2025年8月13日 (水)

20250605富士山登山③ 剣ヶ峰に立つ/やっぱり雲の動きを撮影

     

今日は令和7年8月13日。

  

前記事の続きで、6月5日の富士山登山の報告です。

  

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頂上下の雪渓を、アイゼンを装着して登りました。

左がMちゃん、右がNさん。

  

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雲と雪渓がダイナミックな景色を作っていました。

この雪渓の上を歩いている時に、右の空で雲が乱舞し始めました。

ぐわっと上がった雲が、急激に下がり、そうかと思ったらまた昇る。

ダイナミックな雲の動き。

見惚れてしまったけど、我に返ってスマホを取り出して撮影。

それがこの動画。


YouTube: 2025年6月5日 富士山 雪渓で足を踏ん張って雲を撮影


雲の上下の動きはイマイチでしたが、

太陽と雲の共演はよかったかな。

  

雪渓を登り終わって、アイゼンをはずしました。

昨年は雪渓が済んでも頂上やお鉢巡りはアイゼンをつけたままでした。

今年は雪が少ない。

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富士宮コースの鳥居。午前10時24分撮影。

ここまで5時間40分ほど経過。

この鳥居、よく覚えています。

昨年もこの鳥居まで頑張ろうと、必死に登りました。

  

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やっぱりここでも雲の動きが気になりました。

同行者の方には先に剣ヶ峰に向かって登ってもらい、

私はしばらく雲の動きを撮影しました。


YouTube: 2025年6月5日 富士山 頂上浅間大社奥宮の上空の雲

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地肌が出ていると、崖が急であることが感じられて、

昨年よりも恐怖を感じました。

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剣ヶ峰頂上到着は、午前10時49分。6時間3分で登頂。

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Mちゃんにいただいたチーズ。

Mちゃんのお気に入りのチーズで、登山の時にはいつも携帯して、

同行者に渡しているとのこと。美味しいチーズでした。








  

 

  




   

  

2025年8月12日 (火)

20250605富士山登山② 風は強いが雲の動きは面白い

     

今日は令和7年8月12日。

  

夏休みの後半。ブログを頑張ろうと思います。

毎日少なくとも2通の発信を心がけます。

書きたいことはたくさんありますからね。

書き留めておきたいです。

  

ここでも道草 20250605富士山登山① 晩に見た夜景とアンタレス/出発(2025年8月4日投稿)

この記事の続きです。

  

6月のツララ。

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八合目目前。

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本当に今年は、下界が良く見えます。

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ここも昨年見た場所だなあ。

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ここからは見晴らしがよく、ずっと駿河湾まで見えました。

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下界からも、今日の富士山は頂上がよく見えるんだろうな。

上を見上げると、雲のない頂上方面が見渡せます。

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八合目の山小屋前で休憩してから出発。

雲の動きがいいぞと思って動画撮影。


YouTube: 2025年6月5日 今年の富士山は風があって、雲の動きがよかった


突風もあって、足を踏ん張って風がなくなるのを待つ時もあった登山。

でも雲の動きは、魅力的でした。

昨年は味わえなかった景色です。

  

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↑  雪渓。下山はこの雪渓を下りました。

  

  

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昨年は、ここは一面が雪でした。

でも、今年の景色が例年なのだそうです。

昨年は、登る直前に雪が降ったので、雪があんなに多かったようです。

  

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昨年買った「食べる酸素」

まだ残っていたので、今度も食べました。

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そのためか、頭痛もなく、快適に登れたと思います。

  

  

でもここだけです。アイゼン準備。

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今晩はここまで。

今日はギリギリ2つ発信できました。






  




   

日航123便墜落自衛隊ミサイル誤射説を朝日新聞がファクトチェック

     

今日は令和7年8月12日。

  

先日、このブログを継続して読んでくれている友人が、

「時々、政治のことを書くけど、それはらしくない」

「好奇心で身の回りのことを書いていくのが、いい」

と教えてくれました。

政治のネタも、私としては好奇心がきっかけで動き出しましたが、

やっぱりちょっと特別かなと思います。

関わっていけばいくほど、何やら差し障りが出てきそうなのが、

政治のネタだと感じます。

  

