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2010年8月

2010年8月18日 (水)

う~ん、もう一つ雑学・・・コンマの打つ位置

   

今日は8月18日。

もう一つ、「今さら他人には聞けない疑問650」(知恵の森文庫)より。

かねてから疑問に思っていたことが、解決しました。

    

◇数字に三ケタごとにコンマを打つ理由は?

◆たとえば「三億六千四百三十九万八千七百六十一」を算用数字で表記するときは、

 「364,398,761」のように、

 三ケタごとにコンマを打つのが慣例になっている。

 しかし、ふだんから大きな数字に慣れていない人にとっては、

 三ケタごとにコンマが打ってあっても、

 その数字が読みやすくなるわけではない。

 コンマを無視して、

 「一、十、百、千、万・・・」と数えている人も多い。

 では、なぜ三ケタごとにコンマを打つのかといえば、

 ラテン語を語源とする英語やフランス語では、

 ミリオン(100万)、ビリオン(10億)のように、

 三ケタごとに単位が変わるから。

 つまり、それがグローバル・スタンダードで、

 日本もそれにならっているわけである。

 しかし、万、億、兆のように、四ケタごとに単位が変わる日本では、

 あくまで国内ルールとして「3,6439,8761」のように

 区切ったほうがわかりやすいのでは?(128p)

〇大賛成!かねがねおかしいと思っていたことなので、すっきり。

 ちなみに英語の千進法(3桁ごとに位があがる)を書きならべてみます。

    

 one   (ワン)              1   (一)

 thousand (サウザンド)         1,000    (千)

 million  (ミリオン)        1,000,000    (百万)

 billion   (ビリオン)         1,000,000,000    (十億)

 trillion   (トリリオン)   1,000,000,000,000    (一兆)

    

こりゃあ~、日本の算用数字とは違う。

     

※次のサイトが勉強になりました。

「数字の表記を考える」http://www5d.biglobe.ne.jp/~Jusl/Bunsyo/Suujihyouki.html#02


 

雑学2連発・・・ローソンとキヤノン

   

今日は8月18日。

前投稿のつづきで、「今さら他人には聞けない疑問650」(知恵の森文庫)より。

    

◇「ローソン」ってどういう意味?

◆(前略)コンビニエンス・ストアーのローソンは、

 もともとはアメリカ・オハイオ州にある牛乳店の流れをくんでいる。

 その牛乳屋さんがミスター・ローソンといったのである。

 ミスター・ローソンの牛乳は、新鮮でおいしいと評判で、

 やがてローソンミルク会社というコンビニチェーンに発展し、成功をおさめた。

 その会社の商標が、あのミルクポットだったのである。

 その後、ローソンミルク会社は日本のダイエーと提携、

 日本にもローソンチェーンが展開されることになった。

 日本でも、ローソンの原点といえるミルクポットの看板が掲げられているのはそのためだ。(119p)

〇おなじみローソンも、こうして名前がついたのですね。

 ミルクポットの看板を今度じっくり見てみよう。

    

    

◇「キャノン」ってどういう意味?

◆カメラの世界的メーカー「キャノン」は、

 「観音」をもじったネーミングだ。

 昭和12年、東京目黒に精機光学工業を創業した御手洗毅(みたらいたけし)は、

 その前年、手作りのカメラを完成させていた。

 御手洗は観音を信仰していたことから、

 ファインダーの上に千手観音の像をきざみ、

 カメラのボディに「KWANON」とかいて

 「カンノンカメラ」と読ませていた。

 結局、この手作りカメラは市販されなかったが、

 それ以降、御手洗は研究に没頭する。

 そのときから、新しいカメラには、観音の語感に似せて、

 「キヤノン(Canon)」と名づけようと決めていたという。

 「Canon」には英語で基準、戒律という意味があることも、

 ネーミングの参考にされたという。

 ちなみに、発音は「キャノン」だけれども、

 書くときは「キヤノン」が正しい。

 これは視覚的にそうしたほうが美しいということから。(122p)

