信玄砲/野田城址
今日は10月15日。
子どもたちが毎日出してくる自主勉強で、
私が勉強になることがあります。
信玄砲(しんげんほう)について調べてきた子がいました。
新城市の設楽原歴史資料館に行ってきて、
そこに信玄砲があったそうです。
元亀元年(1573年)、野田城で信玄を狙撃したとされる銃です。
「夜になると野田城から聞こえる名人村松芳休の奏でる笛の音に誘われ、武田信玄が撃たれた」
自主勉強のノートにはこう書かれていました。
本当でしょうか?
武田信玄は、1572年に将軍足利義昭からの信長討伐の命を受けて甲府を出発。
徳川家康を三方ケ原の戦いで破り、翌年1573年に三河に侵攻。
今の新城市にある野田城の戦い後、信玄は体調を崩して、甲府に引き返し始める。
その途中、信玄は亡くなる。
このような歴史から、信玄が野田城付近で撃たれ、
その傷が原因で亡くなったという説があります。
そして、その信玄を撃ったのが、信玄砲というわけです。
野田城址。
その傍らにある国道を何度も走っているのに、
今まで一度も訪れていない史跡です。
遠くに住む信玄ファンから怒られそうです。
我が家から40分ほどで自動車で行けます。
なぜか行きそびれている史跡です。
次のブログを見たら行きたくなりました。
※「愛知戦国史跡ナビゲーター みかわのひで/信玄が鉄砲で撃たれた場所はココだ!」html
信玄が撃たれたと言われているのは、
正確には野田城近くの、今は法性寺の境内。
「伝説 信玄が撃たれた場所」という看板があり。
見てみたいです。
実際に行ったら、このブログで報告します。
野田城の位置を地図で示します。
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