2019年11月22日 (金)

愛媛で越冬できるようになったブラッドオレンジ

 

今日は令和元年11月22日。

 

11月20日朝日新聞朝刊「天声人語」が印象に残りました。

書き写します。

  

天声人語

「太陽が三つある」。愛媛県の沿岸部には、そんな言葉がある。

太陽そのもの、海面からの照り返し、段々畑を形作る石垣の反射。

たっぷりの陽光が育む温州(うんしゅう)ミカンの収穫が最盛期を

迎えている。▼かんきつ王国・愛媛で近年、存在感を増している

のは赤い果肉のブラッドオレンジ。日本より温暖なイタリア原産の

品種だ。県南部の宇和島市を中心に、ここ10年ほどで収穫量が

飛躍的に増えて年300トンに。▼「一昔前は日本の冬の寒さに

耐えられませんでした」。そう話すのは、市内にある県みかん

研究所の井上久雄所長(57)。生産を始めたのは昭和40年代。

寒波がくる前に収穫し、熟するまで保管していた。最近は地球温暖

化の影響で、実らせたまま越冬できるようになり、味が格段に良く

なった。▼一方で温州ミカンは作りにくくなった。夏の雨は激しく

なり、晩秋は冷え込み不足。そのせいで、皮が身からはがれたり、

糖度が下がったりする現象が増えた。農家の高齢化も進み、ピーク

時に県内で年61万トンあった収穫量はその2割を切った。▼多彩

な品種が実る所内を案内してもらう。大きくえぐられた山肌は、

昨夏の西日本豪雨の跡。骨組みだけになったハウスが痛々しい。

最長寿の温州ミカンの木は樹齢90年超。一ついただくと、甘みが

口に広がった。▼1本のアボガドの木があった。聞けば松山市では、

中南米原産のアボガド作りに力を入れているのだという。積み重ね

た歴史と、変わりゆく気候への対応。挑戦が実を結ぶよう祈った。

  

 

ブラッドオレンジがイメージできなかったので、

調べました。

Photo

楽天HP

   

出合っているのかな?

来年の3月には、気にしていよう。

  

 

紅葉の時期が11月後半とか12月になってきたことからも、

温暖化を感じます。

愛媛のように、産物まで変わってきているのですね。

驚きました。

 

 

「絵でわかる地球温暖化」①/人間社会に深刻化どうかを考える

 

今日は令和元年11月22日。

 

現在読んでいる本です。

711zxkndpml amazon

絵でわかる地球温暖化」(渡部雅浩著/講談社)

   

ここから引用します。  

  

例えば、「氷期ー間氷期に起こった気温の変化に比べれば、

最近100年の1℃程度の気温の変化はごく小さい」というのは

正しいですが、「だから温暖化はさしたる問題ではない」というと

誤りになります。地球温暖化問題は、ヒトと気候の問題ですから、

気候変化のインパクトはあくまで人間社会に深刻かどうか、

という角度でとらえるべきで、ヒトがいなかった時代の変化と

比較するだけでは意味がありません。3.6節で述べたように

人類の文明社会は安定した気候のもとで発展してきました。

これを、気候が安定していたから文明がここまで発展できたと

みるかどうかは意見が分かれるところですが、仮に大きな

気候の変化が起こった場合に文明社会が適応できるか、あるいは

脆弱な部分から崩壊してゆくのかは、本当には試されていないのです。

(58p)

   

この文章の、特に次の部分が印象に残りました。

  

地球温暖化問題は、ヒトと気候の問題ですから、

気候変化のインパクトはあくまで人間社会に深刻かどうか、

という角度でとらえるべきで、ヒトがいなかった時代の変化と

比較するだけでは意味がありません。

  

かつてもっと低い気温の時もありました、二酸化炭素が多かった時も

ありました、酸素が少ない時がありました。

しかし、そこには人間がいませんでした。

今回、二酸化炭素が増えたこと、温暖化していることで

人間の生活にどのような影響を与えるかは、まだ未体験なのです。

なるほどです。

 

さらに引用します。

  

