2012年4月23日 (月)

小鶴誠の言葉「ボールが止まって見えた」

  

今日は4月23日。再スタートから10日目。

  

戦中のプロ野球選手の本をまた読みました。

消えた春 特攻に散った投手 石丸進一」(牛島秀彦著/河出文庫)です。

石丸進一については以前書きました。

「日本プロ野球復活の日」1 大下弘/石丸進一html

   

石丸進一と同僚だった小鶴誠に注目。

本にあった写真を載せます。

EPSON088
   

同じ名古屋軍でした。

※戦時中のユニフォーム。

名古屋軍の「名」は、日本の同盟国ドイツのナチスのハーケンクロイツをまねていました。

でもこれは逆向きだから卍(まんじ)かな。

   

小鶴誠について調べていて、自分の思い違いに気がつきました。

彼は1950年に51本のホームランを打ち、王貞治に塗り替えられる前の日本記録者でした。

同年に記録した打点161打点は、いまだに破られていない記録です。

彼はこの時こう言います。

ボールが止まって見えた

  

あれ?これは川上哲治の言葉では?

でも小鶴誠の言葉でした。

   

川上哲治の言葉として有名な「ボールが止まって見えた」は、小鶴が50本塁打を放った際の言葉である。

不人気球団を渡り歩いた小鶴では記事にならないと、報知新聞記者が川上の言葉に捏造したものである。

当時の巨人絶対主義は今日の比較ではなく、そのまま定着してしまった。(「Wikipedia 小鶴誠」0

   

そりゃあいかん。この言葉は、本当に言った人の言葉にすべきです。

  

  

  

  

後記:「ボールが止まって見えた」に関する記事は、

その後Wikipediaから消去されました。

報知新聞記者の捏造が捏造の可能性もあります。

引用の難しさを感じました。(2019年12月1日記)

「戦火に消えた幻のエース」 広瀬習一と神田武夫

  

今日は4月23日。再スタートから10日目。

     

以前、戦前の巨人軍で投手として活躍し、

戦争に召集され、戦死した広瀬習一選手のことを書きました。

「日本プロ野球復活の日」2 野口明/広瀬習一」html

   

もっと詳しく知りたいと思い、

本「戦火に消えた幻のエース 巨人軍・広瀬習一の生涯」を読みました。

Kairi1958-96319

著者の上田龍さんは、野球史研究者という肩書もあり、

この本の中でも、文章の下に関連のミニ知識が書かれていて、

読破した時には、戦前戦後の野球に詳しくなった気分になりました。

  

1941年のシーズン途中に巨人に入団。8勝。

そして翌年1942年には21勝。

沢村栄治の力が衰え、スタルヒンが重病で、

巨人投手陣が手薄な時に、巨人に貢献した投手、それが広瀬習一投手でした。

この本で、広瀬習一には、高校時代からのライバル神田武夫(南海入団)の存在が大きかったことを知りました。

南海と対戦して、相手が神田だと、広瀬は燃えたようです。

   

下の写真は、「戦火に消えた幻のエース」より。

EPSON089広瀬習一広瀬習一

EPSON090神田武夫神田武夫(かんだたけお)

   

神田武夫について引用します。

   

神田武夫(1922-1943年)

京都市出身。京都商では快速球と鋭いカーブを武器に「沢村二世」の異名を取り、

1940年春の選抜では決勝に進出するが、大島信雄を擁する岐阜商に惜敗。

卒業後南海に入団し、1年目(1941年)に25勝、翌年も24勝をマークしたが、

これは南海の2シーズンの勝ち星92の半分近い数字だった。

京都商卒業前から胸を患っており、プロ入り後は肺結核を発症。

1943年、開幕から欠場して療養に努めたが、

7月27日、京都の自宅で22歳の若さで世を去った。

現役時代の背番号「19」は、戦後、野村克也が背負ったことでも知られる。  (66p)

   

