2022年4月11日 (月)

日めくりより/「大統領」は大工の棟梁のこと?

     

今日は令和4年4月11日。

      

生活のBGMとしてケツメイシのアルバム「ケツノポリス12」を

2カ月聴いてきました。

退職までの月日の思い出が、曲に込められました。

新しい生活が始まったので、生活のBGMも変えたいと思いました。

調べていたら、

昨年、ジャクソン・ブラウンがアルバムを出していました。

アマゾンで注文してしまいました。衝動買い。

明日には届きます。

またしっかり聴きこもう。

   

  

閑話休題。

  

このブログで紹介してきた日めくり「雑学王」(TRY-X)

捨ててしまうには惜しいネタがたくさんたまっています。

読み直していて、今日はこの1枚を紹介したいです。

昨年度末、江戸時代にはまっていたなごりで、

江戸時代の話には敏感です。

  

「大統領」は大工の棟梁のこと?

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皆さん、知ってましたか。

「プレジデント」を「大統領」と訳した時には、

こんないきさつがあったことを。

英語の先生、知っているかな。

   

ただ「棟梁」の字を「統領」に置き換えて「大」をつけたと

考えていない人もおられました。

一読に値します。

「大統領」という訳語の由来

 

「大統領」という訳語が定着するのは、明治時代の半ばだったそうです。

今はすっかり馴染んでいますが、何で「大統領」なのだろうと

疑問に思わないといかんかった。

2022年4月10日 (日)

新年度総会があって、佐々木朗希投手が完全試合をした日

     

今日は令和4年4月10日。

   

朝から頭の中は「中学校教師」ではなくて

すっかり「町内会長」でした。

今晩は、新年度総会があったからです。

  

朝から勉強をしていました。

今まで蓄積した町内関係の資料に再び目を通しました。

大事なところはノートに書きだし、

それを読み返すことで記憶に残すようにしました。

 

町内会長のあいさつを考えました。

町内会長が説明する内容について、

どうやって話をするか赤字を入れました。

不明なところがあったので、

隣町のの町内会長に電話して聞きました。

  

そんなことをしていたら、

はや午後3時を過ぎていました。

よく集中していました。

ところがここで「町内会長」の頭を

吹き飛ばす出来事が起こりました。

ロッテの佐々木朗希投手です。

   

ネットニュースで知りました。

オリックス相手に、13連続三振!

日本新記録。

それまでの日本記録は9連続三振なのに

いっきに13まで伸ばしてしまいました。

すごいなあと思って、再び町内会の仕事。

  

息子がネットニュースを見ていて、

「あと3人で完全試合」と教えてくれました。

ここで「町内会長」は頭から吹き飛びました。

テレビをつけました。

ロッテ対オリックス戦の中継はやっていませんでした。

日本ハム対楽天戦をやっていました。

何か情報が入らないかと、テレビはこのままにしました。

息子が「あと一人で完全」と教えてくれました。

そしてすぐ・・・最後の打者は三振。

完全試合達成。

槇原投手以来28年ぶり。

19奪三振は日本タイ記録。

テレビ画面に速報が出ました。

「佐々木朗希投手、完全試合達成」

   

   

晩の6時から新年度総会が始まりました。

町内会長の最初のあいさつは、

最初に考えていた内容を差し置いてこんな話をしました。

「将来、佐々木朗希投手の完全試合の話題になった時に、

あの日は新年度総会をやっていたなあと思い出すことでしょう」と。

  

20歳で完全試合。

まだまだ佐々木朗希投手は、完全試合をやってしまうのではないか。

これは最初であって、これで終わりではないのではないか。

そう思ってしまいました。

   

新年度総会は無事乗り切りました。

佐々木朗希投手の19奪三振完全試合。

思い出深い日になりました。

  

  

スポーツニュースを録画しまくっています。

今晩のニュースを録画するのが価値があるのです。

 

2022年4月 9日 (土)

通算8100本目の記事/2022年「山が笑った日」

     

今日は令和4年4月9日。

   

通算8100本目の記事です。

  

今日は珍しく奥さんに言われて

「山が笑った日」を認定しました。

ドライブしていて「山が色づいてきた」と言われて、

「そうか」と思って見たら、まあそうだなと納得しました。

昨年です。

ここでも道草 2021年「山が笑った日」(2021年4月7日投稿)

  

今までの記録一覧です。

  

