2014年9月 6日 (土)

3度目の挑戦 第一竪坑(シャフト)

 

今日は9月6日。

2学期の最初はなかなかハードでしたが、どうにか乗り切れました。

今日は京都へ行きます。

村上公也先生の「キミヤーズ塾」に参加します。

この塾に参加して頭を柔らかくして、新しい発想で仕事に取り組みたいです。

教師は「アイデアと根気、そして笑顔」ですからね。

  

もう一つの目標は、琵琶湖疏水の長等山トンネルの第一竪坑を見に行くこと。

これが3度目の挑戦です。

ここでも道草 大阪からの帰りに大津へ/琵琶湖疏水第1トンネル入口(2014年9月15日投稿)

ここでも道草 村上先生週間6/3月8日の講座/ジャンパーが欲しかった(2014年3月9日投稿)

  

次のサイトが今までも参考になっています。

琵琶湖疏水を追って 一冊の絵本から 長等山トンネル第一竪坑を訪ねて 2

  

  

もうじき出発します。

  

2014年9月 5日 (金)

タブレットでテレビが見れる/ハードな週

 

今日は9月5日。

  

8月31日に下山して、9月1日(月)から2学期。

10月30日の研究発表に向けて、今週はなかなかハードです。

9月1日が午後10時、2日は午後11時帰宅。

3日は検討会がなく早く帰って、午後6時。

後回しにしていたことをやろうとしましたがダウンして早寝。

そして4日は午後11時過ぎ帰宅。

6人で3学級の授業案を検討しています。

夏休みから検討中の授業案ですが、時間をかけているだけのことはあって、

私の授業案もなかなかいいものになってきています。もう一息。

夏休みに流れはほぼ決まっていましたが、細かい文章表現まで直していきました。

 

 

ソフトバンクのお店に行ったら、こんなパンフレットがありました。

20090101_00000041   

新しいポケットWIFIを使えば、タブレットでテレビを見るこできるのですね。

できないことがどんどんできるようになる時代なんです。

  

2014年9月 2日 (火)

「堺スタイル」から勉強

今日は9月2日。

  

以前のの投稿で、「堺スタイル」について書きました。

ここでも道草 それを「堺スタイル」と言っちゃうの?(2014年8月27日投稿)
  
 

「学校とICT」(Sky株式会社)を引用します。

「堺スタイル」は次のように提示されています。

 

本市(堺市)にとってタブレット端末の効果的な活用方法は、

「教員が指導用として、タブレット端末と大型デジタルテレビを接続して活用」

するスタイルであり、ICT活用と「従来からの授業手法」との融合を

実現させる効果的な手法である。(3p)  

大事なのは、ここで言う大型デジタルテレビとの接続は、

無線での接続だということです。

   
こんな項目がありました。

「タブレット端末を大型デジタルテレビと無線接続することにより期待する効果」
  

何だと思いますか?
  

堺市では9つも考えています。

そのうちのいくつかを引用します。
 

 

・子どもの様子を確認しながら、タブレット端末画面を操作し、

より適切な教材を効果的に表示することが可能。

・黒板から離れ、机間から教材提示・指導が可能。(4p)  

 

教室内を教師があちこち移動できる。

そこでタブレット端末が操作でき、大型テレビに映せます。

ノートパソコンを教室に持ちこんだ場合、いろいろな問題点がありました。

まずはコードの接続。これが手間です。

そしてコードの距離しかノートパソコンを移動できないので、

教師の移動距離も制限されます。

この違いは大きいと思うし、活用したいところです。
  
  

・子どもが自席で書いた図やグラフなどをリアルタイムに表示して、

全員で共有することが可能。(4p)  

これは残念ながら、私のタブレット端末にはない機能。

背面にカメラがないのです。

できたらいいと思います。

これも当然ながら、ノートパソコンにできないこと。

実物投影機はできますが、机間移動中に撮影してテレビ画面に送り込むことができます。
  

こうやってじっくりやっている堺市。

やっぱり「堺スタイル」と呼ばれることになるのかな?

タブレット端末を大型デジタルテレビと無線接続することにより期待する効果は?

と尋ねられたら、どう答えますか?

