2010年8月11日 (水)

日帰りで奈良へ7・・・本物のすみ鬼

    

今日は8月11日。

8月8日のことをうちます。

    

   

すみ鬼にげた (福音館創作童話シリーズ) すみ鬼にげた (福音館創作童話シリーズ)
岩城範枝 松村公嗣

福音館書店 2009-11-04
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「すみ鬼にげた」について書いたのは2回。

※2月2日ここでも道草 読書週間に読んだ本2冊

※7月25日ここでも道草 「すみ鬼」が見られるサイト

そして今回が3回目。

いよいよこの目で見てきました。

物語の主人公になったすみ鬼を。

     

唐招提寺の金堂です。

RIMG0122唐招提寺 

南向きに建てられた建物です。

    

    

最初に屋根の南東の角を見ました。

RIMG0124南東のすみoni
     

いました、いました、すみ鬼が。

思ったより小さいぞ。

いや高い所にいるから小さく見えるのでしょう。

さあ、主人公の力の抜けた表情の違うすみ鬼を探すことにしよう。

    

南東のすみ鬼の顔を見ました。

RIMG0127南東のすみ鬼アップ

   

むむ、これは怖そうに見える。

双眼鏡でのぞく。

RIMG0127南東のすみ鬼アップアップ

   

これは主人公のすみ鬼ではありません。

北東と北西のすみ鬼を見ましたが、どうも表情がよくわからず。

そして南西。

ここにいました、目指すすみ鬼が!  

RIMG0137南西のすみ鬼


RIMG0137南西のすみ鬼アップ

    


 

これが実物だ。

実物を見たいと思ってから半年。

ついにたどり着きました。

しばらく双眼鏡で眺めてたたずんでいました。


   

思う存分教師をやってる?/念願の検索窓

    

今日は8月11日です。

今日知り合いの若い先生(講師)に朗報が入ってきました。

教員採用試験1次の合格です。

よかった!

次はほぼ1週間後の2次試験。

受かるといいです。

受かって思う存分教師をやれるといいです。

  

初心を思い出します。

私は2回目で合格したのですが、

合格したら「思う存分教師をやるぞ」と思っていました。

喜ぶ若い先生を見て、自分の初心の思い出しました。

自問します・・「思う存分やっているかい?」

答えます・・「まだまだ」

あと10年余りの教師生活。

もっとやっておけばよかったと思わないように動くぞ。

     

     

今日いろいろ操作していたら、ブログの右上に検索窓を設置できました。

他の人のブログにあって、うらやましいと思っていました。

資料置き場的な性格のブログなので、

これで検索してすぐに目的の投稿に行きつけます。

私にとっても便利ですが、ブログを読んでいただいている人にも利用価値はあると思います。

よかったら、ぜひ。

   

うれしくなって、いろいろな言葉を入れて検索しています。

日帰りで奈良へ6・・・遣唐使船

   

今日は8月11日。

8月8日のことをうっています。

   

大極殿を見た後に出向いたのは、復元展示されている遣唐使船です。

平城宮歴史館と併設されていて、

歴史館から遣唐使船に乗り込むことができるようになっていました。

      

RIMG0089    


        

RIMG0093帆の写真    

最初に目についたのは、帆です。

布製ではありませんでした。

「網代帆(あじろほ)」と呼ばれる帆でした。

説明板の文章を引用します。 
  

RIMG0100網代帆

     

【網代帆】

「吉備大臣入唐絵詞(きびのだいじんにっとうえことば)」には帆が描かれていませんが、

他の絵巻物では遣唐使船には網代帆を描いています。

網代帆は竹や葦を薄く削った物を平らに編んで作った網代を

竹で縛ってつなぎ合わせた帆です。

網代帆は堅い帆ですから意外に性能が良いのですが、

風が網目から抜けるのと重いのが欠点です。

中国では19世紀ころまで長い間使われ続けました。

布の帆は風を受けると袋のようになりますので、

布製が普及しても中国では帆に竹を結びつけて

帆が袋のようになるのを防いでいました。

日本では網代帆を使わず藁(わら)を編んだ筵(むしろ)を

つなぎ合わせた帆を使いましたが、

遣唐使船や江戸時代の朱印船などの絵画では

網代帆が描かれています。

     