平成17年 4月21日

平成18年 4月21日

平成19年 特定できず

平成20年 4月19日

平成21年 4月10日

平成22年 4月14日

平成23年 4月18日

平成24年 4月16日

平成25年 4月 8日

平成26年 4月10日

平成27年 4月11日

平成28年 4月 8日

平成29年 4月18日 

平成30年 4月 8日

平成31年 4月26日

令和 2年 4月 7日

令和 3年 4月 6日

令和 4年  4月  9日

  

きっと雨が降った翌日に、

もっと「山が笑った」と心底感じる日が来ると思うけど、

今年は奥さんの言葉に従います。

誕生日に読み切った「彼の名はウォルター」

     

今日は令和4年4月9日。

   

61歳の誕生日。

昼食は天丼が美味しいお店に奥さんと食べに行きました。

墓参りにも行きました。

退職して時間ができたので、

片道30分の墓参りも、もう少し行くことができるでしょう。

晩は1冊本を読破しました。

61歳最初の記念になる本でした。

   

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「彼の名はウォルター」(エミリー・ロッダ著/さくまゆみこ訳

/あすなろ書房)

  

本によっては、読みだしてみてわけがわからなくて、

読むのを止めようと思ってしまう本があります。

結局、読むのを止めてしまった本もあるのですが、

この本は、止めずに読み切ってよかったと思います。

この本を読みだした人は、よくわからないおとぎ話がでてきても、

食いしばって読みつづけましょう。

どれくらいだったか、面白くなってきます。

今日中に読むつもりはなかったのに、

途中から

「今晩で読みきろう。これを61歳になった記念の本にしよう」と

思って読み切りました。

  

少しネタばらしをすると、第一次世界大戦時の

インフルエンザの大流行にも触れます。

知っていることとつながるのはうれしい。

  

この本は、新聞の書評で知った本です。

新聞を読んだことで知った本であることでも、

価値があります。

新聞から行動に移って、いい出合いがありました。

   

新聞の書評を読んでいない人でも、

私の記事を読んで興味をもった人は、

読んでみてください。

児童書のジャンルに入る本ですが、

最初の面白くないおとぎ話を乗り切って読み続ける児童生徒は

どれくらいいるのだろう。

ぜひ乗り切って、この本の良さを味わってほしい。

 

最後の1行は「彼の名はウォルター」で終わります。

この1行が感動を誘います。  

  

勤務校の中学生にも教えたい。

2022年4月 8日 (金)

和田秀樹さんのアドバイス/友達がいない子はどうすればよいか

     

今日は令和4年4月8日。

   

サークルで勉強しています。

サークルで出合った文章をここに書き残しておきます。

J先生のレポートからの引用です。

  

友達のいない子はどうすればよいか

小学校でも中学校でも、学級の中に友達がいないのは親として気に

なります。担任をしていても、日々気になるものです。

友達のいない子をどうすればよいかは、学習指導よりもずっと難し

い課題です。

とはいえ、放置しておくわけにはいきません。しばし様子をみると

いった曖昧な対応では、決して事態は改善しません。具体的には、

どうすればよいのでしょう。

精神科医の和田秀樹さんは、友達を作ろうとあせるより、「自分磨

き」に集中することを主張しています。友達を作ろうと、周りに合

わせて嫌われないようにするよりも、自分の得意なこと、自分にで

きること、自分が楽しいと思うことを徹底的にやってみることが大

切だといいます。

要は、自分に自信をつけることになるわけですが、その過程で自分

を理解してくれる友達が必ず現れるといいます。

考えてみれば、自分のやりたいことに熱中している子は、やはり光

るものがあります。誰かが何かを感じることは十分納得できます。

和田秀樹氏は、子ども時代に人間を最も成長させるのは「成功体験」

だといいます。自分の得意なことや自分が楽しいと思うことを徹底

的にやってみて成功体験を得られるならば、自信がつきひょっとし

たら友達もできるというわけです。自分磨きに集中することは、な

かなかよい解決策です。(後略) 

   

なるほどと思って読みました。

これは子供時代だけではないと思うのです。

生涯にわたって言えることだと思います。

「自分磨き」は怠ってはいけないし、

「自分磨き」をしている人を見て感心する人は必ずいるし、

感心から関心に移行していく可能性は高いと思います。

   

中学校教師としては、社会科の教え方を磨こうと思います。

町内会長としては、未知の世界でも立ち向かっていこうと思います。

4月に入ってからほぼ毎日町内会長の仕事をしています。

(昨日はなかった!)