何か思いつくことがあったら教えてください。

2014年9月 1日 (月)

思えば赤石山脈を歩いてきた1./昔懐かしい名前「赤石山脈」

  

今日は9月1日。

  

2学期の初日。たくさん働きました。

  

昨日まで3日間、山にいました。

山の先生のNさんとは、2年ぶりです。

もう2年が過ぎてしまったのですね。

ここでも道草 今年は中央アルプス1・・・菅の台バスセンター~池山避難小屋(2012年9月3日投稿)

  

今回は南アルプスでした。

3日間歩いて、出発地の椹島(さわらじま)で買ったTシャツの写真です。

Rimg4425   

このTシャツの写真を使って、今回の行程を示したくなりました。

実行。

Rimg4425_2   

8月29日(金) 椹島→千枚小屋のテント場でテント泊

8月30日(土) 千枚小屋→千枚岳→荒川三山→赤石岳→赤石避難小屋箔

8月31日(日) 赤石避難小屋→椹島

   

忙しい時ですが、少しずつ道草をして、登山の様子を記録しておきたいです。

  

  

今日ふと思いました。

赤石岳と言えば・・・・・赤石山脈。

懐かしい響きです。

木曽山脈、飛騨山脈、そして赤石山脈。子どもの頃に覚えました。

社会科教師として、中学校でも子どもに覚えさせたかな。

しかし、しばらくご無沙汰していました。

気づけば、その赤石山脈のど真ん中を歩いてきたのです。

懐かしい名前に出会い、うれしくなりました。

 

なぜご無沙汰していたのでしょう?

  

  

  

  

最近は「南アルプス」「中央アルプス」「北アルプス」という言い方ばかりでしたね。

  

失礼ですが・・・「赤石山脈」の名前は、今も現役なのでしょうか?

現地に行っても、「南アルプス」という名前は見かけました。

今回買ったTシャツにも登場しています。

今でも高校受験に向けて中学生は覚えているのかな。

   

  

昔懐かしい場所に行っていたことに気がついて、

あらためていい所に行けたと思いました。

  

また後日報告します。

明晩は、番組「肢体不自由児たちの学童疎開」のまとめを進めたい。

  

2014年8月28日 (木)

寝袋を買っちゃいました

 

今日は8月28日。

  

Rimg4421  

これは寝袋です。

左側が、今まで使ってきた寝袋です。

暖かくていいのですが、大きいです。

ザックに入れると、すごく場所をとってしまいました。

そこで・・・・奮発して買ってしまいました。

それが右の寝袋です。

体積で3分の1になったと思います。

空いた分、山で飲むビールが入るんじゃないかと思いきや、

なぜか入らない。なんで?

  

  

明日は早起きして山に行きます。

2泊3日です。

少しブログはお休みです。

2014年8月27日 (水)

毎日タブレットいろいろ10/ラジオとタイマーのアプリ

  

今日は8月27日。

  

またタブレットの情報が届いたので、ここに転載します。

  

スマホやタブレットでラジオを聴くなら、 いろいろありますが、私はこれをオススメします。

  

ワールドカップを学校で観戦しようと思ったら、テレビが映らず、 ラジオに変更。

子どもたちも静かに聴いてくれました。         

  

  

また新しいタイマーを見つけました。

今回の特徴は、10秒刻みで時間を教えてくれます。

  

子どもを焦らせること間違いなし!       

  

情報提供者はSHOさんです。

  

  

タイマーのアプリはいろいろあるようです。

先日は、同僚の先生が「こんなのがあったよ」と教えてくれました。

  

タブレットを買ってもらっ学校があるとのこと。

もうそういう時代ですよね。

買ってもらいたいなあ。

ポケットWi-Fiって、今はすごいのが出ていますね。

私が買った1年半前から進歩していました。

タブレットでテレビ番組が見れるようです。

それを「堺スタイル」と言っちゃうの?

 

今日は8月27日。

  

同業者の方々、こんな冊子が届いていませんか?

Jjjjjjj   

「学校とICT 8月号」(sky株式会社)です。

  

来るのが楽しみでした。

タブレットを使った教育の情報が得られます。

8月下旬に届きました。

  

  

大阪府の堺市の実践が載っています。

堺市では、教員が活用するタブレット端末を、

平成25年度に全小学校の全普通教室に1台ずつ、

計1500台整備したそうです。

教員がタブレット端末を指導用に活用し授業改善に取り組むスタイルを

「堺スタイル」と呼んでいるそうです。(自称かな?)
  

