「藤原氏の正体」3 日野氏も藤原氏の流れ
今日は4月21日。再スタートから8日目。
投稿のつづき。
「藤原氏の正体」(関裕二著/新潮文庫)より。
平安時代以後の藤原氏について・・・・
貴族社会が衰弱した中世、藤原氏の末裔は、新たな支配者に忍び寄っていく。
室町の足利将軍家には、藤原北家の末裔の日野氏が女人を送り込み、
姻戚関係を結んでいく。
第三代将軍足利義満以来九代将軍まで、室を入れ、
応仁の乱で名高い日野富子は第八代将軍足利義政の室であった。
江戸時代には、徳川将軍家とも姻戚を結んだ。
三代将軍家光の夫人は鷹司信房の娘、中の丸であり、
こののちも、将軍家と藤原氏の縁組みは続いた。
だからこそ、藤原氏の末裔は幕末にいたり、
幕府と反幕府勢力双方の橋渡し役を演じ、大きな発言力を持つにいたるのである。
また、彼らが築いた日本の官僚制度は、
江戸時代末期まで京都の朝廷に生き続け、
明治維新後の近代日本にも、大きな影を落としていく。
天皇を神といただき、「天皇のために」というスローガンによって近代日本は突き進んだ。
しかし、このような一神教的な天皇の持ち上げ方は、
本来の天皇の本質とかけ離れていて、またいっぽうで、
藤原氏が得意とする「天皇の利用法」であった。(308-309p)
明治以後、太平洋戦争までの天皇崇拝は、ちょっと異常だと思っていました。
でもその雰囲気は藤原氏系の人たちには好都合だったのでしょう。
昭和天皇の后までは藤原氏系の方だったそうです。
しかし、平成天皇の美智子妃は藤原氏に関係がない人。
このことは、慣例を破る思ったより大きな変化だったようです。
いやはや、藤原氏は興味深い。
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