4月10日の晩は、新年度総会があります。

土日は総会に向けて勉強をします。

いろいろな人たちと関係がもてることが楽しみな1年です。

   

  

和田秀樹さんはいいことを言います。

昔からのファンです。

図書館で1冊予約しました。

「新ドキュメント 太平洋戦争1941第1回開戦~前編~」④

         

今日は令和4年4月8日。

   

前日の記事の続きで、

昨年12月8日放映の「NHKスペシャル  新ドキュメント 

太平洋戦争 1941 第1回 開戦 ~前編~」の聞き書きをします。

これが最終回となるはずです。

頑張ろう。

   

ナレーター:人々に湧きあがる「お国のため」にという愛国心。し

  かし、一部に、違和感を抱いていた人もいる。学校の先生をし

  ていた森下二郎さん。日本の同盟国、ドイツについて、こう綴

  っている。

日記「悪がはびこっている。世界はドイツの戦勝に眩惑されて、そ

  の行動を肯定し、賛美する。悼むべし、哀しむべし。」

ナレーター:日中戦争を祝う式典に出た日

日記「この4年の戦果、中国の死傷者三百八十万、日本の死傷者十

  万と報じられた。これが祝うべきことであるというのか。これ

  が喜ぶべきことであるというのか。」

ナレーター:戦争に反対する気持ちを押し殺し、表向きは、戦争を

  賛美する教育に手を染めざるを得なかった森下さん。本音をつ

  ぶやく場は、日記にしかなかった。

  日中戦争の膨大な犠牲は、特に地方で覆い隠せなくなっていた。

  岐阜の農家、野原武雄さん。高まる米の需要にこたえようと、

  農作業が続き、妻を過労で亡くしていた。

日記「本日は共同植え付け作業第四日目で、体の具合も大分疲れて

  くる。ついに父も倒れて仕事も出来ず、床につくようになりた

  り。」

ナレーター:7月の日記には、この頃、村で立て続けに起きていた

  ことが記されていた。

日記「本日またもや我が村に五名の〇〇あり。二回目の〇〇故、ひ

  としおお気の毒の至りにたまらぬ次第なり。」

ナレーター:伏せ字は「召集」と思われる。兵士の動員に関する言

  葉は、機密に関わるとして、軍から咎められる恐れがあった。

  農家の次男三男が続々と召集され、戦地へと送られていった。

  実は野原さんの息子二人も徴兵され、中国の戦場へ。ひとりは

  瀕死の重傷を負った。農村部が日本の戦争をさまざまな形で支

  えていた。

  4年目を迎えた日中戦争では、100万人以上が動員、戦死者

  の数は18万人以上にのぼっていた。

  10月。開戦の2カ月前。日米は対立を深めながらも、ぎりぎ

  りの外交努力を続けていた。

  アメリカが、日米交渉の条件として求めたのは、中国からの日

  本軍即時撤兵。しかし、その要求は陸軍にとって、受け入れが

  たいものだった。これは、東条が、日中戦争の戦死者の遺族を

  訪ねた時のものだ。日中戦争での戦死者18万人以上。東条た

  ち陸軍首脳は、撤兵はその犠牲を無にするものとして受け止め

  ていた。ではアメリカとの戦争を選ぶのか。東条は悲愴な面持

  ちでもらしたと言う。

メモ「支那事変にて数万の命を失い、みすみす撤退するのはなんと

  も忍びがたい。ただし日米戦となればさらに数万の人員を失う

  ことを思えば、撤兵も考えねばならないが、決めかねている。」

ナレーター:6日後、東条は決断を首相に伝えた。

議事録「撤兵問題は心臓だ。米国の主張にそのまま服したら支那事

  変の成果を壊滅するものだ。数十万人の戦死者。これに数倍す

  る遺族。数十万の負傷者。数百万の軍隊と一億国民が戦場や内

  地で苦しんでいる。」

ナレーター:泥沼の日中戦争がもたらした戦死者、耐え忍ぶ人々。

  指導者たちは、その膨大な犠牲に判断を縛られていた。

  10月18日、内閣総理大臣になったのが、東条英機。このと

