2012年4月22日 (日)

「合奏」「バベルの塔」「女占い師」のマンガ

  

今日は4月22日。再スタートから9日目。

   

前投稿のつづき。

   

ギャラリーフェイク 第15巻」(細野不二彦作/小学館文庫)を読みました。

 

ギャラリーフェイク 15 (小学館文庫 ほB 25)
ギャラリーフェイク 15 (小学館文庫 ほB 25) 細野 不二彦

小学館 2007-04
売り上げランキング : 281292


Amazonで詳しく見る
by G-Tools

  

フェルメールの作品で、1990年に盗まれた「合奏」に関する話でした。

フェルメールの贋作者ハン・ファン・メーヘレンの名前も登場します。

なかなか面白いストーリーでした。

マンガはもちろんフィクションですが、このマンガによると、

半年後には、「合奏」の真作が無事に修復されて戻ってくることになています。

本当にあった事件を巧みに使ったマンガ。お薦めです。

難点は、男の人の顔が主人公以外よくない。なんか貧相。

    

第16巻も一緒に手に入れて読みました。

こちらには、ブリューゲルの「バベルの塔」が出てくる話があると知ったからです。

※参考:「バベルの塔をじっくり見たい」html

でも、こちらは「バベルの塔」は脇役でした。

第16巻で面白かったのは、ラトゥール(フランス)という画家の絵「女占い師」が絡む話。

このマンガで初めてこの絵を知りましたが、ちょっと愉快な絵です。

Onna
「女占い師」(1630年頃)

中央の男に、占い師の老婆がコインを示して話をしています。

そうやって気を引きつけている間に、老婆の3人の娘が男から貴金属を奪おうとしています。

「だまし」がテーマの絵です。

そしてマンガも「だまし」がテーマでした。

主人公が見事にだまされます。

   

美術品の薀蓄を盛り込んだマンガ。ちゃんとこういうマンガもあるのですね。 

   

 

フェルメールの盗難事件

   

今日は4月22日。再スタートから9日目。

  

前投稿のつづき。


合奏
   

フェルメール作の「合奏」です。

この絵は1990年に盗難に遭い、いまだに発見されていないそうです。

30数点しかないフェルメール作品。1点でも行方不明というのは残念なこと。

調べてみると・・・知らなかったことがいくつか出てきました。

贋作のマンガがある。

ギャラリーフェイク」(細野 不二彦作/小学館文庫)

そして「合奏」に関する話もあるとのこと。

映画もある。

消えたフェルメールを探して / 絵画探偵ハロルド・スミス」(レベッカ・ドレイファス監督・撮影/2005年)

盗まれた「合奏」を探偵が探すドキュメンタリー映画・・らしいけど、どんな映画なのだろう?

  

マンガも映画も見てみたい。

フェルメール。こだわるといろいろあって、やっぱり面白い。

フェルメールの贋作事件

  

今日は4月22日。再スタートから9日目。

   

以前、オランダの画家フェルメール(1632-1675年)について書きました。

「天空の破片」b

   

それ以後、「フェルメール」への関心が高まり、2冊本を読みました。

私はフェルメール 20世紀最大の贋作事件」(フランク・ウイン著/ランダムハウス講談社) 

51qSaq9YN5L__SL500_
   

もっと知りたいフェルメール 生涯と作品」(小林賴子著/東京美術)

511Vdgz+nTL
   

この2冊とも、フェルメールについての贋作について書いてありました。

フェルメール没後、作品が30数点と少なく、

それらが個人コレクションだったため公開されていなかったこともあって、

フェルメールの名声は、没後立ち消えになっていたそうです。

19世紀後半になって再評価されて有名になり、

まだ作品はあるのではないかと思われていました。

贋作を作る人にとって、フェルメールは魅力があったというわけです。

    

20世紀最大の贋作事件を起こしたのは、ハン・ファン・メーヘレン(1889~1947年)。

彼は、フェルメールと同時代の絵を手に入れて、

その作品の絵具をそぎ落とし、そこに自分の絵を描きました。

フェルメールの使っていたのと同じ絵の具を調合して作り、

古く見せるために、ひび割れを人工的に作りました。

そしてフェルメールの技法をまねて絵を描きました。

ただフェルメールが描かなかった主題の作品を作りました。

贋作といえば、有名な絵の精巧なコピー程度に思っていた私の発想を変えてくれました。

私はフェルメール」の中で、ハンが2作目のフェルメールの贋作になる「エマオのキリスト」を作りあげ、

売買するまでの過程は、実に克明に書かれていて、読んでいて共犯者になった気持ちになります。

Tc2_search_naver_jp「エマオのキリスト」(1937年)