なるほど。網代帆と麻布の帆の併用もあったそうです。

    

19世紀まで中国では網代帆が使われていたと読んで、

すぐに思い浮かべたのがアヘン戦争(1840年)の有名な絵。

   

2005041214efec01
   

この中国の帆かけ船は、網代帆だと思われます。 

 

RIMG0102連子窓 
  

4月下旬のお昼の番組で、平城宮跡の遣唐使船のことをやっていました。

それ以来、この遣唐使船に実際に触れてみたいと思っていました。

実現。じっくり見てきました。

この緑の格子窓・・・連子窓(れんじまど)もです。

※参考:5月5日の投稿http://mitikusa.typepad.jp/blog/2010/05/post-90c2.html 

    

       

RIMG0112外でこぐところ
   

帆で進む船ですが、場合によっては漕ぎ手が漕いで進むことがありました。

漕ぎ手の建つ場所も見てきました。

海原の中で、ここに立つのは怖いことだと思います。

この場所のことを、「艪棚(ろだな)」と言うそうです。      

      

RIMG0114遣唐使船アップ     

    

艪棚の下には、写真のように竹の棒が束になって縛り付けられています。

復元のために参考にした絵に描かれていたことから、

復元したのですが、

竹の棒が何に使われたのかは不明だそうです。何だと思いますか。

救命具?

       

      

さて次は唐招提寺です。(つづく)


   
   

2010年8月10日 (火)

日帰りで奈良へ5・・・唄(ばい)金具・鴟尾(しび)

   

今日は8月10日。

8月8日のことをうっています。

    

第一次大極殿の見学で新しく知ったこと。

豊川市の国分尼寺跡について調べていた時からの疑問が解けました。

建物の扉についている丸い金具の名前について。

RIMG0077扉の写真 ←大極殿にて

  

大極殿の中に金具が展示されていました。    

RIMG0075扉唄金物 

        

この展示をヒントに調べてみました。

打ち込んだ釘の頭を隠すための金具のことを

「釘隠し金具」と言います。

「釘隠し金具」のうち、

半球形の金具を「唄(ばい)金具」と言うようです。

※参考:「住宅建築専門用語辞典」http://www.what-myhome.net/08ku/kugikakusi.htm
    

扉に使われた唄金具なので、「扉唄金具(金物)」なのでしょう。

名前がわかって、すっきり。

    

      

大極殿の屋根についていた大きな金具についても判明。

RIMG0061しび

名前は「 鴟尾(しび)」

「鴟」は「とび」です。

後にこれが「鯱(しゃち)ほこ」に変化していきます。

日本で最も古い「鴟尾」は、唐招提寺金堂の西側のもので、

奈良時代創建当時のものだそうです。

※参考:http://www.people-i.ne.jp/~hillosse/03oni/5zatu2/sansibi.htm

唐招提寺は8日に行ったぞ。

RIMG0123 ←唐招提寺金堂     

    

行った時には、最も古い鴟尾とは知らなかったです。

知っていたら、もっとよく見てきたのに。

写真の左の鴟尾がそうです。右のは鎌倉時代に作られたものです。
  

日帰りで奈良へ4・・・高御座(たかみくら)

   

今日は8月10日。

8月8日のことをうっています。

    

朱雀門をくぐって、近鉄奈良線の踏切を越えて、第一次大極殿を目指しました。

けっこう距離があります。暑い時、あせらずのんびり歩きました。

    

RIMG0021遠くから大極殿 RIMG0027だんだん近づく第五句電
  

RIMG0032縦の第五句電
  

青空にほどよく雲があって、大極殿の建物がよく映えました。

      

RIMG0035接近した第五句電 RIMG0039ハスの花
  

大極殿の前には、鉢に植えられたハスがたくさん置いてありました。

奈良時代とハスは関連深し。

    

    

大極殿の中に入りました。

RIMG0042第五句電中身

   

RIMG0060たかみくら← 高御座(たかみくら)
   

高御座とは?