  き、天皇は日米交渉の継続をのぞんでいた。東条内閣発足の際、

  側近に打ち明けた言葉がある。

日記「いわゆる虎穴に入らずんば虎児を得ずということだね。」

ナレーター:アメリカに強く出るべきとする陸軍強硬派を陸軍の東

  条に抑えさせ、それにより戦争を避ける道を探ろうとしていた

  のだ。しかし、国民は、軍人出身の首相の誕生に、異なる期待

  をいだいた。

日記「いまや死中に活を求めるほかはないのである。」

日記「いよいよ臨戦色濃厚な方向へ進む」

日記「前内閣に類を見ない思いきったことを断行できるのではある

  まいか」

ナレーター:アメリカから、再び中国からの撤兵を求められた日本。

  指導者たちは、開戦を決定する。

  ーーー真珠湾攻撃の映像ーーーー

  多くの人たちが、新たな戦争は自らの鬱屈を晴らしてくれると

  信じた。

  米の配給事業にたずさわるようになっていた井上重太郎さん。

日記「宣戦の詔書が放送された。自分はそれを聞いて涙が出た。誰

  が感泣(かんきゅう)せずにいられようか。」

ナレーター:息子二人を徴兵され、重労働にあえいでいた米農家の

  野原武雄さん。

日記「大戦果を得たり。まったく我が海軍の強さに驚くほかない。

  大東亜戦の開戦、ここに始まる。」

ナレーター:わずかだが、暗い予感を日記に記した人もいた。長野

  県の教師、森下二郎さん。

日記「国民は大よろこびで、うかれている。しかしこれくらいの事

  で米・英もまいってしまうこともないから、この戦争状態はい

  つまで続くかわからない。あてのつかない戦争である。」

ナレーター:金原まさ子さん。娘が、1歳10カ月になったばかり

  の日だった。

日記「血わき肉躍る思いに胸がいっぱいになる。この感激!一生忘

  れ得ぬだろう。今日この日!爆弾など、当たらないという気で

  一杯だ。」

ナレーター:開戦の一体感に身をゆだねた日本人。しかし、その先

  に見たものは、命も国土も焼き尽くしていく戦争の正体だった。

日記(金原)「皆 意気盛る 住代 元気!元気でね 大変なのよ、

  大変なのよ」

  

  

以上、4日かけて49分間番組の聞き書きが完了しました。

やり遂げた気持ちです。

開戦までのいろいろな人たちの心の動きがわかりました。

  

この番組と同じ昨年12月8日に放映された「新ドキュメント 

太平洋戦争1941 第1回開戦~後編~」「英雄たちの選択

昭和の選択スペシャル 1941 日本はなぜ開戦したのか」

最近立て続けに見ました。

アメリカやイギリスとの開戦を避けようと思っていた指導者は、

結局は追い込まれて開戦を選択したこと。

最初は国土を守ることが戦争の目的だったのに、勝利によって

大東亜共栄圏建設が戦争目的になってしまったために、

戦争を終えるタイミングを逸してしまったこと。

開戦に酔った人々もいたが、冷静に情勢を見ていた人もいたこと。

そんなことを勉強しました。

特に永井荷風の残した日記に興味をもちました。

世間の風潮に惑わせられず、将来を予測した日記を書いていました。    

2022年4月 7日 (木)

「図工人」を利用/桜のリースを作った

    

今日は令和4年4月7日。

   

今日は新しい勤務校である中学校の入学式・始業式でした。

午前9時半頃に、ドドドーンと地震があってビックリ。

学活の最中だった生徒たちは、一斉に机の下に身を隠しました。

  

今日のために、私が任されたのは掲示でした。

新1年生を迎える掲示です。

  

すぐに思い浮かんだのは「図工人」です。

小学校勤務の時によく利用したサイトです。

  

頼まれてすぐに「図工人」を調べました。

そしたらタイムリーなものがアップされた直後でした。

図工人 桜のリース

1

よし、これを作ろう!

いくつ桜を作ろうか。

キリのいい100個作ろう!

