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2010年8月

2010年8月21日 (土)

安土城跡に行きました・・・拝観料500円

  

今日は8月21日です。

8月13日と14日は、

息子の入っている少年野球チームが京都の大会に参加して試合がありました。

子どもたちは泊り込みで試合に臨みましたが、

私と奥さんは泊まらずに、2日連続で京都まで車で往復しました。

     

その際、少し時間に余裕があったので、

13日は安土城跡、14日は比叡山の頂上にそれぞれ初めて出向きました。

    

映画「火天の城」を見て、原作を読んで、俄然行きたくなった安土城跡。

13日に実行しました。

奥さんと娘と、私の車に同乗した同じチームの子どものお父さんお母さんと5人で。

   

行きつくまで、安土城跡を案内する看板はなく、

本当にこの道なのか不安に思いつつ迫りました。

しかし、直前の交差点には案内板がありました。

   

さあいよいよ着いて、頂上まで400段あるという階段を登り始めることに。

意外にも入り口で料金を取られました。

山なので料金は取られないと思い込んでいたので、

拝観料500円(小中学生は100円)は高く感じられました。

山にはお寺があるし、きっと安土城跡の保存にも使われるだろうから仕方ないです。

    

RIMG0005城跡入口
いよいよ安土城跡へ。

入り口左手で拝観料を支払います。

    

    

RIMG0006大手道のスタート 
ぐっとまっすぐに上にのびる大手道。

みんな杖を借りて登り始めました。(つづく)    



サルスベリは元気だけど・・・トウカエデの危機

   

今日は8月21日。

前投稿で暑さの中サルスベリは元気だと書きました。

しかし、調子の悪い木があります。

昨年も話題にした街路樹のトウカエデです。

※昨年7月の投稿http://mitikusa.typepad.jp/blog/2009/07/post-925b.html

   

秋になると色づいてとてもきれいな街路樹なのですが、

昨年は7~8月で葉っぱは全滅。

紅葉は全く味わえませんでした。

今年は大丈夫かなと思っていたら、

ダメです。

だんだん葉っぱが蝕まれ始めました。

RIMG00236トウカエデの街路樹  
 
RIMG00236トウカエデのアップ

  

昨年は何かの幼虫が葉を食い荒らしていると思いましたが、

暑さによって幹の中で異常なことが起こっているのではと思うようになりました。

このままでは、今年も紅葉が楽しめません。

    

実は2年前の秋に、とても紅葉がきれいだったのですが、

写真を撮りそこねました。

後悔しています。

今度こそと思っています。

どうにかならないのかな~。

暑いけどサルスベリは頑張っている

   

今日は8月21日。

RIMG00218百日紅の街路樹

街路樹だけでなく、こんなにもみんな庭に植えているんだと思うほど、

あちこちで見かけるのがサルスベリ(百日紅)。

(我が家にも小さなサルスベリがありました。灯台もと暗し)

「百日紅」は、花もちがいいことからついた名前と思われます。

「千日紅」という花もありました。

センニチコウと読みます。これも花もちがいいそうです。


先日午前中の出張がすんで、学校に戻る途中、

たくさんの百日紅がある場所を見かけました。

RIMG00186百日紅がたくさん RIMG00175百日紅に近づく

どうしてこんなにと思えるほど。

売るほどありました。

販売しているのかな?

     

よく見ると花の構造が変わっています。

RIMG00163百日紅の花のアップ
 

花(花弁)のもとが棒状になっているため

スケスケの花になっています。

    

暑い夏ですが、サルスベリは頑張っています。 


速報「パンパシフィック水泳選手権 3日目」

  

今日は8月21日。

速報が入りました。アーバイン・パンパシフィック選手権。

加藤ゆかさん、100mバタフライで5位入賞。

メダルには届かなかったけど、4位に5位。

さすがです。

http://swimminglife.blog73.fc2.com/blog-entry-696.html

   

3日目(8月20日)

【女子100mバタフライ】

【決勝】
 1 VOLLMER Dana 米国 57.56 
 2 MAGNUSON Christine 米国 57.95 
 3 COUTTS Alicia 豪州 57.99 
 4 KUKLA Yolane 豪州 58.22 
 5 加藤ゆか 日本 58.75 
 6 SAVARD Katerine カナダ 58.92 
 7 LACROIX Audrey カナダ 59.22 
 8 福田智代 日本 59.35 

      

    

22日の深夜0時29分(実質23日)からの番組「Get Sports」で、

パンパシフィック水泳選手権2010」の様子をまとめて放映してくれそう。

録画してじっくり見よう。

   

    


 

ベンガラ・・・岡山県高梁市の吹屋地区

   

今日は8月21日。

   

校長先生と話をしていて、

「ベンガラ」という言葉が出てきました。

??ベンガラとはなんだ?

