  

明治15年4月から同16年2月にかけて、

島田道生は大津から京都まで地形を測量調査し、この実測図を作成しました。

所々に朱で記されている数字は、琵琶湖の水位と比べた高さを示しています。

彼が計算した三角測量の積算値は、実測値とほぼ一致していました。

北垣知事は島田と共にこの図面を持って東京に出かけ、

農商務省と琵琶湖疏水建設のための協議を行いました。

  

この実測図ができたおかげで、琵琶湖疏水工事が本格的に始まったと言えます。

そのころ田邊朔郎氏は、明治16年に大学を卒業して、

明治19年に疏水事務所工事部長に就任しています。

明治19年に、島田道生氏も疏水事務所測量部長に就任。

2人は協力して疏水工事にあたるようになります。

  

  

田邊朔郎氏一人に目が行っていたものが広がったのは、収穫でした。(つづく)

  

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