「それぞれの街に、それぞれの沢村さん」高木正雄さんのこと
今日は8月28日。
前投稿に引き続き、
「後楽園球場のサムライたち」(澤宮優著/現代書館)より。
沢村栄治さんが京都商業に入った時の話。
京都商業はまだ野球部が出来て間もないチームで、
沢村一人に頼るワンマンチームであった。
打線も貧弱だからよい投手に当たれば手も足も出ない。
当時の京都は平安中学がもっとも強く、
ミラクル投手高木正雄(後慶応大学、戦死)がいて
京都商業は地方大会でもなかなか勝つことはできなかった。
(11p)
ここを読んだ時に、
ふたたびあの言葉が頭に浮かびました。
「それぞれの街に、それぞれの沢村さんがいた」
※ここでも道草 それぞれの街に、それぞれの沢村さんがいた(2018年8月21日投稿)
高木正雄さんに注目しました。
Wikipediaによると、甲子園に6回出場。1933年夏の大会で準優勝。
六大学戦でも活躍して、1939年秋季リーグで慶大の
13季ぶりの優勝の立役者となりました。
1942年に慶大を卒業。
その後応召され、1944年6月18日にビルマ・モガウンにて、
インパール作戦に従軍中にグルカ兵の急襲に遭い、
戦死しました。享年28。
東京ドーム内の野球殿堂博物館にある
戦没野球人モニュメントに、彼の名が刻まれているそうです。
「戦没野球人モニュメント」に刻まれている方々の名前は、
次のサイトで見ることができます。
「それぞれの街に、それぞれの沢村さん」の名前が、
たくさんありました。
でも先日記事にした阿部正さんの名前はないので、
もちろん、このモニュメントに刻まれた人たちも、
まだその一部でしかないと予想できます。
慶応大学の人たちの部分だけ転載。
高木さんの名前もあります。
沢村栄治さんが中卒ではなく、
入学が約束されていた慶応大学に進学していたら、
戦死する可能性は低かったと聞いたことがあります。
しかし、戦争は甘くはありません。
慶応大学に進学したとしても、
このように戦死している野球人がいたのです。
インパール作戦については、よくわかっていません。
今回、高木さんを調べていて出てきた作戦。
これを縁に、調べていきたい。
幸い、次の番組を録画しています。
2017年8月15日放映「NHKスペシャル 戦慄の記録
インパール作戦」
2学期が始まる前に見ておきたい。
(もう録画して1年が経つんだなあ)
高木さんを襲った「グルカ兵」とは?
調べました。
興味深い人たちでした。
またいつか記事にしたい。
高木正雄さんの写真を探しましたが、
見つかりませんでした。
写真でも、高木さんを記録しておきたい。
コメント