パラリンピック〈7〉1964年東京でパラリンピック開催
今日は令和元年10月28日。
前投稿に引き続き、
8月23日放映の「チコちゃんに叱られる!」の
読み物化をします。
1964年にストーク・マンデビル大会は東京で開催するのに
反対する声もありました。
中村裕さんの長男の中村太郎さんが教えてくれました。
聞き書きします。
中村:(父が行おうとしたことは)必ずしも、
世間、医療界の評価も良いものではなかった。
「せっかく(病状が)良くなたのに、スポーツをして
悪くなったらどうするんだ」とか、
「障害者を見せ物にするのいか」と。
みんなの前でスポーツ大会をすることは、およそ、
その頃の日本では考えられなかった。
そこで中村裕さんは、東京開催の2年前、
1962年のストーク・マンデビル大会に自身の患者さん2人に
参加してもらい、障害者でもスポーツができるとアピールしました。
中村さんの熱意に押されて、東京大会開催が正式決定。
中村さんをはじめ準備委員会のメンバーは、
この大会の名前をパラリンピックとし、
公式にうちだすことを決めました。
そして1964年11月8日。
参加22か国でパラリンピックが東京で開催されました。
これでパラリンピックは、
オリンピックと同じ都市で行われたかと言うと、
そうではありませんでした。
東京大会以降、「パラリンピック」という名前は使われず、
オリンピックと同じ都市での開催は行われませんでした。
私自身の記憶でもそう思います。
「パラリンピック」という大会名は、昔からあったという記憶ではなく
比較的新しい記憶なのです。
では、いつ復活したか。
次の記事で書きます。
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