もう一つのありがちな勘違いは、時間スケールに関するものです。

「過去の氷期ー間氷期サイクルを考えれば、気候はやがて寒冷化

して次の氷期に入る」というのはおそらくその通りです。しかし、

「だからいま心配すべきは温暖化はなくいつ寒冷化するかだ」

というのは間違いです。図3.5(省略)のような10万年

スケールの気温変化のグラフに慣れてしまうと、つい1000年

程度なら短い時間と見てしまいがちですが、人の世代は約30年で

交代してゆきますから、本来の人間の感覚では100年でも十分に

長い時間なのです。(図3.14.省略)したがって、1000

年以上先に起こるかもしれない寒冷化を心配するよりも、およそ

100年のスケールで起こる地球温暖化による気候の変化を

(もしその影響が深刻ならば)問題にすべきなのです。

(58p)

  

これもなるほどです。

今年の台風15号、19号、そして21号にともなう大雨の被害を

見ると、深刻な影響が出始めていると思います。この100年を

考えなければならないと思います。

  

  

こういう基本的なことを気づかせてくれる本です。

今のところ61pまで読みました。

179pまでの本です。読んだらまた引用します。

2019年11月21日 (木)

アメリカが経済制裁中のイラン

 

今日は令和元年11月21日。

  

今日の朝日新聞から引用します。

  

イランデモ 死者100人超か 

ガソリン値上げ 若者「生活苦しい」

ガソリン価格の値上げを機に、イランでは異例の反政府デモが

15日から続いている。死者は100人を超える可能性がある。

イランと敵対する米国の制裁によって経済が疲弊し、

若者を中心に社会不安につながりつつある。

  

 

死者が200人に上るとの情報もあるそうです。

死者が出るというのは深刻です。

経済制裁が行われると、このような事態が

起こってしまうのですね。

政治というのは、うまくいかないなあと思います。

どこかに犠牲が出てしまいます。

  

   

イランに関して、11月19日朝日新聞記事です。☟

Epson120  

デモ封じのために、インターネット遮断。

すごい政策です。

よけいに反発を招くのではと心配していました。

  

  

全ての情報を見ることはできません。

その中で、昨日と今日、目にとまったイランのこと、

そして経済制裁をしているアメリカのことを見ていこうと思います。  

 

11月24日に木星と金星が最接近

今日は令和元年11月21日。

  

さっき、ふと南西の空を見たら、輝く星が2つ、

縦に並んで見えました。

ドキドキしました。

あれは何だと思って、さっそく調べたら、

木星と金星でした。

Img_0624

11月24日に最も接近するそうです。

ちょっと天気が心配です。

今晩、今なら見ることができます。

   

  

11月28日は、役者が3人。

月と木星と金星が南西の空でそろって見ることができるそうです。

astroarts

ここから引用します。

  

11月28日の夕方、南西の低空で月齢2の細い月と木星が接近し、

その左に金星も並んで見える。肉眼や双眼鏡で接近の様子を

観察してみよう。左上にやや離れたところには土星も見える。

日の入り30分後の高度が約10度と低いので、

あらかじめ見晴らしの良い場所を見つけておこう。

写真にも収めてみたい。翌日には少し太くなった月と金星が並ぶ。

  

1週間後の木曜日の夕方、撮影に挑戦しようと思います。

うまく撮れたら、ブログに載せます。

日立建機とTADANOの重機

今日は令和元年11月21日。

  

ここでも道草 20191030報告 吉祥山(2019年11月3日投稿)

この記事で、メーカーによる重機の色が違うことを載せました。

再掲します。

Photo建機・重機の色が黄色・オレンジ色の理由とは?

  

それ以後出合った重機です。

Img_0607

Img_0607_2 

これは日立の重機でした。

上の表にはありません。

一見して川崎重工の色に近いのかなと思いました。

会社名は日立建機でいいと思いますが。

  

  

青い重機を見かけたので、逆光にもめげずに撮影しました。

Img_0619

Img_0619_2  

コベルコ建機の重機かと思いましたが、

悲しいかな重機メーカー名の部分を撮影していません。

後日あらためて撮影に行きます。

  

  

Rimg2204 この重機のメーカーはTADANOです。

TADANO HPを見ると、青と白を組み合わせた重機が

多いようです。

  

今のところ言えているのは、重機の色は大きく分けて2系統。

黄色・橙色・茶色系統。

そして青系統です。

  

最近の観察報告です。

2019年11月20日 (水)

1988年東ベルリン公演/東ドイツが許可したロックシンガー

今日は令和元年11月20日。

  

前投稿に引き続き、11月6日放映の

BS世界のドキュメンタリー/ロックが崩した冷戦の壁」より。

  