 

そう決めて作り出しましたが、

100個はなかなかきつかったです。

時間と体力が必要でした。

ボンドもたっぷり使いました。

100個作ったつもりが、

いつの間にか勘定を間違えていて、

99個でした。まあいいか。

完成させました。

8個のリースが出来上がりました。

  

掲示板2つを、桜のリースで飾ることができました。

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う~ん、写真だとイマイチだ。

でも実物はなかなかいいですよ。

私の新しい学校での初仕事となりました。

蛍光灯の耐用年数は約4年4か月でした

    

今日は令和4年4月7日。

  

自宅の階段上にある蛍光灯が寿命になりました。

パカパカと点滅していたと思ったら、

消えてしまいました。

新しく蛍光灯を買ってきました。

その時の写真です。

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見てわかる通り、下にあるのが寿命が来た蛍光灯。

私は購入した日を書いておく癖があるので、

耐用年数がわかります。

4年4カ月頑張ってくれていたというわけです。

   

今度買い換えた蛍光灯も、おそらく同じくらい持つことでしょう。

その予測が当たったかどうか、また買い換えた時に、

この記事に戻ってみたいです。  

   

4年4か月後。

私はどんな生活をしているでしょう。

楽しみです。

「新ドキュメント 太平洋戦争1941第1回開戦~前編~」③

       

今日は令和4年4月7日。

   

前記事に引き続き、

昨年12月8日放映の「NHKスペシャル  新ドキュメント 

太平洋戦争 1941 第1回 開戦 ~前編~」の聞き書きをします。

   

  