今日は40年前に日航123便が墜落した日。

墜落原因について疑念を持つようになったのは、令和3年。

それから4年間。いろいろな勉強をして、記事も書いてきました。

これも調べれば調べるほど政治ネタになってきました。

友人のアドバイスがありましたが、これについては書いていきたい。

  

今朝、遺族の吉備素子さんのメールを届きました。

朝日新聞がとんでもない発信をしたことを伝えるものでした。

それについて書いていきます。

  

2016年から、朝日新聞は「ファクトチェック」を始めました。

朝日新聞 ファクトチェック

このサイトから引用。

  

朝日新聞社は2016年10月、政治家の発言などのファクトチェックを

始めました。インターネット上で偽情報や誤情報が飛び交う状況を踏

まえ、より客観性と透明性の高い形を目指して、25年6月、新たに指

針を公開。独自の判定基準も設けました。取り組みを強化し、ファク

トチェック編集部も発足します。

  

その趣旨はいいと思います。

判定基準は次のようです。

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このファクトチェックを、日航123便墜落の「自衛隊ミサイル

誤射説」に行ったのです。

ファクトチェック 日航機墜落、「自衛隊ミサイル誤射説」をファクトチェック→「誤り」(2025年8月11日)

 

一部引用します。

  

ファクトチェック

 「1985年に起きた日本航空ジャンボ機墜落事故は、海上自衛隊の護

衛艦『まつゆき』から発射されたミサイルで撃墜されたことが原因」

(インターネットや書籍での言説)

  

この言説についてのファクトチェックです。

それが見るも無惨な脆弱な根拠の列挙。

その挙げ句に、判定は以下の通り。

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青山透子さんをはじめとする方たちが調査したことには触れずの判定。

影響力がある朝日新聞が、なぜこんな判定をしたのかわかりません。

青山透子公式サイト 日航123便墜落の真相

このサイトに載った青山透子さんが朝日新聞に送った抗議文を、

転載します。

  

この記事では公文書別冊(2013年公開)の異常外力着力点を無視

している。さらに一方的に都合勝手な理由(ハリウッド映画云々)で

ごまかした非科学的な言い分でまとめている。これを書いた人間、つ

まり朝日新聞は、東京地方裁判所での遺族による情報開示裁判のすべ

ての資料を読み込んだうえで「誤り」と言う結論を出したのか否か、

まず答えよ。情報開示裁判において再調査を求める数々の疑問点と科

学的証拠、学者の意見を出している。それを読んだのか、答えよ。

これは、再調査を願う遺族を封じ込めるための最も卑怯な記事である

裁判記録や裁判証拠公文書も読まずにこのファクトチェックを行って

勝手な結論を出したのならば、それは恣意的で由々しきことであって、

公平性と客観性に欠けた新聞倫理に違反する記事である。日米公文書

や科学的証拠を検証せず、詳細に調べもせずに最低の行為である。一

体どこまで調査したうえで書いたのか。そうでないというならば、遺

族の代理人弁護士と青山透子氏に反論の機会を与えるべきである。墜

落原因に疑問を持つ遺族の声をも封じ込めようとする魂胆が見え見え

であり、裁判資料に目を通さずに結論づけたとすれば、遺族の再調査

への権利放棄への圧力となる報道であって、朝日新聞は報道の公平性

と客観性にも違反する。

  

世論は変わりつつあると思うのです。

青山透子さんをはじめ、森永卓郎さんの発信で、

今まで圧力隔壁の損傷が原因と思い込んでいた人たちの中でも

きっと「おかしいぞ」と思い出した人が増えていると思います。

私がそうだったように。

  

事件をリアルに知っている人たちが生存中に、

真実が知りたい事件です。

  

  

 

  

  

2025年8月11日 (月)

覆面パトカーに後続車が捕まった

    

今日は令和7年8月11日。

  