戦争に多くの選手が召集されていたため、投手の人数も少なかったようです。

その中で酷使された・・神田投手も進んで投げたようです。

その結果体を壊し、死期を早めたと思います。

24勝した翌年に亡くなってしまうなんて・・それも22歳。無念だったと思います。

   

そして翌年の1944年に広瀬習一も戦地で亡くなります。

日本プロ野球復活の日」(鈴木明著/集英社文庫)では、

その死については詳しくは書いてありませんでしたが、

この本には書いてありました。

1944年9月13日。フィリピンレイテ島での戦闘中、

本部に応援を求めに行く役を志願し、川を横切っている最中に銃撃され、

習一は激流に流されてしまったそうです。

   

1941年~42年に、巨人と南海で活躍した2人の投手。

もっともっと野球をしたかったのに、結局戦争がそれを阻みました。

この本は、2人の伝記になっているなと思って読みました。

こんな2人がいた。ちゃんといた。

七田忠昭さん定年退職


今日は4月23日。再スタートから10日目。

    

3月12日の朝日新聞夕刊でこんな記事を見つけました。

EPSON087吉野ヶ里の記事

   

考古学ファンのレベルではありませんが、七田忠昭さんの名前は知っていました。

授業で使った「プロフェッショナル 仕事の流儀 王が眠る神秘の遺跡」(2002年放映)の中に、

七田忠昭さん、佐原真さんが登場します。

この映像については、ここに書きました。

「吉野ヶ里遺跡の映像を見る」html

「吉野ヶ里遺跡は、やっと残った」html

   

プロフェッショナル 仕事の流儀」では、遺跡に来て佐原さんが鑑定する場面が、

ドラマチックに表現されていました。

ギリギリで、貴重なものが発見されて、遺跡の価値が証明されたといった感じで。

この記事によると、事前に七田さんと佐原さんは綿密に打ち合わせをしていたとのこと。

フムフム・・・?まあいいか。

   

最後の文章。

   

経済の低迷で大規模開発が減り、

大がかりな発掘調査も少なくなった。

七田さんの引退には、

古代へ思いをはせる余裕を失いつつある日本の現状も重なる。

    

思いをはせる余裕を持ちたいです。

せめて授業では。

映像「プロフェッショナル 仕事の流儀 王が眠る神秘の遺跡」はお薦めです。

2012年4月22日 (日)

2012年3月終わりの大川入山

   

今日は4月22日。再スタートから9日目。

   

私の病気がひどかった時は午前中何もできませんでした。

だんだん回復してきて、午前中も動けるようになってきた時はうれしかったです

朝から動けるようになって、3月の終わりに山登りを実行しました。

夏休み以来久々の登山。選んだ山は、やっぱり大川入山

その時に出会った風景を10枚厳選。

RIMG05731枚目 大川入山も出世しました。こんな大きな看板ができました。

RIMG05752枚目 もう雪はない?
  

RIMG05843枚目 大川入山の姿。いつもながら惚れ惚れする山姿。

雪もまだ残っていました。

   
  

RIMG05984枚目
  

RIMG06045枚目 大川入山に登るたびに必ず撮る場所。

登山道が空に向かて延びていくように見える場所です。

向こうに雲があれば「坂の上の雲」状態です。

  

RIMG06096枚目 頂上への道
  

RIMG06126枚目 頂上  

RIMG06337枚目 左上が頂上
  

RIMG06428枚目
  

RIMG06439枚目 こんな道を気持ちよく歩いてきました。

心配していた体力も大丈夫でした。

下山時には、歩くリズムを思い出して軽快に?歩けました。

やっぱり山はいい。
  

 

10年ほど前に、同じ病気になった時に始めたのが山登りでした。

山登りが私の病気にはいいと、当時信州大学の発表もあったので、

せっせと登っていました。

少しずつ復帰に向かっていると感じた登山でした。

山の四季の表情を復習

  

今日は4月22日。再スタートから9日目。

   