〇「キャノン」じゃなくて「キヤノン」の語源が「観音」だなんて、誰も想像できないよ。

 キヤノンのHPをのぞいたら、ちゃんと「キヤノン」でした。

 HPの歴史のページには、観音様にあやかって名づけたことが書いてありました。

 http://web.canon.jp/about/history/outline.html  

     

     

おなじみになっている企業名の語源。これまた面白い。

雑学4連発・・・駅員の声、ゴジラの対戦成績他

   

今日は8月18日。

休み中に次の本を読みました。

   

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(エンサイクロネット編/知恵の森文庫)

    

     

面白い雑学がたくさん載っていて、

ページが残りすくなるのが残念な気持ちで読みました。

いくつか紹介します。

    

◇なぜ、ボーナスは6月と12月に支給されるか?

◆(前略)ボーナスを日本で初めて社員に支給したのは、

 三菱商事の前身、三菱商会。

 明治9年(1876年)のことで、当時は、

 アメリカ式に会社の決算期に合わせて支給していた。

 それが6月と12月の年2回支給されるようになったのは、

 大正時代の終わり頃の話。

 盆と暮れは、何かと出費が多いだろうというわけである。(後略)(22p)

〇さすが日本。盆と暮れの出費は確かに多い。

 今回の給料日(16日)も待ち遠しかったです。


  

◇甲子園の土を最初に持ち帰ったのは誰?

◆高校野球大会では、負けたチームの選手たちが、

 甲子園の土を持ち帰る。

 最初に持ち帰ったのは、昭和24年に出場した選手の一人である。

 その年、準々決勝で破れた小倉北高校のエース福島投手が

 ホームベース付近の土をそっとすくい、

 ズボンのポケットに押し込んだ。

 その行為をみた球児たちがマネるようになったのである。(後略)(40p)

〇これには異説あり。あの「幻の甲子園」に出場した選手で持ち帰った人がいます。

 詳しくは後の投稿で。

    

    

◇ゴジラの対戦成績は何勝何敗?

◆(前略)ゴジラが登場するのは、過去26作品。

 そして対戦成績は、24戦18勝3敗3分けとなっている。

 (中略)ゴジラは、モスラに弱く、過去の3敗は、

 すべてモスラがらみとなっている。(後略)(77p)

〇おそらく全てのゴジラ映画は見ていると思います。

 息子が小さい時に借りてきては見ていました。

 最初は息子も喜んで見ていましたが、最後は私が見たくて借りてきたところあり。 

 懐かしい。

 ゴジラが最初に負けを喫した「モスラ対ゴジラ」(1964年)の宣伝映像。


 


 

      

もうひとつ!    

◇鉄道のアナウンスが鼻にかかったような声を出すのは?

◆(前略)電車の車内にマイクが設置されはじめたのは、昭和6年頃のこと。

 それ以前は、車掌が車両を渡り歩いて「次はどこそこ~」と肉声で乗客に伝えていた。

 その声を、観客の話し声など他の声と区別できるように、

 乗客の耳に届きやすいアナウンスを工夫しているうちに、

 あの節回しが完成したという。

 現在でも、鉄道会社にそのマニュアルがあるわけではなく、

 駅員たちの間で受け継がれていきた「技術」だそうだ。(94p)

〇なるほど!あの声は伝統なんだ。確かに他の声と区別され、耳に届く声です。

    

ボーナスの時期や駅員の声のように、

雑学を勉強すると、

人間の知恵に触れることができます。

ちゃんとわけがあるんだ、ちゃんと考えられたことなんだと確認できます。

こういうのがうれしい。(つづく)

     

2010年8月16日 (月)

黄色の鉢巻きに書かれた「履正不畏」

  