ベルリンの壁が取り払われたのが、30年前の1989年。

その前年の1988年7月19日に、東ベルリンで大観衆を集めて

コンサートを行ったアメリカ人ロックシンガーが紹介されました。

東ドイツが開催をOKしたのです。

Rimg2221

Rimg2222

Rimg2223

Rimg2224

Rimg2225

Rimg2226

Rimg2227  

ブルース・スプリングスティーンです。

   

ブルース・スプリングスティーンは、ボブ・ディランの

「自由の鍾/Chimes of Freedom」を歌いました。

※歌詞→廃墟の街のレコード店 自由の鍾 

前投稿で示したように、ビリー・ジョエルは、やはり

ボブ・ディランの「時代は変わる/The Times They Are A-Changing」を

歌いました。

※歌詞→時代は変わる ボブ・ディラン

ノーベル賞をもらったボブ・ディラン。

世代が少しずれた私には、まだそのすごさがわからない。

  

    

ブルース・スプリングスティーンのこのコンサートについては、

このサイトの説明が激しいです。☟

monotone-extra Bruce Springsteen /East Germany 1988

Dvdro10951  

すこし引用します。コンサート開催のいきさつに触れています。

  

その映像美で描かれるショウは、歴史ヌキには語れない。

そもそも、このコンサートを企画したのは、

自由ドイツ青年団(Freie Deutsche Jugend)。

14歳から25歳までの東ドイツ人の75%以上が

加入するという巨大組織だったのですが、このFDJが

スポーツやディスコ、コンサートといった若者文化を企画し、

政府当局の許可を得て開催するスタイルでした。

ところが、80年代半ばには当局が許可できない企画も登場し、

禁止されると暴動に発展するようにもなった。

このコンサートは、そのガス抜きとして企画されたもの。

東ドイツ当局は、ブルース・スプリングスティーンを

「不正と戦う労働者階級」として許可したのです。

 

  

歴史ですよ、これは。

ゾクゾクする歴史です。

私はこの時、教員4年目。

ブルース・スプリングスティーンは聴きまくっていましたね。

でも残念ながら、このコンサートのことは覚えていません。

コンサートの映像をもっと見たくなりました。

 

1987年モスクワ公演/僕の中で冷戦は終わったんだ

今日は令和元年11月20日。

  

11月6日放映の「BS世界のドキュメンタリー/

ロックが崩した冷戦の壁」を見ました。 

  

番組の冒頭に出てきたこの方。☟ 名前は紹介されなかったので、

誰だかわかりませんでした。

Rimg2205

皆さんはわかりますか?

この番組の内容からして、登場して当然の人でした。

最近、いやいやずっとご無沙汰のミュージシャンでした。

正解は、下を読んでいただければわかります。

  

  

  

  

ほんの一部、番組の聞き書きします。

45分番組の28分ぐらいからです。

  

ナレーター:1985年政権に就いたミハエル・ゴルバチョフは、

  若者の支持を得るには、ロックンロールの統制をゆるめる

  必要があると考えます。

Rimg2206

アレキサンダー・バーシュボゥ元駐ロシア米大使:ロックを

  規制することはもはや不可能で、開かれた体制を目指す

  彼(ゴルバチョフ)の政策には、逆効果だったのです。

(中略)