この作品は、多くの専門家をあざむき、フェルメール作品として高額で売られ、

オランダの美術館にフェルメールの作品として飾られました。

ハンが逮捕され、「エマオのキリスト」は自分が描いたものだと言っても、

多くの人は信じませんでした。

   

フェルメールをめぐって、こんな事件があったことを知って、不謹慎にも?うれしくなりました。

何にこだわっても、面白いことにぶつかります。 

2012年4月21日 (土)

「きもちのこえ」(大越桂著)・・・初めて字を書く時

     

今日は4月21日。再スタートから8日目。

  

前投稿のつづき。

きもちのこえ」(大越桂著/毎日新聞社)より。

桂さんが、気管切開で声を失った後に、

初めて字を書く時のシーンは劇的です。

ここだけ、「詩」になっています。

   

(前略)

織姫先生(※養護学校の先生)はすごい贈り物をくれました。

少しだけ動く手で、字を書いてみたら、と言うのです。

(どっひゃー!!! なにーーー!!! やりたいやりたい!!!)

と私。

動きはもちろん、ど緊張。

母はほとんど半信半疑。こっくりさんでしょ、と疑っている。

試しに左手にペンを持たせてもらう。

ついつい緊張で、腕が後ろに引き込まれる。

先生が腕を押さえて曲げてくれながら、緊張の落ちる場所を探す。

いいところで紙を当てて、レッツゴー!

   

かつらの「か」だ。

動かそうとすると腕はこわばる。

行きたくないほうに行く。

わざわざ何で反対に行くのか、頭にくる。

腕の緊張は全身に広がって、汗だくだ。

ペンが紙に当たると、その刺激がよくわかった。

ここから書くぞと脳から命令する。

   

実は私は字をとっくに知っていた。

小学校のときに、近くで勉強している人の字を必死でぬすみ見していたのだ。

「か」の形だってイメージバッチリである。

それなのに、行きたいほうに腕が行かないのだ。

しかし!

織姫先生は一生懸命腕の緊張を戻しながら、

私が自分で動かした一瞬をわかってくれたのです。

 

「か」のカーブをカーブを感じ取ってくれたのです。

はっきり言って、緊張の中の動きを感じ取るのは難しいことだと思います。

ですから、私が意志で動かしている動きがある、

そのことを知ってもらえたことが感動そのものでした。

きっとこれで、通じる人になれる。

その予感と、喜びと、疲れでドンと覆われました。

もちろん吐いてしまいました。

かつら、と書くのに10分もかかりました。

でも、私が書く、というチャンスをはじめて与えてもらったのです。

書かされているのではないのです。

私の手の動きを、辛抱強く待ってくれているのです。

しかも、無駄なまひを遠ざけて、

その中に現れる一瞬の動きに神経を払ってもらえるのです。

このチャンスに応えなくてどうするんだ!

全力で書きました。

(中略)

これで通じる人になれる。

これで石でなくなる。

これで物でなくなる。

これで本当に人間になれる。  (172~175p)

  

   

表現したい!という気持ちが爆発した感じ。

よかったぞう。

桂さんならではの体験とその時の細かい気持ちまでが伝わってくる文章です。

他の本も読んでみたくなります。

     

 

「きもちのこえ」(大越桂著)・・・脈で会話!

 

今日は4月21日。再スタートから8日目。

休んでいる時のメモを次々手直しして、投稿しています。

前投稿のつづきです。

大越桂さんのことを知ったのは、3月7日の朝日新聞朝刊でした。

   

大越さんの本「きもちのこえ」(毎日新聞社)が手に入ったので、読みました。

89
   

大越さんが19歳の時に書いた本です。

1年かかって書いた本と聞きました。

確かに、文中に書いてある彼女の書くスピードだと、さもありなんと思います。

よくぞこんなに書いたと驚きます。

彼女のような状態だから気づくこと、思うことがコマめに書かれていました。

そうかこう感じるんだ、こう思うんだと、よくわかりました。

   