今日は8月16日。

今日は奥さんの実家へ日帰り。

標高600mの場所だけど、暑かった。

標高15mほどの家に帰ったら、父親が、今日がこの夏一番暑かったとのこと。

そうでしょう、そうでしょう。

     

奥さんの実家でゆっくり高校野球を見ていました。

履正社(りせいしゃ)高校(大阪)と聖光学園(福島)の試合。

2-5で履正社高校が敗れました。

3 http://mainichi.jp/enta/sports/baseball/koshien/10/graph/10-2/8.html「毎日新聞社」

      
 

履正社高校の応援席がテレビに映った時に、

応援団の鉢巻きに目が行きました。

黄色の鉢巻きに黒字で、「履正不畏」と書いてありました。

この四字熟語は何だ?

変わった高校名だけど、この漢字熟語が校名になったのだと想像しました。

さっそく調べることにしました。

    

2008年にこの熟語に挑戦した人がいました。

この人も応援の鉢巻きに書かれた四字熟語を見て動き出した人です。

同じだ~。うれしくなりました。

※参考:「SAFURO/文学/履正不畏」http://www.urban.ne.jp/home/safuro/bungaku88.htm

この人は正解まで行きついていませんでした。どうやら三国志が出典のようだまで行きついています。

しかし、まだ詳細にまで行きついていません。

これは難しそう。

   

読みは「正(せい)を履(ふ)んで畏(おそ)れず」と思われます。

「履」は、「靴を履く」で「はく」と読み、

「薄氷を履む」で「ふむ」と読みます。

    

意味は、履正社高校のHP、教育理念に次のように書いてありました。

http://riseisha.ed.jp/h_school/aboutus/philosophy.html

「自ら正しいと信ずることを、何ものにも畏れず勇気と責任をもって実践する」

きっとこういう意味だと思います。

HPには「実践」が「実戦」になっていましたが、

きっと「実践」が正しいと判断しました。

    

漢文から生まれた四字熟語と思われるので、出典を見つけたいです。

調べましたが、上記の2008年の方と同じことを調べたようです。

参考:http://riseifui.blogspot.com/2006_07_01_archive.htmlこのブログの2006年7月1日の投稿

   

結局いまいちでした。

つづきはまたいずれ。

    

    

      

飯田線 川村カ子ト(かねと)

   

今日は8月15日。

8月5日放映の「全国百線鉄道の旅 飯田線」より。

この番組で印象に残ったことを書いてきて、これが3本目。

    

川村カ子トさんのことが紹介されました。

070103kawamura ←川村カ子ト(昭和16年)

              http://takedanet.com/2007/01/post_1ab1.html
 

    

飯田線は、豊川鉄道・鳳来寺鉄道・三信鉄道・伊那電気鉄道の4社が、

戦時中に国有化・統合してできた鉄道です。

カ子トさんが活躍したのは、三信鉄道です。

テレビで見たこと、Wikipedia(下記)を参考に書いてみます。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B7%9D%E6%9D%91%E3%82%AB%E5%AD%90%E3%83%88

    

三信鉄道は、急峻な山岳地帯の難工事区間であった三河河合~天竜峡での測量・現場監督を、

カ子トさんに頼みました。

カ子トさんは、アイヌ人の測量士。

山地での測量技術にすぐれていたことから、依頼されました。

こんな愛知や静岡の山奥に、

北海道のアイヌ人がやってきて活躍したなんて意外な話です。

アイヌ人であることで、カ子トさんはひどい事もされたようですが、

執念で乗り越えました。

鉄道建設の現場には、朝鮮人も働いており、

日本人と朝鮮人とでトラブルが多々あったようですが、

カ子トさんのリーダーシップの下、工事を完成させました。

昭和12年(1937年)のことだったそうです。

昭和35年(1960年)には、飯田線の功労者として招待され、

この功績が飯田線関係者から称えられました。

現在では、カ子トさんのことを扱った合唱劇「カネト」が公演されているようです。

※参考:合唱劇「カネト」HP

http://www.kaneto.com/index.html

合唱劇「カネト」は、その気になりさえすれば、案外近くで公演しているので見に行けそう。

Photo_071014_l
      

    

