新美南吉記念館2/昭和7年「ごんぎつね」スタート
新美南吉記念館の近くにあり、かつて新美南吉も通った小学校が
岩滑(やなべ)小学校です。
この小学校のHPを見ると、新美南吉の資料があって勉強になります。
※「岩滑小学校」http://www.yanabe-e.ed.jp/
今回のブログの投稿にも参考にさせていただきます。
新美南吉は大正2年(1913年)7月10日に生まれました。
南吉が生まれた時から実母りゑの体調不良が続き、
南吉が4才になった大正6年11月4日に死別しています。
30歳の若さでした。
実母の死は、おさない南吉の心に深いきずあとを残しました。
南吉の詩や童話の中で、やさしい母親が登場するのは、このことが理由だと考えられています。
昭和6年に、4月から8月まで、南吉は母校の岩滑小学校の代用教員になりました。
その時の教え子の言葉が、岩滑小学校のHPに載っています。
※「南吉 生い立ち」http://www.yanabe-e.ed.jp/01nankitiMap/nankiti_oitachi/oitachi2.htm
教え子のJ.Sさんのお話です。
小学校には体育館がなかったので、雨の日にはどの先生も本を読んでくれたものです。
でも、新美先生は自分で書いた物語を読んでくれました。
ごんぎつねの話もわたしは先生から直接聞きました。
このころすでに「ごんぎつね」のストーリーができていたわけです。
そして翌年昭和7年に、「赤い鳥」1月号に童話「ごんぎつね」が載りました。
記念すべき「ごんぎつね」のスタートは、昭和7年でした。
もうすでに25年目になってしまった教師人生。
教えてきた子どもたちは、私のことを覚えているのだろうか。
覚えてくれているなら、どのようなことを覚えてくれているのだろう。
ふと思いました。
新美南吉記念館の入り口にある南吉の人形。
師範学校に入りたくても体が弱くて入れなかった南吉。
人形も細身でした。
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