「新ドキュメント 太平洋戦争1941第1回開戦~前編~」②
今日は令和4年4月6日。
前記事に引き続き、
昨年12月8日放映の「NHKスペシャル 新ドキュメント
太平洋戦争 1941 第1回 開戦 ~前編~」の聞き書きをします。
ナレーター:子育てにいそしむ金原まさ子さん。日記には、子ども
のご飯が質素になってきたことが、綴られている。
日記「8月11日。外米になってから、子どもの腹こわしが増えた。
今月からは麦が入る。7割外米の麦入りときては大変なり。大
人は我慢するが、子どもはかわいそうだ。」
ナレーター:実は住代ちゃんの兄は、幼くして食中毒で亡くなった。
そのため、金原さんは、娘の体調をひときわ心配していた。
大阪で精米店をきりもりしていた井上さん。ピアノを楽しむ余
裕も消え失せ、政府に不満をいだくようになっていた。
日記「政府はいたずらに統制、統制と言って、配給が遅れている。
米の入荷がないので、配達することもできぬ。」
ナレーター:生活の変化の背後にあったのは、3年に及んでいた日
中戦争だった。戦時体制が強化され、政府は食料を統制。農村
部では、軍への米の供出を強いられた。食糧難の影響は、都市
部にも広がり、市民の贅沢が禁止された。暮らしに影が立ち始
めた開戦の前年、市民はアメリカを戦争の相手国として意識し
はじめたのは、いつだったのか。
埼玉県浦和に住む女学生、笠原徳さん。当時17歳。この年、
1月の日記に綴られていたのは、アメリカへの夢や憧れだった。
日記「午後、シネマを観に行った。昨年度のアカデミー賞を得た「
スタア誕生」といふの。ロスアンジェルス ロマンティックで
美しくあざやかだった。」
ナレーター:笠原さんは、アメリカの友人と文通し、見知らぬ国へ
の憧れを募らせていた。
これは当時の映像。人びとはハワイアンやジャズに夢中だった。
アメリカ文化が流行し、反米感情よりむしろ親近感をいだく市
民が多かった。
しかし、しだいに笠原さんの日記では、別の国の存在が増して
いく。ドイツだ。
日記「6月2日。訓練されしドイツ軍。中でも英仏より数世紀も進
んだ機械化部隊の活躍めざまし。今度の戦い、ドイツに凱歌あ
がらん。」
ナレーター:当時、ヨーロッパでは、第2次世界大戦が勃発。ドイ
ツ軍は破竹の進撃を続けていた。笠原さんのドイツへの関心は、
日を追って高まっていった。
日記「9月27日。日独伊、積極的な同盟生まれる。軍事、政治、
経済、あらゆる方面から完全に一体となり、世界の民族のリー
ダーとなれる。三国の力強さ、ますます心ひきしまる。」
ナレーター:17歳の心をとらえた三国同盟。日米開戦の1年3カ
月前。日本は、ドイツ、イタリアと同盟を結んだ。日本の狙い
のひとつは、日中戦争の解決。中国を支援するアメリカやイギ
リスを、ドイツと組んで牽制することであった。日本はナチス
ドイツの人気に湧いた。
デパートにはためく鍵十字の旗。両国の絆を祝うダンスショー
を、人々は喝采した。
アメリカを強く刺激し、太平洋戦争開戦の大きな要因となった
とされる三国同盟。危機感をいだく人物がいた。後に真珠湾攻
撃を指揮する山本五十六は、こう訴えた。
発言「三国同盟ができたのは致し方ないが、かくなりし上は、日米
戦争を回避する様、極力ご努力願いたい。」
ナレーター:ドイツとの同盟が戦争をもたらすリスク。市民はどこ
まで認識していたのか。今回集めた市民の日記から、戦争に関
係する単語を抽出。その数は延べ2万に達した。それを時系列
に沿って並べ、戦争への危機感や関心が、どのように変化して
いったのかを探っていく。
1940年から翌年にかけて、最も高い値は、日米が開戦した
1941年12月だった。一方、グラフの値が最も落ち込む時
期があった。三国同盟が結ばれた1940年の9月から11月
にかけてだ。アメリカとの戦争の危機を感じるどころか、戦争
への関心が薄らいでいたと考えられる。
専門家「本来なら国際的危機が反米論があがっておかしくないんで
意外だったです。この日独伊三国同盟の意味、真意が国民に伝
わらなかったという問題を考えないと」
ナレーター:市民の戦争への意識が高まらなかった要因として、専
門家が指摘したのが、言論統制。政府は、三国同盟への批判的
な意見を禁止。同時に反米感情の高まりも警戒していた。アメ
リカへの敵性感情をあおる記事を禁止する。
当時の陸軍大臣東条英機が言論統制のエゴドキュメントが残さ
れていた。
発言「英米に対して三国同盟が衝撃を与えるのは必然である。いた
ずらに排米運動を行うことを禁止する。」
ナレーター:東条ら軍の指導者たちは、この時点では、アメリカと
の徹底的な対立を避けようとしていた。すでに陸軍は、100
万を超す大兵力を、日中戦争に投じていた。その上、アメリカ
と対立する余裕はなかったのだ。
これはこの年に撮影された政府のプロパガンダ写真。日本とア
メリカの青年たちによる卓球大会。日米親善がことさらに強調
されていた。アメリカとの戦争を招きかねない三国同盟を結ん
だ日本。その一方で、親米を演出するという矛盾に満ちた政策
を推し進めていた。しかし、そうした日本のご都合主義は、ア
メリカには通用しなかった。ドイツと結んだ日本に、アメリカ
の世論は反発。厳しい経済制裁を求める声は8割に昇った。飛
行機の燃料や屑鉄などの重要資源の輸出禁止が、矢継ぎ早に決
まった。
今晩はここまで。49分番組の20分まで聞き書きをしました。
聞き書きは勉強になるし、後で読み返すことで、
短時間に内容を思い出すことができます。
しかし、時間がかかります。
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