校長先生は、私が当然知っているものとして話をしてくれますが、わからない。

「すみません、ベンガラって何ですか?」

と尋ねました。

昔からの染料であって、赤い色(褐色)をしていることを教えてもらいました。

天然から産するものが使われてきたが、

今は合成されたベンガラが使われるようです。

主成分は酸化鉄。

    

自分でも調べていくと、アルタミラの洞窟壁画もベンガラで書かれました。

ずっと昔からの染料です。

05
    

  

日本で産出された場所は限られていて、

岡山県高梁市の吹屋(ふきや)。

ここが面白そう。

Wikipediaによると・・・

江戸時代中期頃より吹屋銅山を中心とする鉱山町として発展し、

幕末頃から明治時代にかけては銅鉱とともに

副産物である赤色顔料ベンガラ(酸化第二鉄)の日本唯一の産地として繁栄を極めた。

最盛期には銅山で働く従業員数が1200人にのぼった。

山間に忽然と存在する、吹屋集落のベンガラ格子と石州瓦による赤褐色の重厚な商家の町並みは、

昔日の繁栄の大きさを象徴する。

吹屋集落の町並は、1974年に岡山県の「ふるさと村」に指定された。

また、1977年には岡山県下で最初に国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されている。

   

高梁市のHPより紹介します。

http://www.city.takahashi.okayama.jp/index.rbz     

ふるさと村に指定された吹屋集落は、ベンガラ色に統一されて、異色です。

Fukiya1[1]
    

銅山の坑道には入ることができます。

校長先生はこの坑道に入ったことがあるそうです。

Douzan[2]

吹屋小学校にも注目。

平成21年度の児童数が5名という少人数の学校。

1900竣工の西校舎・東校舎(木造平屋建)と

1909年の本館(木造2階建)とで構成されています。

なんと木造校舎として日本最古!

本館は夕方から午後9時までライトアップされるそうです。

ライトアップされた校舎で残業するのはなんか照れくさいだろうな。

 Hukiyasyou1[1]   Hukiya2[2]

    

ベンガラを調べていって、意識は吹屋へ。

またまた行きたい場所が増えました。

岡山県のどの辺りだろう。



 
  
  



2010年8月20日 (金)

パンパシフィック水泳選手権を生放送で見たい

   

今日は8月20日。

アメリカのアーバインで行われているパンパシフィック水泳選手権2010の結果が気になります。

地元出身で、担任している学級の子と縁のあった加藤ゆか選手が注目です。

次のサイトで1日目の結果が掲載されていました。

http://swimmingview.net/news/2010panpacificswimmingchampionships/%e7%ac%ac1%e6%97%a5%e7%9b%ae%e2%94%82%e7%ac%ac11%e5%9b%9e%e3%83%91%e3%83%b3%e3%83%91%e3%82%b7%e3%83%95%e3%82%a3%e3%83%83%e3%82%af%e9%81%b8%e6%89%8b%e6%a8%a92010%e3%83%bb%e3%83%91%e3%83%b3%e3%83%91.html

    

大会1日目(8月18日)

決勝:女子50mバタフライ

 1 Guehrer, Mariek 86  豪州 25.99 897pt 大会新
 2 Seebohm, Emily 92  豪州 26.08 888pt
 3 Magnuson, Chris 85  米国 26.33 863pt
 4 加藤ゆか 86  日本 26.38 858pt
 5 Silva, Gabriell 88  ブラジル 26.52 844pt
 6 Hardy, Jessica 87  米国 26.61 836pt
 7 Wilson, Hannah 89  香港 27.01 799pt
 8 Savard, Katerin 93  カナダ 27.16 786pt

    

4位入賞!やったね。

生放送で応援できないのがとても残念。

    

    

2日目(8月19日)は北島康介選手が100m平泳ぎで優勝。

3日目(8月20日)には100mバタフライがあります。

加藤ゆか選手は泳ぐのでしょうか?