午前10時20分から始まる映画「国宝」を見るために

奥さんと映画館に行きましたが、

いつもとは明らかにお客さんの数が違いました。

老若男女、たくさんの人たちがいました。

今日は雨模様で、映画を見に来る人が多いのかなと思い、

チケットを買うために自販機へ。

そこにも行列ができていました。

こんなににぎやかな映画館は初めて。

そしたらもう「国宝」はほぼ満席。

  

午前10時20分上映を諦めて、13時55分のチケットを買いました。

一度家に帰ることにして、その帰路、四つ角交差点で右折。

信号機は黄色になっていたけど、止まらずに交差点に侵入。

そしたら私の次の車も右折してきました。

私でもギリギリだったのに、後ろの車も続いてきたのでビックリ。

  

そしたら後ろでサイレンがなりました。

覆面パトカーの赤色灯がバックミラーに映りました。

どこからか急に現れた覆面パトカー。

「いかん、捕まったかな?」

と思いましたが、覆面パトカーは私の後ろの車の側面につき、

路地に入るように指示していました。

私が捕まったかと思いましたが、幸い後続の車でした。

奥さんと2人でホッとしました。

   

疑問が2つ。

捕まったら反則金はいくらなのか?

覆面パトカーの赤色灯は、昔の刑事ドラマでは、

窓から手で出してルーフに取り付けていましたが、

今はそうではないとのこと。

どうやってルーフに取り付けるんだ?

調べてみました。

  

信号無視をした場合、普通車は9000円の反則金でした。

覆面パトカーの赤色灯は、ルーフから自動的に出てくるようです。

この動画がいい。


YouTube: 普通のクラウンから一瞬で変身!🚨 #取り締まり #覆面パトカー

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ルーフの中央の蓋が開いて、赤色灯が出てきました。

こうなっているんだ。

なかなか格好がいい。

  

疑問解決。

交通ルールは守ろう。

  

そろそろ映画館に向かって出発です。


  

韓国ドラマ「武神」20話/ムン・デ 弩弓

   

今日は令和7年8月11日。

   

間が空いてしまったけど、前記事の続き。

  

7月7日放映の「武神」(第20話)より。

ムン・デと言う人物について。

日本の鳥居強右衛門のような人物だと思いました。

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ムン・デについて調べたくて、

ネットで検索しました。

その結果、やっぱりこのドラマ「武神」が出てきてしまいます。

それ以外の資料が出てきませんでした。

ただヒントはありました。

ひつじのブログ『武神』20話。

ここの文章を引用します。

 

出演を喜んでいたムン・デ役のチョン・ノミン。

  

この1行。

俳優のチョン・ノミンは、ムン・デ役で出演することを

喜んでいたと考えるなら、韓国ではムン・デは有名人物なのではないかと

予想します。

日本で「鳥居強右衛門」役をやるように注目されるし、

命をかけて籠城中の人たちを元気づけた人物を演じるのは、

きっと俳優さんにとっても喜ばしいことだと思います。

  

結論。きっと韓国ではムン・デはよく知られた人物だと思います。

  

  

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今度は「弩弓(どきゅう)」に注目。

この武器は、画面にちょっと出ました。

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現在のクロスボーと同じ仕組みと思われます。

写真転載元:CROSSBOW JAPAN

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蒙古の様に、騎馬兵には不向きだった兵器のようで、

蒙古軍は弩弓を所持していませんでした。

したがって、高麗の城から放たれる弩弓の弓は

脅威だったと思います。

普通の弓より、スピードが速く、射程距離も長かったようです。

  

韓国ドラマ「武神」

勉強になりました。

  

  

2025年8月 8日 (金)

韓国ドラマ「武神」20話/鉄州城の位置 金俊の生涯

    

今日は令和7年8月8日。

  

前記事の続き。

  

鉄州(チョルチュ)城に立て篭もる高麗軍と蒙古軍の戦い。

これはいつのことだったのか?