ナレーター:1941年、太平洋戦争開戦の年が開ける。日本はアメ

  リカの経済制裁の影響であえぎ始める。

1月のニュース映像「全国から集められた銅や鉄類の献納品は1千ト

  ンに達しました。」

ナレーター:国は不足した鉄などの資源を補うため、市民から供出さ

  せた。街中から金属が消え、経済全体が冷え込み始めていく。

  作家永井荷風は、散歩の途中で見た光景を、日記に綴っている。

日記「道すがら、虎ノ門より櫻田へかけて立ちつらなる官庁の門を見

  ると、今まで鉄製だったのをことごとく木製に取り換えていた。

  これは米国より鉄の輸出を断られたためである。」

ナレーター:市民の日記から、「品切れ」「枯渇」など物資不足に関

  する単語を抽出。1941年1月以降、増加傾向が顕著になって

  いく。同じ時期、戦争への関心も高まっていた。戦争に関する単

  語数も、増加に転じていた。

  生活の不満の高まりを背景に、アメリカに対する過激な論調が目

  立つようになっていた。当時のオピニオンリーダー、徳富蘇峰、

  1月、ラジオでこう呼びかけた。

発言「米国は日本が積極的に進んでいけばむろん衝突する。しかしぼ

  んやりしていても米国とは衝突する。早く覚悟を決めて、断然た

  る処置をとるがよい。」

ナレーター:さらに当時のベストセラー作家が刊行した本、「日米戦

  はば」

記述「米国なお反省せず。我が国の存立と理想を脅かさんとすること

  あらば、断然これと戦うべし。日本は難攻不落だ。」

ナレーター:今で言うインフルエンサー的存在。戦争を煽るような言

  葉が、人々をとらえ始めていた。この頃、雑誌が日米戦は避けら

  れるかというアンケートを行った。4割もの人々が「避けられな

  い」と回答した。

日記「米英の妨害を断然排除して進まねばなるまい。」

ナレーター:静岡、伊東市で書店を営む竹下浦吉さん。不穏な未来を

  予測していた。

日記「日本がドイツと同盟して東亜に新秩序を確立せんとする以上、

  どうしても米英との衝突は免れぬと思う。」

ナレーター:子育て中の主婦金原さんも、危機感をいだくようになっ

  ていた。

日記「日米間の情勢について、だいぶ悲観的な話を聞くようになり、

  ママたちも本気で心配するようになっている。本当に日米戦が起

  こったら、東京空襲も免れないし、住代ちゃんのような弱い子を

  お医者もいない田舎に連れて行って、もしものことがあったらと

  思うと暗然とする。しかし、何という時代に生まれ合わせたもの

  か!強い母にならねばならない。」

ナレーター:開戦の8カ月前、国の指導者たちは、アメリカとの決定

  的対立を避けるための外交交渉に乗り出そうとしていた。背景に

  は、陸軍が極秘で行ったアメリカとの戦力比較のシュミレーショ

  ンがあった。その報告に立ち会った将校のエゴドキュメントが残

  されていた。そこには、指導者たちの本音が、吐露されている。

日記「3月18日。物的国力判断を聞く。」

ナレーター:陸軍の中枢で、政策決定に関わった石井秋穂中佐。この

  日、参謀本部で明かされたシュミレーションの結果は、陸軍の首

  脳に衝撃を与えた。

日記「誰もが、対米英戦は予想以上に危険で真にやむをえざる場合の

  ほかやるべきでないという判断に達したことを断言できる。」

ナレーター:資源豊富なアメリカとの戦争が、2年以上に及んだ場合、

  日本側の燃料や鉄鋼資源が不足することが判明。これを受け、陸

  軍大臣東条らは、日米戦争は回避すべきと判断した。    

  軍や政府の決定を知る由もなかった金原さん。育児日記に大きな

  変化が現れる。

日記「今こそ、日本の歴史の大転換期であり、住代の育児日記も母の

  目に映った世の有様を書き記していこうと思う。」

ナレーター:6月。金原さんを震撼させる出来事が起きる。

日記「世界の情勢は、また大変なことになってきた。独ソ開戦。寝耳

  に水のこのニュースに世界中大混乱である。日本の立場こそ、デ

  リケートなものになってきた。」

ナレーター:ドイツが突如ソビエトを侵攻し、独ソ戦が勃発。金原さ

  んは敏感に感じ取っていたように、日本の運命を大きく左右する

  ことになる。

  独ソ戦勃発から10日後。それまでアメリカとの戦争を避けよう

  としてきた指導者たちが、ここで決定的な判断ミスを犯す。

  日本軍が南部仏印、今のベトナム南部に進駐したのだ。

日記(石井秋穂)「自存自衛上、立ち上がらねばならない場合に備え

  て、あらためて南部仏印に軍事基地をつくるという要求が生まれ

  つつあった。

ナレーター:独ソ戦により日本にとって背後のソビエトの脅威がなく

  なった。その隙に、アメリカの禁輸政策のため欠乏する資源を手

  に入れようと、東南アジアの資源地帯を、抑えようとしたのだ。

  アメリカは、日米のパワーバランスを崩しかねない日本軍の行動

  に強く反応した。そして、日本への石油の輸出を止めた。石油の