以前はノートパソコンと大型テレビをつないでの実践でしたが、

今はタブレットと大型テレビを無線でつないで行うそうです。
  

本年度、支援学級に500台配備するそうです。

特別支援学級担任としては、支援学級が後回しになっていることが気に入りませんが、

市を挙げての実践研究がうらやましいです。
   

教師がタブレットを持って、大型テレビと接続しての実践は、今、自分たちがやっていること。

それを「堺スタイル」と呼ばれ、それが全国に浸透したら、少々つまらないなあ。

  

いいアイデアを考えよう。堺市に負けたくない。

「肢体不自由児たちの学童疎開」引用5/疎開先が上山田村に決まる

  

今日は8月27日。

 

前投稿のつづき。

  

8月9日放映の「ETV特集 ”戦闘配置されず”~肢体不自由児たちの学童疎開~」から。

  

  

戦争になり、「現地疎開」をしていた光明学校。

 

1945年3月10日の東京大空襲を、世田谷の学校から見ていた松本保平校長は、

危険を感じて決意します。

  

「遺稿集」より:

 

ここも安全な地ではない。これ以上とどまるのは危険である。

「太古では、生存のための闘争が激しかったので

足手まといの肢体不自由児や老人は常に取り残されて、

死ぬがままに任された」と記録にあるが、

いまは太古ではないはずだ。

疎開先は自分で見つけるしかないだろう。

しかし、光明の児童を引き受けてくれる県があるだろうか。

  

松本校長は疎開先を探しに出かけます。

向かった先は長野県。

紹介されて上山田村に行き、村長に会おうとしますが、

会うことすらできませんでした。

Rimg4400  

しかし、あきらめては子どもたちはもう生きていられないと思い、

さらに会うことをお願いしました。

さらに、上山田村の旅館・ホテルに直接交渉もしました。

松本校長の熱意に、温泉旅館の人たちが村長を説得。

村長と会うことになりました。

Rimg4401

松本校長と話した村長は、松本校長の一途さにほだされて、

疎開を受け入れることを了承しました。

何と、村長が経営する宿がその場所になりました。

いいぞ、村長!

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疎開先は決まりました。

上山田村はどこにあるのでしょう。

調べてみました。

  

う~ん、もう昼です。 午後からは出張で飲み会。

今日はここまでかな。最後までまとめたかったけど、中断します。

「肢体不自由児たちの学童疎開」引用4/就学免除申請→認可の形

  

今日は8月27日。

  

前投稿のつづき。

  

8月9日放映の「ETV特集 ”戦闘配置されず”~肢体不自由児たちの学童疎開~」から。

  

番組はここで光明学校の歴史、というか肢体不自由児の教育の歴史に触れています。

これがまた驚きの内容でした。

  

昭和の初め、まだ肢体不自由児の学校はありませんでした。

ではでは、普通の学校に行っていたかというと、

そうではありませんでした。

明治19年の小学校令で、政府は初等教育を義務化しましたが、

障害のある子どもたちを受け入れる環境が十分の整っていませんでした。

なので・・・・ここが驚きです。

  

ナレーターの話:

 

ほとんどの場合、親は就学免除を申請して、

それを行政側は認可するという形がとられました。 

肢体不自由児など障害のある子供が教育を受ける権利は

保障されていなかったのです。

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繰り返します。

親が就学免除を申請して、それを認可してもらう形!

こんなことが行われていたのですね。

  

そしてつらい思いをした人の声が出てきます。

花田春兆さんです。

Rimg4391  

花田さんが6歳の時、両親は就学免除を役所に申請しました。

その時の悔しさを著書「折れたクレヨン」に記しています。

  

親としても子どもとしても、入学を望んでいないわけではないのに、

そんなものを書かなければならない。

その時私はクレヨンで絵を描いていた。

学校へ行きたいという思いは、激しく募っていた。

描いているはずの絵が涙でぼーっと霞んでくる。

握りしめた手に余計な力が入ってくる。

ポキッと音を立てて手の中のクレヨンが折れた。私は、泣いた。

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中村尚子さん(立正大学准教授・肢体不自由児教育)の話:

 

知的障害に伴うような重度の(肢体不自由の)子どもたちの過ごしていた生活というのは、

外に出してもらえないということですね。

家で閉じ込められている中で、

短命に終わった子供たちというのもたくさんいるんじゃないかなと思います。

Rimg4394

  

これは、実は目の当たりにしています。

今から30年ほど前、勤務の関係で通るようになったある交差点で、

赤信号で止まると、すぐ横の家の格子がはめられた部屋に、

障害を持つ男の人がいてよくわからない声を発しながら、手を出していました。

その手が自動車に触れそうで、少々怖かったです。

何歳くらいの人だったのか?