   

身近だった飯田線が、この番組を見たおかげでより身近になりました。


 

2010年8月15日 (日)

飯田線 第6水窪川橋梁

  

今日は8月15日。

前投稿のつづきで、

8月5日放映の「全国百線鉄道の旅 飯田線」より。

今回は静岡県にある第6水窪(みさくぼ)川橋梁(きょうりょう)について。

橋梁とは、辞典には

「河川・渓谷・運河などの上に架け渡し、道路・鉄道などを通す構築物。橋。」とありました。

たとえば河川の向こう岸に行くための橋です。

   

飯田線には何と、河川の向こう岸に行かずに、

再び同じ岸に戻る橋があります。

それが第6水窪川橋梁です。

なぜそのような橋梁ができたか説明してみます。

      

水窪川が北から南に流れています。

上流から見て、右の岸が右岸、左の岸が左岸です。

飯田線は左岸に作られようとしました。

トンネルも作られました。

しかし、トンネル付近の崩落のため、トンネルをあきらめ、

その難所を迂回するために橋梁を作りました。

一度橋梁によって左岸から離れた飯田線は、難所を迂回し、

右岸に移ることなく、再び左岸に戻ります。

「渡らずの鉄橋」という名前ももっている橋梁なのです。

これは珍しい。好奇心がそそられる橋梁です。

     

次のサイトが特に参考になりました。

※「富士高原鉄道/JR東海 飯田線 第6水窪川橋梁」

http://www.d4.dion.ne.jp/~m_mori/kyouryoutikeimisakubo.html

上記のサイトに掲載されていた写真です。

Picgenzai
     

実際に見てみたい風景です。

見てみたい風景がどんどん増えていきます。

    

航空写真で現場を。

    

    

 


    

飯田線 小和田駅

  

今日は8月15日。

8月5日放映の「全国百線鉄道の旅 飯田線」より。

JR飯田線は身近な鉄道ですが、身近な部分は豊橋~豊川、もう少し行って東栄くらいまで。

そこから北の長野県辰野までの部分は滅多に利用したことがありません。

南から北に全長197.5㎞の線路に、94の駅があり、

平均駅間距離は約2.1㎞。たくさんの駅があります。

豊橋~東栄は27駅なので、70駅近くがほとんどわかりません。

特にその未知の部分が印象に残りました。たとえば・・・

     

◇小和田駅(こわだえき)

この駅は愛知県・長野県・静岡県の三県境界駅。

それだけでも珍しいのに、もっと珍しいことがあり。

この駅の近くにはもともと集落があったのですが、

1956年に、佐久間ダムがつくられて、集落は水没してしまったそうです。

したがって、この駅近くに住む人はいなくて、

さらには太い道もないために、この地区に来るには飯田線を利用しないとこれないとのこと。

一時は、皇太子妃雅子さまの旧姓と漢字が同じであることから、

ブームになって訪れる人もいたそうです。

今は秘境駅として、マニアの人たちが訪れる駅だそうです。

廃駅にならず、電車が今でも発着するところがいい。

※参考:「鉄道小旅行2008 小和田駅」http://www.page.sannet.ne.jp/ikenoue/travel/japan/train/kowada.html

     

同じ県内。

といってもそう簡単には行けないけど、

いつかは訪れたいです。


2010年8月14日 (土)

「担々」「坦々」調査・・・今回は「担々」に2票、「坦々」に1票

   

今日は8月14日。

「担々」「坦々」調査のつづきを書きます。

前回はこの投稿。7月22日http://mitikusa.typepad.jp/blog/2010/07/post-5239.html

     

