「新ドキュメント 太平洋戦争1941第1回開戦~前編~」③
今日は令和4年4月7日。
前記事に引き続き、
昨年12月8日放映の「NHKスペシャル 新ドキュメント
太平洋戦争 1941 第1回 開戦 ~前編~」の聞き書きをします。
ナレーター:1941年、太平洋戦争開戦の年が開ける。日本はアメ
リカの経済制裁の影響であえぎ始める。
1月のニュース映像「全国から集められた銅や鉄類の献納品は1千ト
ンに達しました。」
ナレーター:国は不足した鉄などの資源を補うため、市民から供出さ
せた。街中から金属が消え、経済全体が冷え込み始めていく。
作家永井荷風は、散歩の途中で見た光景を、日記に綴っている。
日記「道すがら、虎ノ門より櫻田へかけて立ちつらなる官庁の門を見
ると、今まで鉄製だったのをことごとく木製に取り換えていた。
これは米国より鉄の輸出を断られたためである。」
ナレーター:市民の日記から、「品切れ」「枯渇」など物資不足に関
する単語を抽出。1941年1月以降、増加傾向が顕著になって
いく。同じ時期、戦争への関心も高まっていた。戦争に関する単
語数も、増加に転じていた。
生活の不満の高まりを背景に、アメリカに対する過激な論調が目
立つようになっていた。当時のオピニオンリーダー、徳富蘇峰、
1月、ラジオでこう呼びかけた。
発言「米国は日本が積極的に進んでいけばむろん衝突する。しかしぼ
んやりしていても米国とは衝突する。早く覚悟を決めて、断然た
る処置をとるがよい。」
ナレーター:さらに当時のベストセラー作家が刊行した本、「日米戦
はば」
記述「米国なお反省せず。我が国の存立と理想を脅かさんとすること
あらば、断然これと戦うべし。日本は難攻不落だ。」
ナレーター:今で言うインフルエンサー的存在。戦争を煽るような言
葉が、人々をとらえ始めていた。この頃、雑誌が日米戦は避けら
れるかというアンケートを行った。4割もの人々が「避けられな
い」と回答した。
日記「米英の妨害を断然排除して進まねばなるまい。」
ナレーター:静岡、伊東市で書店を営む竹下浦吉さん。不穏な未来を
予測していた。
日記「日本がドイツと同盟して東亜に新秩序を確立せんとする以上、
どうしても米英との衝突は免れぬと思う。」
ナレーター:子育て中の主婦金原さんも、危機感をいだくようになっ
ていた。
日記「日米間の情勢について、だいぶ悲観的な話を聞くようになり、
ママたちも本気で心配するようになっている。本当に日米戦が起
こったら、東京空襲も免れないし、住代ちゃんのような弱い子を
お医者もいない田舎に連れて行って、もしものことがあったらと
思うと暗然とする。しかし、何という時代に生まれ合わせたもの
か!強い母にならねばならない。」
ナレーター:開戦の8カ月前、国の指導者たちは、アメリカとの決定
的対立を避けるための外交交渉に乗り出そうとしていた。背景に
は、陸軍が極秘で行ったアメリカとの戦力比較のシュミレーショ
ンがあった。その報告に立ち会った将校のエゴドキュメントが残
されていた。そこには、指導者たちの本音が、吐露されている。
日記「3月18日。物的国力判断を聞く。」
ナレーター:陸軍の中枢で、政策決定に関わった石井秋穂中佐。この
日、参謀本部で明かされたシュミレーションの結果は、陸軍の首
脳に衝撃を与えた。
日記「誰もが、対米英戦は予想以上に危険で真にやむをえざる場合の
ほかやるべきでないという判断に達したことを断言できる。」
ナレーター:資源豊富なアメリカとの戦争が、2年以上に及んだ場合、
日本側の燃料や鉄鋼資源が不足することが判明。これを受け、陸
軍大臣東条らは、日米戦争は回避すべきと判断した。
軍や政府の決定を知る由もなかった金原さん。育児日記に大きな
変化が現れる。
日記「今こそ、日本の歴史の大転換期であり、住代の育児日記も母の
目に映った世の有様を書き記していこうと思う。」
ナレーター:6月。金原さんを震撼させる出来事が起きる。
日記「世界の情勢は、また大変なことになってきた。独ソ開戦。寝耳
に水のこのニュースに世界中大混乱である。日本の立場こそ、デ
リケートなものになってきた。」
ナレーター:ドイツが突如ソビエトを侵攻し、独ソ戦が勃発。金原さ
んは敏感に感じ取っていたように、日本の運命を大きく左右する
ことになる。
独ソ戦勃発から10日後。それまでアメリカとの戦争を避けよう
としてきた指導者たちが、ここで決定的な判断ミスを犯す。
日本軍が南部仏印、今のベトナム南部に進駐したのだ。
日記(石井秋穂)「自存自衛上、立ち上がらねばならない場合に備え
て、あらためて南部仏印に軍事基地をつくるという要求が生まれ
つつあった。
ナレーター:独ソ戦により日本にとって背後のソビエトの脅威がなく
なった。その隙に、アメリカの禁輸政策のため欠乏する資源を手