大越さんは、ちゃんと聞こえているのに、聞こえていないと思われていました。

いろいろ考えているのに、考えていないと思われていました。

彼女の表現方法が限られていたからです。

ある日、横に付き添っていたお母さんが、発見します。

看護士さんが、呼吸器を調整しようとすると、大越さんの脈拍数が上がることがモニターで分かったのです。

大越さんが、表面上は眠った状態に見えても、聞こえていて、

ちゃんと反応していることに気づいたのです。

   

私が、眠った状態に見えても「意識は起きていることがある」ことを理解してもらえたおかげで、

状況は激変しました。

脈拍で会話ができるようになったのです。

たとえば、起きているか、眠っているかは、見た目にかかわらず話しかけて

確認してくれるようになりました。

そして、起きているときに、音楽をかけてくれるようになりました。

うるさいと感じる曲の時は「うるさい、うるさい、だめだめ」と

いやだオーラを出すと脈拍が少し上がり、

好きな曲だと「これはいいね!」と安心オーラになるおかげで、

脈が落ち着くのだそうです。(中略)

脈拍によるコミュニケーションは、細かいことまでは通じないけれど、

少なくとも「関わってもらえる可能性」が生まれた、そのことに意味がありました。 (122~123p)

   

自分の思いが伝わらない状態がずっと続いていた大越さん。

脈で伝わったことに感激しています。

こんなこと、今までの自分には想像もつかないことです。

   

ただ、「ジョニーは戦場へ行った」(小説・映画)を思い出しまた。

主人公が試みたことと共通します。

※参考:「Wikipedia ジョニーは戦場へ行った」F

   

次の投稿につづく。

 

 

初めて知った大越桂さん

  

今日は4月21日。再スタートから8日目。

   

3月7日の朝日新聞朝刊の「天声人語」です。

EPSON0903月7日天声人語
  

この文章を読んで、大越桂さん(23歳)のことを初めて知りました。

大越桂さんがどんな人か、次のサイトから引用します。

「NIYO NIYO Vol27 2007年秋号」htm・・・引用した文以外も読むことをお薦め

  

仙台市出身。重度の脳性まひで、13歳で気管切開し、声を失うが、

中等部1年のときに字を習い始める。2年生から詩の創作を始め、

通信を発行し、その冬の2004年12月にブログ「積乱雲」を作成。

創作は詩のほか、短歌、書などの分野に広がる。

   

インタビューで、「障害のこと、言葉を書くようになるまでを教えてください。」という

質問に次のように答えています。


「私は819グラムの、とても小さい未熟児で生まれました。

双子の姉がいましたが、出産のときに死にました。

私は脳性まひの障害を持っています。また未熟児網膜症で、強い弱視です。

そこまでは普通の障害でしたが、中学のときに気管切開をして、声が出なくなりました。

それまで、色々と耳で聞いて言葉は分かっていたけど、

伝えられなくなってストレスで吐き、とてもやせてしまいました。

肺炎などになって、小学校6年から中学3年の夏まで入院しました。

その入院中に気管切開をした後、養護学校の先生に字を書くことを習い始めました。

一年生から、あいうえおの練習をして、自由に書けるようになったのは2年生のときです。

初めは単語で用事を伝えていましたが、

段々、詩というか、おしゃべりとは違う作品をつくるのが面白くなりました」

   

表現手段が手に入ってよかったねと思います。

 しかし、いろいろな人がいます。

 こんな人生というか、生い立ちを経て、今にいたっている人がいるのですね。

うれしくなります。みんないろいろなんだ。いろいろなのが当然なんだ。

 大越さんの作品に触れたくなりました。

   

大越さんのブログはここ→「積乱雲」/   

 

 

 

 

「諦めない限り有効」の切符

  

今日は4月21日。再スタートから8日目。

   

こんな記事がありました。

釜石駅から「復興未来」ゆきの切符の販売の記事です。

3月11日に釜石駅前で発売されたそうです。

その切符の文面がいい。

T_TKY201203100163

http://www.asahi.com/national/update/0310/TKY201203100162.html  

   

諦めない限り有効」・・・何といい言葉だ。

    

youtubeでニュースも。

 

「神奈川沖波裏」の現場はどこ?