8月8日に奈良市のイトーヨーカド―最上階のラーメン屋で撮ったもの。

RIMG0115奈良市坦々麺

「担々」でした。

    

「坦々」に出会うことはもうないのかと思っていたら、

今日、東名高速道路の上郷SAの食堂で、

こんなメニュー―を発見。

RIMG0075上郷SA
   

これは珍しい。

「坦々」と「担々」が両方ありました。

    

これで「担々」が通算6票、「坦々」が通算3票となりました。

     

おそらく語源から考えて「担々」が正しいのに、

「坦々」が使われている理由はあるはずだし、

きっと面白い理由だと思います。

いつかつきとめるぞ。     

  
 

2010年8月13日 (金)

日帰りで奈良へ8・・・薬師寺東塔(とうとう)

  

今日は8月13日。

8月8日、奈良に行ったことをブログに記録してきました。

おそらくラスト。

   

RIMG0013キリン裏 RIMG0012キリン表
   

唐招提寺付近のおみやげ屋で買ったビールです。

今だからお目にかかれるビール。

     

唐招提寺の次は薬師寺に行きました。

ここでは東塔に注目。

RIMG0155東塔 
   

薬師寺唯一、創建当時(奈良時代)から残っている建て物だそうです。

古いけど、ちゃんと立ち続けてきた柔軟さを感じます。

この秋から10年かけて大修理するため、この姿は10年間見られないそうです。

それならばとじっくり見てきました

    

中心には太い柱がありました。

ざっと直径1メートルほどかな?

「太い柱だ~」

とつぶやいたら、ボランティアの方が、

「立派に見えますが、中はもう朽ちて、空洞です」

と教えてくれました。

大修理ではこの柱とその礎石にも手が加えられるそうです。

ちなみに中心の柱のことを心柱(しんばしら)、

心柱を受ける礎石のことを心礎(しんそ)と言います。

この心柱と心礎のおかげで東塔は立ち続けてきたわけで、

今回修理されて、さらに長く立ち続けてほしいです。

しかし、太かったですよ、心柱。塔内の撮影が禁止だったのが残念。

       

     

そもそも「東塔」はどう読むのだろう。

こんな単純な疑問。

調べてわかりました。

「東塔」は「とうとう」、「西塔」は「にしとう」です。     

        

    
調べて出会った歌。

すゐえん の あま つ をとめ が ころもで の 
ひま にも すめる あき の そら かな

 (水煙の天つ乙女が衣出のひまにも澄める秋の空かな) 

    

東塔の上部にある火炎状の胴版のことを、火の字を嫌って水煙と言います。

そのことを歌った会津八一の作品。

いつかブログでしっかり書きたい。

    

    

以上、8月8日に奈良に行ってきた記録終了。

2010年8月12日 (木)

サントラ「龍馬伝」より・・「倒仰」「罅 」

   

今日は8月12日。でもあと19分間。

  

NHK大河ドラマ 龍馬伝 オリジナル・サウンドトラック Vol.1 NHK大河ドラマ 龍馬伝 オリジナル・サウンドトラック Vol.1
佐藤直紀 TVサントラ

ワーナーミュージック・ジャパン 2010-01-27
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このCDからも、7月の個別懇談会のBGMを選びました。

20曲中次の4曲です。

1.龍馬伝

6.告白

10.倒仰

20.海へ

     

ここで疑問。そんなこといいじゃんと言われそうですが、

「倒仰」とは?

何と読むのか?

どんな意味か?

    

実は図書館に出向いて、国語辞典・漢字辞典で探しましたが、

この言葉は見つかりませんでした。

とても気になります。

    

こんな曲名もありました。

15.罅

        

何と読むのだろう?

これは調べたらわかりました。

「ひび」です。

小さいとわかりにくいので大きくしてみます。

あの「ひび割れ」の「ひび」です。

こちらはわかったのですっきり。

しかし・・・・「倒仰」だ。  

  

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