「新ドキュメント 太平洋戦争1941第1回開戦~前編~」④
今日は令和4年4月8日。
前日の記事の続きで、
昨年12月8日放映の「NHKスペシャル 新ドキュメント
太平洋戦争 1941 第1回 開戦 ~前編~」の聞き書きをします。
これが最終回となるはずです。
頑張ろう。
ナレーター:人々に湧きあがる「お国のため」にという愛国心。し
かし、一部に、違和感を抱いていた人もいる。学校の先生をし
ていた森下二郎さん。日本の同盟国、ドイツについて、こう綴
っている。
日記「悪がはびこっている。世界はドイツの戦勝に眩惑されて、そ
の行動を肯定し、賛美する。悼むべし、哀しむべし。」
ナレーター:日中戦争を祝う式典に出た日
日記「この4年の戦果、中国の死傷者三百八十万、日本の死傷者十
万と報じられた。これが祝うべきことであるというのか。これ
が喜ぶべきことであるというのか。」
ナレーター:戦争に反対する気持ちを押し殺し、表向きは、戦争を
賛美する教育に手を染めざるを得なかった森下さん。本音をつ
ぶやく場は、日記にしかなかった。
日中戦争の膨大な犠牲は、特に地方で覆い隠せなくなっていた。
岐阜の農家、野原武雄さん。高まる米の需要にこたえようと、
農作業が続き、妻を過労で亡くしていた。
日記「本日は共同植え付け作業第四日目で、体の具合も大分疲れて
くる。ついに父も倒れて仕事も出来ず、床につくようになりた
り。」
ナレーター:7月の日記には、この頃、村で立て続けに起きていた
ことが記されていた。
日記「本日またもや我が村に五名の〇〇あり。二回目の〇〇故、ひ
としおお気の毒の至りにたまらぬ次第なり。」
ナレーター:伏せ字は「召集」と思われる。兵士の動員に関する言
葉は、機密に関わるとして、軍から咎められる恐れがあった。
農家の次男三男が続々と召集され、戦地へと送られていった。
実は野原さんの息子二人も徴兵され、中国の戦場へ。ひとりは
瀕死の重傷を負った。農村部が日本の戦争をさまざまな形で支
えていた。
4年目を迎えた日中戦争では、100万人以上が動員、戦死者
の数は18万人以上にのぼっていた。
10月。開戦の2カ月前。日米は対立を深めながらも、ぎりぎ
りの外交努力を続けていた。
アメリカが、日米交渉の条件として求めたのは、中国からの日
本軍即時撤兵。しかし、その要求は陸軍にとって、受け入れが
たいものだった。これは、東条が、日中戦争の戦死者の遺族を
訪ねた時のものだ。日中戦争での戦死者18万人以上。東条た
ち陸軍首脳は、撤兵はその犠牲を無にするものとして受け止め
ていた。ではアメリカとの戦争を選ぶのか。東条は悲愴な面持
ちでもらしたと言う。
メモ「支那事変にて数万の命を失い、みすみす撤退するのはなんと
も忍びがたい。ただし日米戦となればさらに数万の人員を失う
ことを思えば、撤兵も考えねばならないが、決めかねている。」
ナレーター:6日後、東条は決断を首相に伝えた。
議事録「撤兵問題は心臓だ。米国の主張にそのまま服したら支那事
変の成果を壊滅するものだ。数十万人の戦死者。これに数倍す
る遺族。数十万の負傷者。数百万の軍隊と一億国民が戦場や内
地で苦しんでいる。」
ナレーター:泥沼の日中戦争がもたらした戦死者、耐え忍ぶ人々。
指導者たちは、その膨大な犠牲に判断を縛られていた。
10月18日、内閣総理大臣になったのが、東条英機。このと
き、天皇は日米交渉の継続をのぞんでいた。東条内閣発足の際、
側近に打ち明けた言葉がある。
日記「いわゆる虎穴に入らずんば虎児を得ずということだね。」
ナレーター:アメリカに強く出るべきとする陸軍強硬派を陸軍の東
条に抑えさせ、それにより戦争を避ける道を探ろうとしていた
のだ。しかし、国民は、軍人出身の首相の誕生に、異なる期待
をいだいた。
日記「いまや死中に活を求めるほかはないのである。」
日記「いよいよ臨戦色濃厚な方向へ進む」
日記「前内閣に類を見ない思いきったことを断行できるのではある
まいか」
ナレーター:アメリカから、再び中国からの撤兵を求められた日本。
指導者たちは、開戦を決定する。
ーーー真珠湾攻撃の映像ーーーー
多くの人たちが、新たな戦争は自らの鬱屈を晴らしてくれると
信じた。
米の配給事業にたずさわるようになっていた井上重太郎さん。
日記「宣戦の詔書が放送された。自分はそれを聞いて涙が出た。誰
が感泣(かんきゅう)せずにいられようか。」
ナレーター:息子二人を徴兵され、重労働にあえいでいた米農家の
野原武雄さん。
日記「大戦果を得たり。まったく我が海軍の強さに驚くほかない。
大東亜戦の開戦、ここに始まる。」
ナレーター:わずかだが、暗い予感を日記に記した人もいた。長野
県の教師、森下二郎さん。
日記「国民は大よろこびで、うかれている。しかしこれくらいの事
で米・英もまいってしまうこともないから、この戦争状態はい
つまで続くかわからない。あてのつかない戦争である。」
ナレーター:金原まさ子さん。娘が、1歳10カ月になったばかり
の日だった。
日記「血わき肉躍る思いに胸がいっぱいになる。この感激!一生忘
れ得ぬだろう。今日この日!爆弾など、当たらないという気で
一杯だ。」
ナレーター:開戦の一体感に身をゆだねた日本人。しかし、その先
に見たものは、命も国土も焼き尽くしていく戦争の正体だった。
日記(金原)「皆 意気盛る 住代 元気!元気でね 大変なのよ、
大変なのよ」
以上、4日かけて49分間番組の聞き書きが完了しました。
やり遂げた気持ちです。
開戦までのいろいろな人たちの心の動きがわかりました。
この番組と同じ昨年12月8日に放映された「新ドキュメント
太平洋戦争1941 第1回開戦~後編~」と「英雄たちの選択
昭和の選択スペシャル 1941 日本はなぜ開戦したのか」を
最近立て続けに見ました。
アメリカやイギリスとの開戦を避けようと思っていた指導者は、
結局は追い込まれて開戦を選択したこと。
最初は国土を守ることが戦争の目的だったのに、勝利によって
大東亜共栄圏建設が戦争目的になってしまったために、
戦争を終えるタイミングを逸してしまったこと。
開戦に酔った人々もいたが、冷静に情勢を見ていた人もいたこと。
そんなことを勉強しました。
特に永井荷風の残した日記に興味をもちました。
世間の風潮に惑わせられず、将来を予測した日記を書いていました。
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