  

今日は4月21日。再スタートして8日目。

    

前投稿のつづき。

      

北斎 富嶽三十六景の旅 天才絵師が描いた風景を歩く」(平凡社)を利用。

図工の授業で使った絵の1枚。

EPSON087「神奈川沖波裏」

この絵は、「神奈川」とあるので、「神奈川県」が浮かんでいました。

したがって、神奈川県の南、相模湾海上から富士山を見た構図と思っていました。

でも違うようです。

ここで言う「神奈川」は、現在の横浜市神奈川区付近のことであり、

これは千葉県の木更津市と、東京湾を挟んで対岸にあります。

これが現場の地図です。

EPSON089波の説明
   

神奈川と木更津を結んだ海上から富士山方面を見た構図というわけです。

最初にイメージした場所とは大きく違いました。

  

   

さらに・・・

葛飾北斎は「冨嶽三十六景」の中で2枚、地元愛知県の絵を描いていました。

ひとつはこれ。

Img663fb1178g7l1o「尾州不二見原」

この絵の現場は、名古屋市です。

比較的有名な絵です。

作りかけの大きな樽の中に富士山を配した構図が恰好いい。

もう1枚は、隣の豊橋市が現場でした。

EPSON088豊橋の絵「東海道吉田」

この絵の説明を引用します。

吉田宿は東海道34番目の宿場で現在の豊橋。

そこに「不二見茶屋」という看板を掛けるほど、富士の絶景が見られる茶屋があったのだろう。

旅の女の2人は縁台に座って富士を眺め、茶屋の娘の説明に耳を傾ける。

富士は窓枠で切り取られ一幅の掛軸のように美しい。

駕籠かきの1人は草履を木槌で叩いている。

「お茶つけ」の看板の下に「根元吉田ほくち」とあるが、これは元祖吉田火口(ほくち)の意。

火口とは火打石の火を移し取るもので、当地の名物だった。 (44p)

   

「吉田火口」に興味あり。また調べてみよう。

  

豊橋市のどこであるかは、よくわかっていない模様。

豊橋市には富士見台という場所があります。

そこは高台になっていて、とても見晴らしのいいところです。ここかな。

北斎がすぐ近くの絵を描いていたのがうれしかったです。




「隅田川関屋の里」の現場はどこ?

 

今日は4月21日。再スタート8日目。

    

葛飾北斎の冨嶽三十六景の一つ「隅田川関屋の里」を以前授業で使いました。

無題

その時に、この絵が描かれた現場がどこか調べました。

図工の授業3・・・「冨嶽三十六景 隅田川関屋の里」.html

  

最近、いい本を見つけました。

「北斎 富嶽三十六景の旅 天才絵師が描いた風景を歩く」(平凡社)

51Zx-zf-fHL
   

この本で、現場がどこかわかります。

さっそく「隅田川関屋の里」の現場を調べました。

地図を転載します。

EPSON086場所の説明
   

この地図と、上記投稿の地図を比べてください。

ほぼ一致。

うれしくなりました。

篤姫が18歳まで過ごした場所

 

今日は4月21日。再スタートから8日目。

    

前投稿に引き続き、3月7日放映の「ザ今夜はヒストリー 篤姫」より。

こんな映像あり。

RIMG0596喜んで登校 
   

この小学校は、篤姫が子どものころ(18歳まで)に過ごした今和泉島津家館跡に建てられた小学校だそうです。

今和泉小学校のHPに、篤姫のことを解説しているところあり。

ここです→「指宿市立今和泉小学校 天璋院篤姫」htm

   

番組でも、ゆかりの井戸が紹介されていました。

RIMG0599井戸
   

大河ドラマ「篤姫」放映のおかげで、自分たちの学校により誇りをもっただろうなあ。

しかし、薩摩の中の指宿。南端です。

そこから将軍家に嫁入りして、薩摩に帰らなかった篤姫。

すごい人生だ。

 

   

小学校の校舎に掲げてあるスローガンがいいです。

喜んで登校 満足して下校

いいこと言うなあ。

子どもたちが毎日そう思ってくれたらいいな。

これは、教師に対するスローガンですね。   

最近の写真

  • Img_9162
  • Img_7527
  • Img_7526
  • Img_9148
  • Img_2012
  • Img_7520
  • Img_7524
  • Img_7523
  • Img_7522
  • Img_7521
  • Img_9157
  • Img_7503

楽餓鬼

今日はにゃんの日

いま ここ 浜松

がん治療で悩むあなたに贈る言葉