「ヒストリア 天文」より5・・・水沢の観測所と宮沢賢治
今日は1月27日。
番組「歴史秘話ヒストリア いつだって天文ゴールドイヤー
星々と日本人 はるかな物語」(昨年9月12日放映)からです。
1900年。地球の自転軸のズレを解明するために、
国際共同天体観測が行われることになりました。
北緯39度8分にある場所で一斉に天体観測することになりました。
この共同観測に日本も参加することになり、
水沢(岩手県奥州市水沢区)に観測所が作られました。
日本は天文学者木村栄(ひさし)さんを中心に観測を行い、
事業を成功させました。
この水沢にあった観測所を訪れた作家が、
宮沢賢治(1896~1933年)でした。
訪れたのは大正13年(1924年)のこと。
その1年4ヶ月前に最愛の妹を失っていた宮沢賢治。
悲しみを抱えながら、望遠鏡で暗闇に輝く星を観察したそうです。
その数ヵ月後に、賢治は「銀河鉄道の夜」を書き始めます。
つまり名作の誕生のきっかけになった観測所だったのです。
この偶然の重なりがいいなと思いました。
観測所について調べました。※参考:Wikipedia 水沢VLBI観測所
宮沢賢治に関する記述を引用します。
花巻農学校(現・岩手県立花巻農業高等学校)の教師をしていた宮沢賢治が、
たびたび水沢緯度観測所を訪れており、数々の名著の構想を育んたとされる。
童話『風野又三郎』(『風の又三郎』の先駆作品の一つ)には水沢緯度観測所の一文が書かれ、
『銀河鉄道の夜』の題材のヒントになったとされている
(『風野又三郎』では、水沢緯度観測所でテニスに興じる「木村博士」が登場する)。
旧緯度観測所の本館を保存した奥州宇宙遊学館では、
「宮沢賢治と緯度観測所」として、賢治とこの地方の関わりについてたどっている。
また、賢治をモチーフとした「又三郎」がマスコットキャラクターとして使用されている。
う~ん、今度は「風の又三郎」に興味を持ちました。
昔読んだような・・・・気のせいだったかな。
でも観測所のことは覚えがないので、また読んでみたい。
ちなみに下は奥州宇宙遊学館のマスコットキャラクター。
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