大極殿の説明板には次のように書いてありました。

第一次大極殿の内部には、高御座(たかみくら)と呼ばれる

天皇の玉座が置かれていました。

高御座は、皇位を象徴する重要な調度で、

天皇は即位式や元旦町賀などの国家儀式の際に、

大極殿に出御(しゅつぎょ)して高御座に着座しました。

貴族は、大極殿の南に広がる内庭(ないてい)に立ち並び、

大極殿の天皇を拝しました。

     

大極殿前の広場にたくさんの人が集まったのでしょう。

RIMG0055だいごくでんから朱雀門
     

     

昔に思いをはせました。     





  


  
   

   

日帰りで奈良へ3・・・近鉄奈良線

   

今日は8月10日。

8月8日のことを書いています。

    

朱雀門をくぐって、第一次大極殿に向かいます。

710年、平城京に元明天皇が移った時に作らせたのが第一次大極殿。

聖武天皇が平城京から他の場所に都を移した時に、この大極殿も解体されて移設。

聖武天皇が再び平城京に都を戻した時に、元の大極殿の場所の東に作ったのが第二次大極殿。

      

途中、近鉄奈良線の踏切を渡ります。

ちょうど電車が来たので撮影。

RIMG0020近鉄奈良線
   

昔、この電車に乗っている時に見たとうっすら記憶にある「平城宮跡」の看板。

今はあるのかどうか。

ありがたいことに、車窓からの映像がありました。

大極殿側の映像です。看板があるかどうかドキドキして見ました。


 


残念ながら看板はありませんでした。

誰かのサイトで写真を載せている人はいないか探しましたが、

今のところ見つけていません。

      

平城宮跡の中を横切る形の近鉄奈良線。

将来は平城宮跡外に移設する可能性もあるとのこと。

      

      


RIMG0016将来の姿  

「将来の国営平城宮跡歴史公園の姿」のジオラマには、

近鉄奈良線はありませんでした。

まだまだ変わる平城宮跡。

8日に見てきたのはまだまだ途中経過。
     

日帰りで奈良へ2・・・朱雀門

  

今日は8月10日。

8月8日のことを書いています。

   

平城宮跡に着いて、ちょっとトイレに行こうと思ったら、

そこにあの有名な石碑。

RIMG0008あをによし RIMG0008あをによしアップ

あをによし 奈良の都は 咲く花の 

にほうがごとく 今盛りなり 

 

万葉集の中の一句。

作者は小野おののおゆ) 

   

トイレの近くにあると、「にほうがごとく」が脱線しそう。

これは花(桜?梅?)の香りですよ。

        

     

RIMG0009世界遺産石碑朱雀門 RIMG0012朱雀門下から見上げた
   

朱雀門。

平城宮の南門。四神で南をつかさどる朱雀の名がついた門です。

1998年に復元されたそうです。

たった12年前のこと。

        

昔・・・・近鉄電車に乗って平城宮跡を通過した時、

大きな看板「平城宮跡」があったけど、何もなかった覚えがあります。

(違ったけなぁ~あの看板がもう一度見たい。今でもあるの?)

今はこうして朱雀門があり、第一次大極殿があり、

そして平城京歴史館と遣唐使船あり。にぎやかです。

放置されていた平城京跡が保存され、こうやって復元されたのは、

ここ100年のことなのですね。

これだけいろいろ施設があれば、修学旅行のコースとしてこれからは選ばれるだろうな。

(実際調べると、たくさんの学校が訪れています。うちの学校は行かない)

     

朱雀門から近鉄の線路、そしてその向こうの第一次大極殿を望む。

RIMG0013その向こうに大極殿
     

(つづく) 
   

2010年8月 9日 (月)

土曜日、再び本宮山

  

