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2019年9月12日 (木)

『日本外史』が三好長慶の評価を下げた?

 

今日は令和元年9月12日。

  

日本外史』という本について、

ブログに書きたいと思っていたら、

今読んでいる「石狩川」(船山馨著/河出書房)に

登場しました。ビックリ。

  

椿の花の下で、山陽の日本外史を読み耽(ふけ)り、

胸をときめかした。

(265p) 

  

石狩川」は明治初期のお話。

日本外史』は、Wikipediaには次のように書いてありました。

  

『日本外史』(にほんがいし)は、江戸時代後期に

頼山陽が著した国史の史書(外史とは民間による歴史書の意)。

源平2氏から徳川氏までの武家盛衰史で、

すべて漢文体で記述されている。

文政10年(1827年)、山陽と交流があった

元老中首座の松平定信に献上され、2年後に大坂の秋田屋など

3書店共同で全22巻が刊行された。

明治以後、日本語口語体に訳された本も数社から刊行されている。

幕末から明治にかけてもっとも多く読まれた歴史書である

  

 

石狩川」の記述は、Wikipediaの説明と合致します。

  

では、なぜ『日本外史』を書きたいと思ったかというと、

次の番組を見たからです。

Rimg2051

Rimg2052  

6月19日放映の「信長より20年早かった男

最初の『天下人』三好長慶(ながよし)」です。

 

「天下人」というのは、戦国時代には、

京都を含む五畿内を支配した武将の肩書でした。

戦国時代最初の天下人は織田信長であり、

それを継いで豊臣秀吉、徳川家康と3人の名前が浮かぶのは

もう当たり前のことになっています。

しかし、信長よりも先に天下人となり、

信長よりも早く鉄砲を導入したり、

キリスト教を保護したりと革新的なことをしたのが

三好長慶でした。

もしかしたら、将来、歴史の教科書に載ってしまう人かなと

予感してしまう人でした。

 

それではなぜ、そんな三好長慶のことを、

私たちは知らないのか?

(アナウンサーが、自問していました)

 

番組によると、江戸時代中期までは、評価は高かったようです。

Rimg2053

☝ この文献の様に、三好長慶は高く評価されていました。

 

三好長慶の評価を下げたのが、実は『日本外史』だと

考えられているのです。

日本外史』は織田信長に重きを置いて書かれていました。☟

Rimg2054

Rimg2055

☝ 信長の無慈悲な性格も肯定していました。

しかし、三好長慶については、次のような記述。☟

Rimg2056  

日本外史』が読まれれば読まれるほど、江戸末期・明治時代に

織田信長の評価は上がり、三好長慶の評価は下がり、

三好長慶は戦国時代に何も功績をあげていないと思われて

今に至っているというのです。

  

  

坂本龍馬が今のように高く評価されたのは、

司馬遼太郎の小説「竜馬がゆく」がベストセラーになったからだと

聞いたことがあります。

 

 

歴史は流動的です。

三好長慶がどのような人物だったのか、

これを機会に勉強していきたいと思いました。

 

さっそくいい番組があります。

9月16日午後10時からBS-TBSで放映される

にっぽん!歴史鑑定 信長よりも先に天下人になった男

三好長慶」です。

Photo にっぽん!歴史鑑定HP

  

テレビ番組はいつも私の味方です。勉強、勉強。

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