  9割をアメリカからの輸入に頼っていた日本にとって、計り知れ

  ない打撃だった。軍の指導者たちは、アメリカがそこまで強硬に

  反応するとは、想定していなかった。南部仏印進駐に関わった石

  井は、こう振り返っている。

日記「大変お恥ずかしい次第だが、南部仏印に出ただけでは、多少の

  反応は生じようが、祖国の命取りになるような事態は招くまいと

  の甘い希望的観測を抱えておった。」

ナレーター:希望的観測が招いた石油の禁輸。アメリカとの戦争に慎

  重だった海軍も、態度を大きく変える。

発言「じり貧になるから この際決心せよ」

ナレーター:海軍のリーダー、永野修身。この捨て鉢とも受け取れる

  言葉の裏には、永野なりの算段があった。

発言「今後は、ますます兵力の差が広がってしまうので、今戦うのが

  有利である。」

ナレーター:石油が底をつけば、戦争はできない。その強迫観念が、

  指導者を戦争へと駆り立てようとしている。

  事態を冷静に見ていたリーダーもいた。海軍次官。澤本頼雄。開

  戦に強く反対する。

メモ「資源が少なく国力が疲弊している状況では戦争に持ちこたえる

  ことができるか疑わしい。」

ナレーター:澤本は戦争に勝ち目はなく、日米の外交交渉で解決をは

  かるべきだと主張した。

メモ「この方向に向かうことこそ、国家を救う道である」

ナレーター:開戦まで半年を切っていた7月。市民の生活はいっそう

  過酷な状況になっていた。物資不足に関するグラフは、さらに高

  まりを見せる。

日記「帰りに八百屋に寄り、何でもいいから買おうと思ったが何もな

  し。あわれ菜っぱ一束、胡瓜一本も買うこともできない。」

日記「食べ物の悲惨 うまいもの食ったのはいつのことなりしか 肉

  なしデー ついに冗談ではなく実現す」

ナレーター:国民の食糧不足を補うため、政府がたんぱく源として推

  奨したのが、昆虫食。蚕から絞り出した油を食用油に、搾りかす

  でうどんを。さまざまなレシピを発表していた。生活に困窮する

  市民。人びとは、日々積み重なる不満をどこに向けていたのか。

  井上重太郎さん。大阪で精米店を営み、かつては政府の米の管理

  に、強い不満を記していた。国が米を統制するようになり、価格

  は下落。個人経営では、立ち行かなくなっていった。

日記「組合の人々は集会して、米の共同販売のことを相談している。

  やむをえない 時勢に従うほかはないようになってきた。」

ナレーター:国策によって追い詰められ、自分の店をたたまざるを得

  なくなった井上さん。しかし、逆に国に協力する言葉や活動が増

  えていく。その一つが、隣組だ。食糧の配給など、生活を国が統

  制するための地域組織。国防のための奉仕を求められた。

日記「近衛首相の放送があったが、愛国心を説き、国民の総力をもっ

  て、困難の克服を強調された。全国一斉に隣組の常会を開くとい

  う。今夜は自分のうちで開いてくれと頼まれている。全国民がは

  りきっている。」

ナレーター:戦時体制の元、言論を取りしまり、愛国教育を強化して

  きた日本。多くの国民は、協力して、国の危機を乗り切るべきと

  考えるようになっていた。

  娘が1歳を迎えた金原さん。育児日記に、戦争への覚悟の言葉が

  現れるようになる。

日記「住代ちゃんにあげるおやつを探し回って、午前中をつぶしてし

  まった。パン屋さん全部休み。世界戦争も実現するかもわかりま

  せん。住代ちゃんも食べるものも不満足ですが、でもしっかりや

  っていきましょう。大東亜建設のため、次の日本を背負って立つ

  のは住代ちゃん あなたがたなのです。丈夫に育って、立派にお

  国のために尽くしなさい。パパもまた一命を国に捧げねばならな

  くなるかもわかりません。」

ナレーター:「お国のため」生活の不安とアメリカとの戦争の予感が

  結びつき出てきた言葉だった。

日記「アメリカの参戦も時期を早めるだろうとの予測もある。肉がな

 いお菓子がないどころの騒ぎではなくなってきたのだ。しかしこれ

 もお国のためと思えば我慢する。」

専門家「自分たちを苦しめているのは政府ではなく、背後でイギリス

  やアメリカが経済的に圧迫していくので、われわれの生活はどん

  どん追い込まれていくと。自分たちの生活を苦しめている敵、英

  米を叩いたら、生活も元に戻る。そういう意味で、お国のためと

  いうことが、素直に受け入れられていた。」

  

  

ここまでにしよう。

つづきは明日の朝にしよう。疲れた。

49分番組のうち、38分まで聞き書きをしました。

明日の朝で終わりになる予定です。  

2022年4月 6日 (水)

「新ドキュメント 太平洋戦争1941第1回開戦~前編~」②

    

今日は令和4年4月6日。

   

前記事に引き続き、

昨年12月8日放映の「NHKスペシャル  新ドキュメント 

太平洋戦争 1941 第1回 開戦 ~前編~」の聞き書きをします。

   