20日朝のニュース「早ズバ生卵」で、山の四季の表情をクイズでやっていました。

RIMG0710
  

春と夏が消えていて、クイズでした。

私はわかったぞう。

2009年の4月に勉強していました。

「春山淡冶(たんや)にして笑うが如し」html

春・・・山笑う

夏・・・山滴る(したたる)

秋・・・山装う/山粧う(よそおう)

冬・・・山眠る

     

復習ができました。

それでは3月に登った大川入山の報告を次の投稿で。

まだ笑う前の春山です。

  

   

(追加)4月23日に撮影した「笑った山」の写真を2枚載せます。

雨上がりがよく笑っています。

RIMG0723
  

RIMG0733

 

発酵/ワイシャツとコンポスト

 

今日は4月22日。再スタートから9日目。

   

先日、2か月ぶりに学校に出勤。

全く2か月学校に行っていなかったのですが、更衣室に洗濯物がありました。

ワイシャツ2枚。2か月そのままでした。

発酵している?じゃないかと思いましたが、大丈夫でした。

2か月前、あまり汗もかかずに着替えたのでしょう。

よかったよかった。

   

毎日夕飯をつくるようになって、気がついたこと。

調理で出た残飯は、庭にあるコンポスト(堆肥)をつくる容器に入れています。

RIMG0720
  

最近、この中に蛆虫(ウジムシ)が大量に発生。

蛆虫については以前書きました。

「五月蠅い3」html

蛆虫を見たことがない子どもが多いのに驚きました。

何と、うちの娘も見たことがないらしい。

今なら、この容器のふたを取ると簡単に見えます。(娘は躊躇した)

   

蛆虫をこのままにしておきたくない。

しかし、殺虫剤で殺せば、堆肥を作る菌もダメにしてしまうでしょう。

この悩み。・・・こういう時はインターネット。

同じような悩みを持っている人は必ずいて、どうにかしているだろうと考えました。

次々ありました。

たとえば、ここ。

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1018685815

   

石灰をまき始めました。蛆虫に効果があり、発酵も進むそうです。

4日目にして効果が出てきたのを感じます。

いいぞいいぞ。

また新しい世界に踏み込んだ気分。

真鍮(しんちゅう)とブラスバンド

  

今日は4月22日。再スタートから9日目。

   

前投稿のつづき。

真鍮

聞いたことはもちろんありますが、よくわかっていない物質でした。

調べていたら、なかなか面白い。

   

銅と亜鉛の合金。

金に似た光沢のため、金の代用品とされ「貧者の金」と呼ばれていました。

真鍮の代表的製品は、金管楽器。

295d825064afeb693c0c654673d55c16
http://blog.goo.ne.jp/sliding-cafe/e/c59b45932d6b0b7b4cfb535f437106ad

   

「ブラスバンド」

金管楽器を主体に、打楽器などを加えて編成された楽団。吹奏楽団。

この「ブラス」というのは、実は真鍮のこと。

真鍮(ブラス)を使った楽隊(バンド)なので「ブラスバンド」

硬貨のことを調べていて、ブラスバンドの語源に行きつきました。

ラッキー!

 

 

硬貨の成分/銅が主成分なんだ

  

今日は4月22日。再スタートから9日目。

   

前投稿のつづき。

硬貨について調べたこと。

硬貨に「平成24年」というように元号が刻印されている理由。

前投稿で紹介したサイトから引用。

http://homepage2.nifty.com/osiete/s497.htm

硬貨は、金、銀、銅、錫、アルミなど、様々な金属でできていますが、

これらの金属の値段は相場によって大きく変動するため、

製造コストをにらみながら、毎年、金属の含有比率が調節されているそうです。

だから、硬貨には、金属の含有比率がすぐにわかるように製造年が記されているということです。

  

そうなんだ。

ではそれぞれの硬貨はどんな成分でできているのだろう。

   