に入れようと、東南アジアの資源地帯を、抑えようとしたのだ。
アメリカは、日米のパワーバランスを崩しかねない日本軍の行動
に強く反応した。そして、日本への石油の輸出を止めた。石油の
9割をアメリカからの輸入に頼っていた日本にとって、計り知れ
ない打撃だった。軍の指導者たちは、アメリカがそこまで強硬に
反応するとは、想定していなかった。南部仏印進駐に関わった石
井は、こう振り返っている。
日記「大変お恥ずかしい次第だが、南部仏印に出ただけでは、多少の
反応は生じようが、祖国の命取りになるような事態は招くまいと
の甘い希望的観測を抱えておった。」
ナレーター:希望的観測が招いた石油の禁輸。アメリカとの戦争に慎
重だった海軍も、態度を大きく変える。
発言「じり貧になるから この際決心せよ」
ナレーター:海軍のリーダー、永野修身。この捨て鉢とも受け取れる
言葉の裏には、永野なりの算段があった。
発言「今後は、ますます兵力の差が広がってしまうので、今戦うのが
有利である。」
ナレーター:石油が底をつけば、戦争はできない。その強迫観念が、
指導者を戦争へと駆り立てようとしている。
事態を冷静に見ていたリーダーもいた。海軍次官。澤本頼雄。開
戦に強く反対する。
メモ「資源が少なく国力が疲弊している状況では戦争に持ちこたえる
ことができるか疑わしい。」
ナレーター:澤本は戦争に勝ち目はなく、日米の外交交渉で解決をは
かるべきだと主張した。
メモ「この方向に向かうことこそ、国家を救う道である」
ナレーター:開戦まで半年を切っていた7月。市民の生活はいっそう
過酷な状況になっていた。物資不足に関するグラフは、さらに高
まりを見せる。
日記「帰りに八百屋に寄り、何でもいいから買おうと思ったが何もな
し。あわれ菜っぱ一束、胡瓜一本も買うこともできない。」
日記「食べ物の悲惨 うまいもの食ったのはいつのことなりしか 肉
なしデー ついに冗談ではなく実現す」
ナレーター:国民の食糧不足を補うため、政府がたんぱく源として推
奨したのが、昆虫食。蚕から絞り出した油を食用油に、搾りかす
でうどんを。さまざまなレシピを発表していた。生活に困窮する
市民。人びとは、日々積み重なる不満をどこに向けていたのか。
井上重太郎さん。大阪で精米店を営み、かつては政府の米の管理
に、強い不満を記していた。国が米を統制するようになり、価格
は下落。個人経営では、立ち行かなくなっていった。
日記「組合の人々は集会して、米の共同販売のことを相談している。
やむをえない 時勢に従うほかはないようになってきた。」
ナレーター:国策によって追い詰められ、自分の店をたたまざるを得
なくなった井上さん。しかし、逆に国に協力する言葉や活動が増
えていく。その一つが、隣組だ。食糧の配給など、生活を国が統
制するための地域組織。国防のための奉仕を求められた。
日記「近衛首相の放送があったが、愛国心を説き、国民の総力をもっ
て、困難の克服を強調された。全国一斉に隣組の常会を開くとい
う。今夜は自分のうちで開いてくれと頼まれている。全国民がは
りきっている。」
ナレーター:戦時体制の元、言論を取りしまり、愛国教育を強化して
きた日本。多くの国民は、協力して、国の危機を乗り切るべきと
考えるようになっていた。
娘が1歳を迎えた金原さん。育児日記に、戦争への覚悟の言葉が
現れるようになる。
日記「住代ちゃんにあげるおやつを探し回って、午前中をつぶしてし
まった。パン屋さん全部休み。世界戦争も実現するかもわかりま
せん。住代ちゃんも食べるものも不満足ですが、でもしっかりや
っていきましょう。大東亜建設のため、次の日本を背負って立つ
のは住代ちゃん あなたがたなのです。丈夫に育って、立派にお
国のために尽くしなさい。パパもまた一命を国に捧げねばならな
くなるかもわかりません。」
ナレーター:「お国のため」生活の不安とアメリカとの戦争の予感が
結びつき出てきた言葉だった。
日記「アメリカの参戦も時期を早めるだろうとの予測もある。肉がな
いお菓子がないどころの騒ぎではなくなってきたのだ。しかしこれ
もお国のためと思えば我慢する。」
専門家「自分たちを苦しめているのは政府ではなく、背後でイギリス
やアメリカが経済的に圧迫していくので、われわれの生活はどん
どん追い込まれていくと。自分たちの生活を苦しめている敵、英
米を叩いたら、生活も元に戻る。そういう意味で、お国のためと
いうことが、素直に受け入れられていた。」
ここまでにしよう。
つづきは明日の朝にしよう。疲れた。
49分番組のうち、38分まで聞き書きをしました。
明日の朝で終わりになる予定です。
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