「ヒストリア 天文」より4・・・渋川春海
今日は1月27日。
「ヒストリア 天文」の続編。1月15日の投稿のつづき。
番組「歴史秘話ヒストリア いつだって天文ゴールドイヤー星々と日本人 はるかな物語」(昨年9月12日放映)からです。
映画「天地明察」のレンタルが始まるのが2月2日。
迫ってきました。
この「歴史秘話ヒストリア」でも渋川春海が扱われました。
江戸時代のはじめ、日本では10種類もの暦が使われていて、
日付がバラバラでした。
なぜそんなに暦があったかというと、
大元の暦が不正確だったためです。
日本では宣明(せんみょう)暦という中国の暦を使っていました。
この暦が日本に来たのは平安時代。
800年の月日がたつ間に、誤差が積み重なり、
不正確になったというわけです。
人々は宣明暦を信用せずに、それぞれ独自の暦を作っていたので、
混乱が生じていました。
1667年、幕府は暦の統一に乗り出します。
その任についたのが渋川春海でした。
渋川春海が見つけ出したのが、400年前に中国で作られた授時(じゅじ)暦でした。
授時暦は、宣命暦よりもすぐれていましたが、
それでも日食の予想が外れてしまいました。(延宝3年5月1日)
春海は日食なしと予想しましたが、日食が起こってしまいました。
春海はなぜ外れたのか長く検討して(8年)、
やはり授時暦も中国の暦であるため、日食であることを外したと結論を出しました。
日本独自の暦をつくることが必要と考えて、暦づくりに取り組みました。
1863年、春海は暦を完成させました。
この暦は、日本の統一された暦に採用され、初の国産暦となりました。
春海が作った暦には、今に残る言葉も書かれていました。
「八十八夜(はちじゅうはちや)」
「二百十日(にひゃくとうか)」
今回書いたようなことが、映画「天地明察」で描かれているわけで、
楽しみです。2月2日と言えば来週の今日。もうすぐだ。
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