鉄州で調べても、ドラマ「武神」第20話が検索で引っかかるのみ。

ただ、鉄州城の次に蒙古軍が攻めた亀州城の攻防は

Wikipediaに説明がありました。これです。

Wikipedia 亀州包囲戦

このサイトを読むと、鉄州城の攻防戦は1231年だとわかります。

蒙古軍の進路を示した地図を転載します。

蒙古の第一次高麗侵攻の地図です。

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蒙古軍による高麗侵攻の初年の戦いであり、

鉄州城は、国境の鴨緑江を越えてすぐのところにあることが

わかります。

主人公の金俊(キム・ジュン)は、

若くして蒙古との戦いに参加しました。

Wikipedia 金俊

このサイトによると、亡くなるのは1269年。

38年間、蒙古と戦ったことになります。

最後は、高麗国王の親モンゴル政策に反対したため、

暗殺されました。

テレビ愛知での放映は、今日で「武神」の第43話。

終わるのは56話。この夏の思い出になりそうなドラマです。

  

こうやって「武神」について調べていて、

びっくりしたことを知りました。

金俊(キム・ジュン)役のキム・ジュヒョク。

韓国で人気の俳優でしたが、2017年10月30日に、

交通事故で亡くなっていました。

「武神」で目が死んでいるようなところは気になりますが、

熱演しているキム・ジュヒョクは今はこの世にいないのですね。

すぐに奥さんに伝えました。

奥さんもびっくりしてました。  

  

「武神」20話で調べたいことはまだあります。

ムン・デと言う人物のこと。

そして「弩弓」のこと。

  

また後日。

明日はまた汗をかきます。

今度は登山。

2025年8月 7日 (木)

気になる韓国ドラマ「武神」/高麗は40年も蒙古と戦っていた

    

今日は令和7年8月7日。

  

テレビ愛知でずっと韓国ドラマが放映されています。

「トンイ」「イ・サン」「馬医」と見てきたのかな。

「トンイ」よりも前も見ていたと思うけど、

忘れました。

そういえば、「ホジュン 〜宮廷医官への道〜」も見たかな。

私も時々一緒に見ています。

でも今放映されている「武神(ぶしん)」は気になります。

2012年制作のドラマ。

気になる理由は、朝鮮が高麗の時代であり、

蒙古軍と戦争中を描いているドラマだからです。

   

7月7日の放映。

「武神(20)悲壮の鉄州(チョルチュ)城」

まさに蒙古軍と高麗軍の戦いの場面が描かれていました。

これは録画すべきだと思って、番組の途中から急遽録画スタート。

そしていい場面が録画できました。

  

鉄州城に立て籠った高麗軍。

城を囲む蒙古軍。

蒙古軍は、他の城を落とした時の捕虜を1人ずつ、

鉄州城の司令官、兵士たちの前に出させて、

「蒙古軍と戦っても勝てない。降伏しろ」と言うのなら命を助けると告げる。

これって、長篠城の鳥居強右衛門のパターンですよ。

    

 

1人目だったのがこの男。

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ムン・デという名前の武将。

周りは蒙古軍に囲まれています。

その中でムン・デは言います。

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怒った蒙古の兵士。

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しかし、ムン・デは続けます。

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蒙古軍の大将に言われた部下の兵士は、

ムン・デを切ります。

ムン・デは、「戦え」と言いながら絶命します。

  

ここでナレーターが語ります。

字幕はナレーターのセリフです。

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ちなみにこの人物が主人公の金俊(キム・ジュン)

俳優はキム・ジュヒョク。

ナレーターのセリフは続きます。

  

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鉄州城はこのナレーターの言うように、

この後、城から打って出て、蒙古軍に敗れます。

  

ナレーターの言葉が心に残ります。

蒙古軍と高麗軍は約40年も戦っていたのですね。

Wikipedia. モンゴルの高麗侵略

このサイトに詳しかったです。

勉強になりました。

このサイトによると、蒙古軍と高麗軍の戦いは、

1231年〜1273年です。  

確かに40年余りです。

結果、その後高麗は、約80年蒙古・元朝の支配下に入ります。

元軍が日本を攻めてきた元寇は、1274年と1281年。

まさに支配下に入った高麗軍が、元寇で日本を攻めたことと、

つながります。

  