30とか40くらいでしょうか?大人でした。

年齢不詳です。

でもその交差点に止まるのはとても辛かったです。

部屋に閉じ込められていた障害者なのだと思います。

5年ほどその状態でしたが、いつからか姿を見なくなりました。

どこかに引っ越したか、亡くなったか。

あの状態は、家族にとっても大変なご苦労だったと推察します。

そんなに過去のことではないのです。

  

  

そしていよいよ光明学校ができます。

 

ナレーターの話:

 

大正時代になると自由主義的な風潮が広がり、

それまで教育を受けられなかった子どもたちへの関心が高まります。

昭和7年、日本初の肢体不自由児のための学校、東京私立光明学校が開校しました。

入学者数34人からの出発でした。

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先ほどの花田さんにとっても、待ちに待った開校でした。

昭和9年、花田さんは9歳で入学します。

花田さんの話:

 

ひとりぼっちでいたから、(光明学校が)できて、助かったと思った。

うれしかったよ。まさに光明だった。ひとりぼっちの世界から、抜け出せる喜び。

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光明学校では、手に職をつけるための授業も行われ、

男子も裁縫の授業に参加しました。

当時としては、とても珍しいことだったそうです。

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学校には看護師が配置され、治療も行われました。

教育と治療という2本柱を備えた画期的な施設でした。

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しかし、時代は戦争の時代に突入していきます。(つづく)

「肢体不自由児たちの学童疎開」引用3/「良心に対して恥かしくありませんか」

  

今日は8月27日。

 

前投稿のつづき。

8月9日放映の「ETV特集 ”戦闘配置されず”~肢体不自由児たちの学童疎開~」から。

  

松本保平校長は、行動します。

 

ナレーターの話:

 

光明学校が集団疎開から取り残される中、

松本校長は思いもよらない代替策に踏み切ります。

  

昭和19年7月のことでした。

当時はまだ、農地が広がっていた世田谷の校舎で

子どもたちと合宿生活をすることにしたのです。

都心から通う子供たちが多かったため、

ここに避難させる方が安全だと考えてのことでした。

当時、光明学校に通っていた子どもたち111人のうち、

半数を超える59人が親元を離れて学校に寝泊まりすることになりました。

校庭にはこうした防空壕を4つ作り、

子どもたちと教職員およそ150人が避難できるようにしました。

Rimg4385  

これが番組冒頭で言っていた「現地疎開」だと思います。

集団疎開ができないから、実行した「現地疎開」でした。  

  

しかし!ここで松本校長は非常に厳しいことを言われます。

合宿生活を見に来た隣の区の国民学校の先生たちが、

帰り際に言った言葉は、耳を疑う言葉でした。

※絵は、森田拳次さんの描いたものです。

 

Rimg4386  

見学者:

 

お見かけしたところ、先生は五体満足にそろって、立派な体をしておられる。

それなのに先生は、この子どもらの相手をして、

毎日腹いっぱい食べて日光浴を楽しんでいる。

いま、日本は非常時です。

われわれの同朋は極寒の満州で寒さをこらえ、

飢えに耐えて戦っているのです。

先生はこの勇士に対して申し訳ないと思いませんか。

良心に対して恥ずかしくありませんか。

  

そのとおり。そうだ、そうだ。

  

すぐにこの子供らを親元へ返し、この立派な施設をお国の役に立てたらどうです。

Rimg4387   

最初の一人が言った後に、誰か制する人がいるかと思いきや、

「そうだ、そうだ」の声。ドキリとしました。

このような雰囲気だったのです、戦時下の日本は。

「良心に対して恥かしくありませんか」まで言うのか。

戦争は、弱者への考え方をこうも変えてしまうのかと驚きました。

こんなに変えてしまうんだと言うことを、

ここにも書きとめておくのは意義あることだと思いました。

人間の予想以上に人間を変えますよ。

  

  

後に、松本校長はこの時の気持ちを子どもに語っていました。

子どもの一人、秋山孝さんの証言:

  

教育関係者が見学に来て、こんな子どもたちを教育するのは無駄だって。

非国民っていわれたらしいですね、その時に。

それがすごく悔しかったって言ってましたね。

校長先生にしてみれば、その非国民という言葉にすごく傷ついたんですね。

情けなくて涙がこぼれるって言ってました。

  

ぐっと噛みしめていたのでしょうね。

そういう時代だと理解していたのでしょう。

(つづく)

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