ゴルバチョフ:ロックは若者のためにあります。ロックは若者たちに

  未来を切り開く機会を与えます。それによって彼らは

  大きな解放感を味わえるのです。思慮深い人は皆、

  こう理解していました。「若者たちは単に浮かれ騒いでいる

  のではない」「ロックに魅了されているのだ」と。

Rimg2207

ナレーター:ゴルバチョフはアメリカ人のロックミュージシャンが、

  ソビエト国内で電子楽器を使用することを許可しました。

  一番乗りでやってきたのは、ビリー・ジョエルです。  

Rimg2208

ビリー・ジョエル:「ソビエトで公演してみないか」と打診があった。

  人々の反応が不安だったが、どこへ行っても「アメリカ万歳」と

  言われて驚いた。これがなぜ(アメリカで)報道されないのか

  疑問だった。

  向こうのテレビ番組に出演してディランの”時代は変わる”を

  歌った。変化しようとするソビエトにピッタリだった。

  ゴルバチョフの功績は、抑圧が長く続いたことに気づき、

  門戸を開いたことだ。冷戦は終結しなくても、緊張は

  緩和されると感じた。

Rimg2209

Rimg2210

ナレーター:ビリー・ジョエルのモスクワ公演には、2万人の

  ファンが詰めかけました。立ち上がって一緒に歌うことを

  初めて許可されました。会場にいたKGBは、それまでの

  ように、観客を座らせようとはしませんでした。

Rimg2211

Rimg2212

ビリー・ジョエル:警備員も一緒に飛び跳ねていた。観客を

  席に押さえつける仕事を忘れてね。彼らも変革を求めて

  いたんだ。

Rimg2213

Rimg2215

Rimg2216

  ソビエトの脅威は確かにあったが、アメリカの政治家に

  煽(あお)られて、我々は恐怖をかきたてられおびえていた。

  ソビエトの人々は戦争など望まず、アメリカ人に好意的だった。

  ソビエトを訪問した時に、僕の中で冷戦は終わったんだ。

  それまでの恐怖が、突然消えた。人生であれほど大きな

  分岐点になった出来事はない。

Rimg2217

Rimg2218

Rimg2219

Rimg2220  

この記事に最初に載せた写真は、ビリー・ジョエルでした!

この番組を見て、1987年のモスクワ公演は、歴史的な出来事

だったと思いました。

しかし、懐かしい。

ビリー・ジョエルの曲が聴きたくなりました。


YouTube: Piano Man【訳詞付】- Billy Joel


YouTube: Honesty【訳詞付】- Billy Joel


YouTube: My Life【訳詞付】- Billy Joel

  

ラストは景気よくこの曲で・・・


YouTube: Billy Joel - Uptown Girl (Official Video)

  

2019年11月19日 (火)

そそり立つ壁?恵那市の平岩トンネル

 

今日は令和元年11月19日。

  

17日は、親戚の叔父さん叔母さんを連れて、

岐阜県の恵那峡に行き、紅葉を見てきました。

その時に気になったトンネルがありました。

恵那市にある平岩トンネルです。

  

自動車で走っていて、目の前にそそり立つように山があり、

その山に向かって走っていくと、平岩トンネルがあるのです。

とにかくそそり立っているのです。

壁のように急斜面です。

きっとネット上では話題になっていると思って、

「恵那市 平岩トンネル そそり立つ」で検索しましたが、

なにも引っかかりませんでした。

 

百聞は一見に如かず、見てみますか。

まずはグーグルアースで向かいます。

グーグルアース 平岩トンネル

Photo_2

国道257号線を、黄色の矢印の向きに進みました。

黄色の線で表わしたのがトンネルです。

目の前に、山がそそり立つように見えました。

3Dではどうでしょう。こちらの方が、壁っぽいかな。

Photo_5

黄色の矢印の付近にストリートビューで下りてみます。

ストリートビュー 平岩トンネル

Photo_3  

そそり立っているように見えますか?

実際に行くとよくわかりますよ。

国土地理院の2万5千分の1の地形図で見てみましょう。

Photo_4  

トンネルの入り口がある斜面は、等高線が密だと思いませんか。

この地形図から予測するに、急なところは40度くらいあると思います。

(国土地理院のサイトで、始点・終点を指定すると、断面図を

 見ることができます。それを利用して予測しました)

スキーのジャンプ台が35度と言われています。

それに匹敵します。

なかなかの角度です。

よかったら見に行ってください。

そして感想を教えてください。

  

「燃える海山」⑥/「新十津川物語」は「本物志向」の物語

  

今日は令和元年11月19日。

  

前投稿に引き続いて、「燃える海山 新十津川物語8

(川村たかし著/偕成社)より引用していきます。

  

「あとがき」から引用します。

「あとがき」を書いたのは、那須正幹(まさもと)さん。

「ズッコケ三人組」シリーズの那須さんです。

  

新十津川物語全体を通じていえる、川村作品のものすごさは、

舞台の細部にいたるまで、徹底した取材と時代考証によって

構築されているところにあります。それが、ようかん1本の

商品名であれ、ひと口飲んだだけの酒の銘柄であれ、

ちゃんと当時実在したものでないと書かないという

〈くそまじめ〉さで筆をすすめていくのです。

歴史的事件などは多くの資料もそろっていますが、

こうした日常品の名まえ、あるいはさりげなく挿入されている

歌謡曲の流行期間というのは、じつに作家泣かせの事柄なのですが、

川村さんは執念と思える潔癖さで、そのひとつひとつを

調査しておられます。全十巻では四千枚を越えるだろうと

予想される、この新十津川物語は、川村さんの本物志向によって、

はじめて成立していることをわすれてはならないでしょう。

(307~308p)