私のイメージでは、高麗は蒙古の勢いに瞬く間に占領されたと

勝手に思っていました。違いました。

高麗は、元寇の直前まで、約40年蒙古と戦っていたことを知りました。

高麗に対して、すごく申し訳なく思いました。

  

高麗はもともと文臣支配の国でしたが、

1170年、武臣がクーデターで実権を握り、1270年まで武臣政権と

呼ばれる政権が高麗を握っていました。

ドラマでは、武臣のトップはチェ・ウでした。

これは史実と一致します。

主人公のキム・ジュンは、このチェ・ウの家臣になっていきます。

kntv 武神

このサイトの相関図を転載します。

  

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史実では、チェ・ウは1249年に亡くなっています。

ドラマでは、そろそろその場面になりそうです。

鉄州城での戦いは本当にあったのか?

ムン・デの存在は?

番組に出てきた地図です。

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もう少し調べたいですが、今晩はここまでです。

明日は、勤務校の森の伐採・剪定・草取り11日目です。

夏休みの前半、最後の作業日になりそうです。

1回5時間働きましたが、通常は2時間です。

でも明日は少し気温も下がるし、前半最後でもあるので、

3時間頑張ろうと思います。そのためにもう就寝。

予定より30分遅い。







  

2025年8月 6日 (水)

汗の代償/ナナフシ カマキリ アオバハゴロモ サル

    

今日は令和7年8月6日。

  

今日も午前中、頑張って働いてきました。

勤務校の森で伐採・剪定・草刈りをしてきました。

天気予報では、今日が高温のピークと言っていましたが、

そうなって欲しいです。

今日も汗をたっぷりかきました。

  

一緒に森で働いている用務員のお兄さん。

大の虫好きなので、仕事をしながら、虫がいると捕まえます。

今日はナナフシとカマキリを捕まえ、見せてくれました。

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勤務校の森にはナナフシがいるよとは聞いていましたが、

実際に見ることができました。

真ん中の両側の足がなくなっています。

ナナフシは何を食べているのだろう?

  

調べたら、葉っぱだそうです。

広葉樹の葉っぱを好むとのこと。

夜行性なので、昼間は枝に擬態し、夜、食べるようです。

  

  

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ピントが甘いのが残念。

カマキリです。

お尻を上げているところが貴重。

あんまりこのポーズを見たことがないです。

  

  

今までにもカマキリは森付近でよく見かけます。

春に校庭で逃した羽化したばかりのカマキリが

成長した姿なのかと思います。

  

昨日(8月5日)に見たカマキリ。

壁を歩いていました。

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7月23日に見つけたカマキリは、動画で紹介。


YouTube: 2025年7月23日 カマキリとアオバハゴロモ

  

この動画では、カマキリに最初は注目していましたが、

アオバハゴロモが瞬間に飛び立つその速さに驚き。

私の持つ編集アプリで、最もスローにしてみましたが、

飛び立つ姿は見ることができませんでした。

  

  

今日の汗の代償はまだあります。

朝、さあ仕事をしようと思ったら、

猿を見かけました。

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ナナフシと一緒で、森に現れるよとは聞いていました。

目撃できました。

2025年8月 5日 (火)

「エンスト」と「エンコ」最近使っていますか?

     

今日は令和7年8月5日。

  

夏休みに入って勤務校でやっている仕事は、

野良仕事(農業)ではなく、林業に近いです。

野良仕事をやっているのは、奥さんの実家に行った時です。

8月3日。この日は奥さんの実家に行って野良仕事。

刈った草を集めて、軽トラに積んで、畑に持っていき、

畝の間に草を敷き詰める仕事。

実家の軽トラは、オートマチック車ではなくて、

マニュアル車。ずーーーと、マニュアル車はご無沙汰。

30年以上かな。

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それでも何とかなるだろうと運転してみたら、

全然ダメ。

足の動きが、忘れていました。

クラッチペダルをいつ踏んで、いつ離すのか。

ブレーキペダル、アクセルペダルとの連携はどうだったか。

足に感覚が残っていませんでした。

久々のエンスト体験を3回。急発進を2回。

悪戦苦闘しました。

奥さんの実家が山の中なので、ほぼ平らな道がないのも厄介。

坂道発進では、たらたら坂道を下り出して、焦りました。

  

