「きもちのこえ」(大越桂著)・・・初めて字を書く時
今日は4月21日。再スタートから8日目。
前投稿のつづき。
「きもちのこえ」(大越桂著/毎日新聞社)より。
桂さんが、気管切開で声を失った後に、
初めて字を書く時のシーンは劇的です。
ここだけ、「詩」になっています。
(前略)
織姫先生(※養護学校の先生)はすごい贈り物をくれました。
少しだけ動く手で、字を書いてみたら、と言うのです。
(どっひゃー!!! なにーーー!!! やりたいやりたい!!!)
と私。
動きはもちろん、ど緊張。
母はほとんど半信半疑。こっくりさんでしょ、と疑っている。
試しに左手にペンを持たせてもらう。
ついつい緊張で、腕が後ろに引き込まれる。
先生が腕を押さえて曲げてくれながら、緊張の落ちる場所を探す。
いいところで紙を当てて、レッツゴー!
かつらの「か」だ。
動かそうとすると腕はこわばる。
行きたくないほうに行く。
わざわざ何で反対に行くのか、頭にくる。
腕の緊張は全身に広がって、汗だくだ。
ペンが紙に当たると、その刺激がよくわかった。
ここから書くぞと脳から命令する。
実は私は字をとっくに知っていた。
小学校のときに、近くで勉強している人の字を必死でぬすみ見していたのだ。
「か」の形だってイメージバッチリである。
それなのに、行きたいほうに腕が行かないのだ。
しかし!
織姫先生は一生懸命腕の緊張を戻しながら、
私が自分で動かした一瞬をわかってくれたのです。
「か」のカーブをカーブを感じ取ってくれたのです。
はっきり言って、緊張の中の動きを感じ取るのは難しいことだと思います。
ですから、私が意志で動かしている動きがある、
そのことを知ってもらえたことが感動そのものでした。
きっとこれで、通じる人になれる。
その予感と、喜びと、疲れでドンと覆われました。
もちろん吐いてしまいました。
かつら、と書くのに10分もかかりました。
でも、私が書く、というチャンスをはじめて与えてもらったのです。
書かされているのではないのです。
私の手の動きを、辛抱強く待ってくれているのです。
しかも、無駄なまひを遠ざけて、
その中に現れる一瞬の動きに神経を払ってもらえるのです。
このチャンスに応えなくてどうするんだ!
全力で書きました。
(中略)
これで通じる人になれる。
これで石でなくなる。
これで物でなくなる。
これで本当に人間になれる。 (172~175p)
表現したい!という気持ちが爆発した感じ。
よかったぞう。
桂さんならではの体験とその時の細かい気持ちまでが伝わってくる文章です。
他の本も読んでみたくなります。
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