予選は日本時間の午後5時から。

決勝は21日午前1時から。

どうなったのかな?

テレビ放送はなく、インターネットで生放送を探しますが見つからず。

う~ん、こんなに発達したインターネットなのに、

できないのかな~。   

「幻の甲子園」より・・・野球の最後の一部分

  

今日は8月20日。

夏休みに読んだ本の一つ「幻の甲子園」(文藝春秋)

印象に残る文はたくさんあります。

少しはブログに書きうつし、血や肉になってほしいと思います。

    

「幻の甲子園」のスタートはこう始まります。

    

序章

文部省からの通達

徳島商業野球部監督の稲原幸雄は、

部員たちから「鬼」と恐れられた熱血漢である。

至近距離から放たれるノックは、

一人に対し1時間以上に及ぶこともあった。

疲労で動けなくなった選手には、

容赦なくバケツで水を浴びせた。

起き上ったところに、再びノックの雨を降らせた。

しかし、その指導理念の根幹は、

プレーとは別の部分にあった。

当時、徳島商業で三塁手だった妹尾(せのお)和治さん(84歳、取材時)はこう語る。

「球場に着いたらまず、石灰で打席や塁線をきれいに書くことが、

大事な練習の一つだと教わりました。

『ラインをしっかり書くことができなければ、しっかりしたプレーもできない』と。

『一流の線を引けなければ、一流の選手になれない』ということです。

これが『内情を知る』、

つまり『野球を知る』ということの根幹として位置づけられていました。

打ったり投げたりというのは、

野球の最後の一部分でしかないというのが稲原さんの哲学です。」(8p)

    

ラスト2行は重い!

この2行がずっと忘れられず心に残っています。

  

これは今年から指導することになったバスケット部でも生きる教えです。

稲原監督は厳しかったが、選手からの信望は厚かったです。

それは読み進めていくとよく理解できます。

   

   

こんなスタートで始まる「幻の甲子園」

引き込まれました。(つづく)

    

飯田線 第6水窪川橋梁 つづき

 

今日は8月20日。

少し前に飯田線の第6水窪川橋梁について書きました。

※参考:http://mitikusa.typepad.jp/blog/2010/08/%E9%A3%AF%E7%94%B0%E7%B7%9A%E7%AC%AC%EF%BC%96%E6%B0%B4%E7%AA%AA%E5%B7%9D%E6%A9%8B%E6%A2%81.html

     

河川の左岸を離れた橋梁は、

右岸に渡ることなく、再び左岸に戻るという珍しい橋梁です。

youtubeで映像を見つけました。

載せます。

まずは列車が北から南へ。


 


     

列車が南から北へ。


 


 

  

2つの映像とも同じ場所からの撮影です。

以前に紹介した写真もそうでした。

何か都合のいい撮影場所があるのでしょうと想像します。

    

車窓から撮影した映像がないか探しました。

ちゃんとありました。

撮影者に感謝。

   

車窓から撮影した映像を見ると、ドキドキ感が高まります。

落ちはしないかという気持ちです。

遊園地の遊具のようです。

まずは列車は北から南へ。

トンネルをいくつか抜けると橋梁です。

上記の撮影場所も解決します。

皆さんが撮影したであろう橋が映っています。


 


 

    

最後に列車は南から北へ。


 


 

ますます行ってみたくなりました。

2010年8月19日 (木)

誰が最初に土を持ち帰ったか

   

今日は8月19日。

甲子園の土を誰が最初に持ち帰ったか?

