「異色の戦争画」③人を圧倒する絵
今日は令和元年10月26日。
前投稿に引き続き、9月8日放映の
「日曜美術館 異色の戦争画 知られざる従軍画家 小早川秋聲」
より。
前投稿の聞き書きのつづき。
ナレーター:戦争末期の昭和19年。小早川が戦争画の
集大成のように描いたのが「国之楯」です。
暗闇の中から浮かび上がるように
軍服を着た犠牲者が横たわっています。
当時、戦死者は「英霊」とされました。
顔は、寄せ書きの入った日の丸でおおわれ、
頭の周りは仏の円光(えんこう)のように、
光の輪が描かれています。
この絵には、従軍画家となって以来、
小早川がこだわってきたモチーフが描きこまれてきています。
一つは「日の丸」です。
小早川は、ただ「日の丸」がひるがえるだけの絵を
いくつも描いています。
これは「武運長久」の文字と寄せ書きが入った日の丸。
長年戦場でさらされてきたためか、
端は破れ、傷んでいます。
小早川:国旗に対しての尊厳、ありがたさ。
一度祖国を離れて、外国で日章旗を仰ぎ見たとき、
反射的に、無理屈に、祖国を思うの念が、
湧き上がってまいります。(記事)
ナレーター:もう一つのこだわりは、「戦争の犠牲者」です。
月明かりが浮かび上がらせているのは、戦友の墓の前で、
敬礼する姿。
小早川は、こうした弔いの光景を幾度も描きました。
従軍画家として、また東本願寺の慰問使として、
前線で数多くの戦死者を見て来た小早川。
これは全ての犠牲者に捧げる絵だったのでしょうか。
浅田裕子さん:この作品が完成する間近に、師団長と部下たちが
秋聲のアトリエに来て、この作品に圧倒されて、
帽子をとって、頭を下げたという話が残っています。
この作品を持ちだすときに、手伝いに来た女性の方が、
この絵の前で泣き崩れたという話が、伝わっています。
何度も、この美術館では、展示をしてきました。
その中で、なかなか作品の前から動けない方がおられましたので、
お声掛けしましたら、自分の兄だか弟だったと思いますけど、
戦争で亡くなったんだと、その姿を重ねて、
涙が出ておられたようでした。
私も、この絵は圧倒される絵だと思います。
横たわる死体という題材としても、
さらには幅2mを超えるサイズも、圧倒的です。
忘れたくない絵、そして画家だったので、書き留めました。
これで「日曜美術館 異色の戦争画 知られざる従軍画家
小早川秋聲」の読み物化完了。
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