ナレーター:子育てにいそしむ金原まさ子さん。日記には、子ども

  のご飯が質素になってきたことが、綴られている。

日記「8月11日。外米になってから、子どもの腹こわしが増えた。

  今月からは麦が入る。7割外米の麦入りときては大変なり。大

  人は我慢するが、子どもはかわいそうだ。」

ナレーター:実は住代ちゃんの兄は、幼くして食中毒で亡くなった。

  そのため、金原さんは、娘の体調をひときわ心配していた。

  大阪で精米店をきりもりしていた井上さん。ピアノを楽しむ余

  裕も消え失せ、政府に不満をいだくようになっていた。

日記「政府はいたずらに統制、統制と言って、配給が遅れている。

  米の入荷がないので、配達することもできぬ。」

ナレーター:生活の変化の背後にあったのは、3年に及んでいた日

  中戦争だった。戦時体制が強化され、政府は食料を統制。農村

  部では、軍への米の供出を強いられた。食糧難の影響は、都市

  部にも広がり、市民の贅沢が禁止された。暮らしに影が立ち始

  めた開戦の前年、市民はアメリカを戦争の相手国として意識し

  はじめたのは、いつだったのか。

  埼玉県浦和に住む女学生、笠原徳さん。当時17歳。この年、

  1月の日記に綴られていたのは、アメリカへの夢や憧れだった。

日記「午後、シネマを観に行った。昨年度のアカデミー賞を得た「

  スタア誕生」といふの。ロスアンジェルス ロマンティックで

  美しくあざやかだった。」

ナレーター:笠原さんは、アメリカの友人と文通し、見知らぬ国へ

  の憧れを募らせていた。

  これは当時の映像。人びとはハワイアンやジャズに夢中だった。

  アメリカ文化が流行し、反米感情よりむしろ親近感をいだく市

  民が多かった。

  しかし、しだいに笠原さんの日記では、別の国の存在が増して

  いく。ドイツだ。

日記「6月2日。訓練されしドイツ軍。中でも英仏より数世紀も進

  んだ機械化部隊の活躍めざまし。今度の戦い、ドイツに凱歌あ

  がらん。」

ナレーター:当時、ヨーロッパでは、第2次世界大戦が勃発。ドイ

  ツ軍は破竹の進撃を続けていた。笠原さんのドイツへの関心は、

  日を追って高まっていった。

日記「9月27日。日独伊、積極的な同盟生まれる。軍事、政治、

  経済、あらゆる方面から完全に一体となり、世界の民族のリー

  ダーとなれる。三国の力強さ、ますます心ひきしまる。」

ナレーター:17歳の心をとらえた三国同盟。日米開戦の1年3カ

  月前。日本は、ドイツ、イタリアと同盟を結んだ。日本の狙い

  のひとつは、日中戦争の解決。中国を支援するアメリカやイギ

  リスを、ドイツと組んで牽制することであった。日本はナチス

  ドイツの人気に湧いた。

  デパートにはためく鍵十字の旗。両国の絆を祝うダンスショー

  を、人々は喝采した。

  アメリカを強く刺激し、太平洋戦争開戦の大きな要因となった

  とされる三国同盟。危機感をいだく人物がいた。後に真珠湾攻

  撃を指揮する山本五十六は、こう訴えた。

発言「三国同盟ができたのは致し方ないが、かくなりし上は、日米

  戦争を回避する様、極力ご努力願いたい。」

ナレーター:ドイツとの同盟が戦争をもたらすリスク。市民はどこ

  まで認識していたのか。今回集めた市民の日記から、戦争に関

  係する単語を抽出。その数は延べ2万に達した。それを時系列

  に沿って並べ、戦争への危機感や関心が、どのように変化して

  いったのかを探っていく。

  1940年から翌年にかけて、最も高い値は、日米が開戦した

  1941年12月だった。一方、グラフの値が最も落ち込む時

  期があった。三国同盟が結ばれた1940年の9月から11月

  にかけてだ。アメリカとの戦争の危機を感じるどころか、戦争

  への関心が薄らいでいたと考えられる。

専門家「本来なら国際的危機が反米論があがっておかしくないんで

  意外だったです。この日独伊三国同盟の意味、真意が国民に伝

  わらなかったという問題を考えないと」

ナレーター:市民の戦争への意識が高まらなかった要因として、専

  門家が指摘したのが、言論統制。政府は、三国同盟への批判的

  な意見を禁止。同時に反米感情の高まりも警戒していた。アメ

  リカへの敵性感情をあおる記事を禁止する。

  当時の陸軍大臣東条英機が言論統制のエゴドキュメントが残さ

  れていた。

発言「英米に対して三国同盟が衝撃を与えるのは必然である。いた

  ずらに排米運動を行うことを禁止する。」

ナレーター:東条ら軍の指導者たちは、この時点では、アメリカと

  の徹底的な対立を避けようとしていた。すでに陸軍は、100

  万を超す大兵力を、日中戦争に投じていた。その上、アメリカ

  と対立する余裕はなかったのだ。

  これはこの年に撮影された政府のプロパガンダ写真。日本とア

  メリカの青年たちによる卓球大会。日米親善がことさらに強調

  されていた。アメリカとの戦争を招きかねない三国同盟を結ん

  だ日本。その一方で、親米を演出するという矛盾に満ちた政策

  を推し進めていた。しかし、そうした日本のご都合主義は、ア

  メリカには通用しなかった。ドイツと結んだ日本に、アメリカ

  の世論は反発。厳しい経済制裁を求める声は8割に昇った。飛

  行機の燃料や屑鉄などの重要資源の輸出禁止が、矢継ぎ早に決

  まった。

   

今晩はここまで。49分番組の20分まで聞き書きをしました。

聞き書きは勉強になるし、後で読み返すことで、

短時間に内容を思い出すことができます。

しかし、時間がかかります。

  

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