Images

「今さら他人には聞けない疑問650」(知恵の森文庫)では、

昭和24年の小倉北高校の福島選手とありました。

※参考http://mitikusa.typepad.jp/blog/2010/08/%E9%9B%91%E5%AD%A6%EF%BC%94%E9%80%A3%E7%99%BA%E9%A7%85%E5%93%A1%E3%81%AE%E5%A3%B0%E3%82%B4%E3%82%B8%E3%83%A9%E3%81%AE%E5%AF%BE%E6%88%A6%E6%88%90%E7%B8%BE%E4%BB%96.html

     

     

実は「幻の甲子園」(早坂隆著/文藝春秋)では、

昭和17年8月24日の台北工業(台湾)と海草中学(和歌山)の試合後に

土を持って帰る姿があったと書かれています。

惜敗した台北工業の選手の一人、今野さんの証言。

    

試合後、今野さんたち何人かの野球部員たちは、

甲子園の土をスパイク袋に詰めた。

今では見慣れた甲子園の光景だが、

当時はそんな風習はまだ存在しない。今野さんが言う。

「私たちは台湾から来ていますからね。

今思えば、内地の土といった意味もあって持ち帰ろうとしたのかもしれません」

現在、「甲子園の土を持ち帰るようになったのは戦後から」というのが定説になっているが、

その中で今野さんの証言は貴重である。

現在に連なる甲子園の風物詩の原型が、

思わぬところに存在した。(134p)

   

さらに次のような話に続く。

    

今野さんが持ち帰ろうとした「甲子園の土」は本来、

検疫法によって台湾への持ち込み禁止の対象となるはずであった。

しかし、事情を知った検査官が不問に付してくれたという。(135p)

今野さんが持ち帰った甲子園の土のうち、

その半分は母親が植木鉢の中に撒いた。

そして残りのもう半分は、

学校のグランドのピッチャーマウンドとホームベースの辺りに、

それぞれ撒布(さんぷ)したという。(136p)

    

グランドに撒いた土については、さらに後日談がありますが、

気になる方はぜひ本を読んでみてください。

というわけで、最初に土を持ち帰ったのは、

昭和17年の台北工業の選手だと思っていました。

    

    

しかし、今朝。みのもんたの朝のニュース「朝ズバ」で、

新しい説が出てきました。

最初に甲子園の土を持ち帰ったのは、

1937年熊本工業の川上哲治さんだというのです。

ビックネームが出てきました。

川上選手は、中京商業に敗れたときに、

甲子園の土をポケットにしのばせたそうです。

1937年と言えば、昭和12年。こちらが先です。

    

    

しかし、わかりませんね。

川上さんのように有名な人がやったから記録に残っているだけで、

こっそり持ち帰った選手がいた可能性は高いです。

参考までに、次のような意見もあります。

※「Yahoo知恵袋」http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1429509544

      

     

土を持ち帰る。とてもいい風習だと思います。

土が切っても切れない高校球児だものね。

まあ、最初は誰でもいいよ。

     

「終わらざる夏」

   

今日は8月18日。どうしてももう1本投稿したい。

昨日oaさんからのコメント。

「明日は池田連隊長のご命日です。謹んでご冥福をお祈りいたします。 」

そうです、1945年8月18日、千島列島の北のはずれの占守(シュムシュ)島で激しい戦闘がありました。

日本軍とソ連軍の戦い。

日本軍を率いた池田末男さんは、この戦いで命を落としました。

※よかったら2008年11月の投稿を参考http://mitikusa.typepad.jp/blog/2008/11/post-6f4a.html

       

池田連隊長と、名前はわかりませんが、戦いで命を落とした人たちの御冥福をお祈りいたします。

     

     


終わらざる夏 上 終わらざる夏 上
浅田 次郎

集英社 2010-07-05
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8月7日の朝のニュースに、浅田次郎さんがゲストで出ていて、

この本のことについて話をしていました。

なんと占守島の戦いのことを扱った小説でした。

初めて知りました。

戦争が、千何人死んだとか、数字で語られてしまうけど、

その一人一人に人生があるわけで、

それを証明したいがために小説を書いたようなことを浅田さんは言ってたと思います。

ノンフィクションではなくて、資料をよく読み分析し、

ストーリーを作ったそうです。

その戦いを体験し生きのびている人が読むかも知れない今だからこそ書いたそうです。

何十年もたって書けば、きっと気が楽だろうけど、

今じゃないといけないと思って書いたそうです。

  

読んでみたい本です。

    



   


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