今日は8月9日。

7月31日(土)に引き続き、

8月7日(土)も本宮山に登ってきました。

行方不明事件直後でしたが、いつもと変わらない本宮山でした。

前回は最初に飛ばし過ぎて、最後がつらかったです。

その反省に基づいて、最初は体力温存で、小股でゆっくり登りました。

そして最後は頑張りました。

その結果、1時間17分で頂上へ。前回よりたった2分の遅れ。

一緒に誰かと登る時に、「最初はゆっくり」と声をかけますが、

あらためて最初はゆっくりがいいと感じました。

   

RIMG0004十五丁目の登山道
   

たまには、こんな道を歩くと、気分転換になります。

      

RIMG00078月7日の三角点 RIMG00088月7日本宮山頂上

    

8月7日の三角点、頂上です。

        

RIMG0009しおミルキー
   

頂上で食べたしおミルキー。

やっぱり山登りに向いた味です。

ふと昨年の投稿を見たら、パッケージが変わっていることに気がつきました。

※参考: http://mitikusa.typepad.jp/blog/2009/08/post-a967.html

    

        

     

本宮山は人気の山です。

いつも人がたくさんいます。

頂上付近の建物には次のような記録の一覧表が貼ってあります。

( )内にベスト5を書きます。

◇2009年本宮山年間登山回数

(445回、405回、386回、350回、346回)1年は365日のはずですが・・・

◇2009年まで本宮山累計登山回数

(8036回、4670回、3947回、3762回、3460回)1万回も夢ではない。

◇本宮山奥宮までの登山時間

(26分25秒、28分41秒、31分、32分8秒、32分10秒)私の最高は58分。

◇本宮山奥宮までの1日の往復回数

(10回3人、8回2人)10回!

       

すごいでしょう。お年寄りが元気な山です。

2010年8月 8日 (日)

日帰りで奈良へ・・・築地塀!

   

今日は8月8日。間もなく終わろうとしています。

今日は日帰りで奈良に行ってきました。

奥さんと娘と3人で。息子は少年野球の練習のため行けず。

行った場所は、平城宮跡、唐招提寺、薬師寺。

     

大きな築地塀が見られたことに感激しました。

春から調べて、このブログにも書いてきた築地塀。

奈良の築地塀には圧倒されました。

    

平城宮跡で見かけたもの。平城宮跡への入り口のところ。

RIMG0002平城宮跡の築地塀 RIMG0006築地塀の表面
   

以前投稿した築地塀の作り方そのままをやったようなできあがりです。

「平城京」の本だったので、当たり前と言えば当たり前のこと。

イラストレーター穂積和夫さんの絵がわかりやすくてよかったです。

※参考: ここでも道草 国分寺・国分尼寺下見8/築地塀は「ついじべい」と読む(2010年5月18日)

   

同じく、平城宮跡にある朱雀門横の築地塀。

RIMG0015朱雀門築地塀
    

     

ほれぼれしちゃいます。

築地塀を見られただけでも、今日は行った甲斐がありました。   

    


 

2010年8月 7日 (土)

上田市にある地名「真田町長」

  

A0126997_20313338

映画「サマーウォ―ズ」(2009年)が昨晩テレビ放映されました。

この映画、この2年訪れている長野県上田市が舞台の映画です。

   

上田市の地図を見ていて、変わった地名を見つけました。

  

「真田町長」

    

    

「さなだちょうちょう」?

     

真田町というのは存在していました。

2006年に合併により、上田市の一部となりました。

元真田町にあって、今も存在する地名「真田町長」

読み方を調べました。

   

「さなだまちおさ」と読みます。

どうやら、「長(おさ)」という地名に、「真田町」が合わさった地名のようです。

1958年に合併により新しく真田町ができた時に、

合併した3つの村の一つが「長村」と言いました。

「長」の地名を残すために、真田町の「長」だから、

「真田町長」という地名が生まれ、

今も名前が引き継がれていると勝手に想像します。 

上田市の「長」だから「上田市長」もいいかなとも思います。

   

      

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