  

新十津川物語は、好奇心をくすぐり、

ブログにもたくさん引用したり、引用したことをきっかけに

調べたりしてきました。

たとえばこの記事。☟

ここでも道草 「雪虫の飛ぶ日」④/「宮田号」と「ノーリツ号」について(2019年10月29日投稿)

日本の自転車の歴史の勉強につながりました。

それは、突っついてもびくともしない、

川村さんの「本物志向」の物語のおかげだったのです。

  

  

全10巻の「新十津川物語」

残りあと2巻。

今年中に読めそうです。

「燃える海山」⑤/小笠原丸撃沈 樺太豊原市空襲

  

今日は令和元年11月19日。

  

前投稿に引き続いて、「燃える海山 新十津川物語8

(川村たかし著/偕成社)より引用していきます。

   

再びこの8年前の記事。

ここでも道草 昭和20年6月19日~10月15日の出来事(2011年6月25日投稿)

☝ ここからの引用。

  

8月22日  小笠原丸撃沈。

  

「燃える海山」には、小笠原丸撃沈の様子が描かれていました。

8年前にはたった1行でしたが、今回の読書で膨らみます。

  

おなじ(8月)22日の朝、北海道留萌の沖では、3せきの

疎開船がつぎつぎと魚雷攻撃を受けた。

まず午前4時22分、国籍不明の潜水艦が小笠原丸の左後方に

するりとうかびあがった。稚内でおよそ半数の避難民をおろした

小笠原丸は、小樽をめざしていそいでいるとちゅうだった。

潜水艦を見て、あわててくの字の回避運動にはいろうとしたとき、

魚雷が命中した。人がふっとび、マストが折れたかと思うまもなく

船はみるみるしずんでいった。

このようすは、留萌防空監視哨からも見えた。20せきの漁船を

だして救助にむかったが、助けあげたり海岸に泳ぎついたのは

62人で、あとの640人はかえらなかった。

(253p)

  

さらにここで勉強しました。☟

WEB歴史街道 三船殉難事件~忘れてはならない終戦後の悲劇

小笠原丸、第二新興丸、そして泰東丸(たいとうまる)の受難に

ついて書いてあり、最後にこう締めくくっています。

  

終戦後、1708人もの日本人が一方的に「殺戮」された事実は、

まず日本人として記憶に留めるべきことです。

そして、これは日本人に落ち度があったからではありません。

犠牲者の方々を悼むとともに、この悲劇からいま日本人が

学ぶべきことは多いと感じます。

  

   

  

同じ昭和20年8月22日に起こったもう一つの惨事を、

川村たかしさんは書いています。

  

樺太の中心都市であった豊原市の空襲です。

  

豊原の惨劇がはじまったのは、正午をすぎてまもなくである。

爆撃機1機と戦闘機2機が屋根をかすめるように飛来したかと

思うと、駅の上空にきて、黒いかたまりのようなものを、

つぎつぎにおとした。(中略)

耳をつんざくひびきがしたとき、機関車は直撃弾を受けて、

まっぷたつに折れた。カマのほうがそばの貨車につっこんで

燃えだした。横の倉庫が焼夷弾で炎をあげた。(中略)

2つの防空壕は直撃弾を受け、べつの壕の入り口では、

爆風で腹をひきさかれた子どもが、血にそまってたおれた。

にげまどう人びとに、ソ連機はなおもしつこく追いすがる。

女も老人もごろごろよこたわり、機銃掃射はパスパスと

広場の土を縫って走った。なおも小型爆弾が地べたをゆさぶる。

20分もたったろうか。ソ連機は大きく円をえがいて北の空に

消え去った。(中略)町全体ではほぼ100人が死に、

300人がけがをした。

(252p)

  

8年前の記事の昭和20年8月22日に、

次の項目を書き加えることにしました。

  

樺太豊原市空襲 死者100人余。

  

たった1行ですが、重たいです。

最近の写真

  • Img_7232
  • Img_7231
  • Img_8980
  • Img_8979
  • Img_8854
  • Img_8852
  • Img_8850
  • Img_8849
  • Img_8802
  • Img_8801
  • Img_8800
  • Img_8874

楽餓鬼

今日はにゃんの日

いま ここ 浜松

がん治療で悩むあなたに贈る言葉