1円玉はアルミニウム。

5円玉は黄銅(銅と亜鉛の合金/銅が1000分中の600以上700以下)

10円玉は青銅(銅と錫、亜鉛の合金/銅が1000分中の950)

50円玉と100円玉は白銅(銅とニッケルの合金/銅が1000分中の750)

500円玉はニッケル黄銅(銅と亜鉛、ニッケルの合金/銅は1000分中の720)

   

意外でした。

1円玉以外はすべて銅が主成分でした。

10円玉はいかにも銅!でしたが、他の硬貨もそうだったのですね。

金?銀?・・・記念硬貨のことでしょう。

さらに勉強になったのが黄銅。

  

「黄銅の別名は( ① )です」

  

①に入る言葉がわかりますか?

   

   

   

正解は「真鍮(しんちゅう)」です。

次の投稿で「真鍮」について書きます。

 

 

平成24年の100円硬貨と早くも対面

  

今日は4月22日。再スタートから9日目。

   

3月27日に財布の中に「平成24年」の100円硬貨があることに気がつきました。

今は確か・・・平成24年。まだ3月。なかなか早い対面でうれしくなりました。

RIMG0697100円裏 RIMG0698100円表
  

当然ですが、輝いています。

   

さて、ここで疑問。

「平成24年」とある硬貨は、やっぱり平成24年になって作られたのだろうか。

調べてみました。

このサイトが参考になりました。

http://homepage2.nifty.com/osiete/s497.htm

   

「平成24年」の硬貨は、やっぱり平成24年1月~12月に作られた硬貨です。

できたてのほやほやでした。

このサイトに、昭和64年硬貨についても書いてありました。

昭和64年は1月1日~7日しかありません。

したがって「昭和64年」の硬貨はすごく少ないのではと考えます。

昭和64年は例外だったようです。

天皇崩御によって、急きょ「平成」となったので、すぐに新しい硬貨はできませんでした。

なので、平成になっても「昭和64年」硬貨は作り続けられました。

昭和64年よりも少ない年もあります。必ずしも昭和64年が最も少ないわけではありません。

しかし、50円硬貨と100円硬貨は作られませんでした。もし、あったら偽硬貨?

 

「合奏」「バベルの塔」「女占い師」のマンガ

  

今日は4月22日。再スタートから9日目。

   

前投稿のつづき。

   

ギャラリーフェイク 第15巻」(細野不二彦作/小学館文庫)を読みました。

 

ギャラリーフェイク 15 (小学館文庫 ほB 25)
ギャラリーフェイク 15 (小学館文庫 ほB 25) 細野 不二彦

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フェルメールの作品で、1990年に盗まれた「合奏」に関する話でした。

フェルメールの贋作者ハン・ファン・メーヘレンの名前も登場します。

なかなか面白いストーリーでした。

マンガはもちろんフィクションですが、このマンガによると、

半年後には、「合奏」の真作が無事に修復されて戻ってくることになています。

本当にあった事件を巧みに使ったマンガ。お薦めです。

難点は、男の人の顔が主人公以外よくない。なんか貧相。

    

第16巻も一緒に手に入れて読みました。

こちらには、ブリューゲルの「バベルの塔」が出てくる話があると知ったからです。

※参考:「バベルの塔をじっくり見たい」html

でも、こちらは「バベルの塔」は脇役でした。

第16巻で面白かったのは、ラトゥール(フランス)という画家の絵「女占い師」が絡む話。

このマンガで初めてこの絵を知りましたが、ちょっと愉快な絵です。

Onna
「女占い師」(1630年頃)

中央の男に、占い師の老婆がコインを示して話をしています。

そうやって気を引きつけている間に、老婆の3人の娘が男から貴金属を奪おうとしています。

「だまし」がテーマの絵です。

そしてマンガも「だまし」がテーマでした。

主人公が見事にだまされます。

   

美術品の薀蓄を盛り込んだマンガ。ちゃんとこういうマンガもあるのですね。 

   

 

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