エンスト。

この言葉で思い出したのが、「エンコ」

先日、何かの場で相手に「エンコしているんだよ」と

私が言いました。

そう言った直後に、ふと疑問に思ったのです。

「エンコって言葉は相手に伝わったのか?」

同席していた同年代の人が、相手に「エンコしているんだって」と

私の言葉に重ねて「エンコ」を使ってくれました。

相手は誰だったか、どんな状況だったのか。

思い出そうとしても、どうにも思い出せません。

こんな曖昧な話ですみません。

とにかく「エンコ」を口にしたことが、思い出に残ったのです。

  

エンスト=エンジン+ストップだと思っていましたが、

正解はエンジン+ストール(Stall:失速)だそうです。

エンコ=「自動車等が故障して動かなくなること」

この言葉のいわれは、一説には「エンジン+故障」

  

この「エンコ」

現代でも通じるのか?

ChatGPTに質問してみました。

ChatGPTは、最初、指詰めの話をしてきたので、

なぜだろうと思ったら、「エンコ詰め」というのは、

「指を詰める」というヤクザ世界の隠語だったのですね。

そのエンコではなくて、エンジン故障の「エンコ」と

聞き直しました。

その回答です。

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3つの理由。よくわかります。

特に2番、3番目の理由。「エンコ」の一言で済まさずに、

具体的に説明するというのが、納得でした。

  

  

実家の話に戻ると、しばらく運転していたら、

マニュアル運転をだいぶ思い出しました。

クラッチを踏んでギアチェンジしての運転は、

やっぱり格好はいいですね。

自動車を操っている感じがいいです。

うまくやれば自動車はいい反応。

失敗したら、自動車は無駄な動きをします。

この感覚は、楽しいな。

  

そういやあ、「エンスト」だって、

「エンコ」と同じ境遇だろうなあ。

同年代の方たち、「エンスト」「エンコ」を最近使いましたか?  

  

2025年8月 4日 (月)

20250605富士山登山① 晩に見た夜景とアンタレス/出発

     

今日は令和7年8月4日。

   

やっと6月5日の富士山登山について書こうと思います。

令和6年は6月6日に登っています。

2年連続で、この時期の富士山登山。

まさか、この歳になって2年連続で富士山に登るとは

思っていませんでした。

山のお師匠さんのNさんのお誘いのおかげですね。

今回は女性のMちゃんも加わって3人での登山でした。

Mちゃんは、先輩ですが、1ヶ月ほどの誕生日違い。

Nさんはまもなく71歳。

もちろん一番体力があるのはNさんです。

  

出発は豊橋を6月4日午後7時過ぎ。

今年は私の車で、私の運転でした。

5合目に着いたのは、午後10時過ぎでした。

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駐車場にテントを張り、寝る準備。

次の日の朝は早いので、できるだけ早く就寝する必要があります。

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駐車場からは、夜景が見えました。

夜空ではさそり座が目立っていました。

Hondaキャンプ さそり座

このサイトから転載。

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アンタレスの赤がよくわかりました。

  

就寝は11時頃。

寝つきが早くて、いびきがうるさいらしい私。

他の2人には迷惑をかけたと思います。  

   

   

午前4時46分。

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昨年よりも厳重になっていて、登山道に入りにくくなっていた、

と思いました。

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登りはじめは2400m。

したがって登る高さは1377m。

右がMちゃん、左がNさん。

  

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日の出。

風はあるけど、昨年よりはいい天気でした。

  

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さすが樹木のない富士山。

これから向かう場所が見通しがいい。

  

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下界の樹海の緑の絨毯がよく見えました。

  

  

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そうだ、どのコースを登ったのか書き忘れていました。

昨年と同じ富士宮コースです。

初心者のための登山とキャンプ入門

このサイトから地図を引用。

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もう2ヶ月経ってしまったので、この山小屋がどこなのか

不明です。

  

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最後に動画。この日の風の音をお聞きください。


YouTube: 2025年6月5日 富士山富士宮コース 風の音











  

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