2023年9月 5日 (火)

朝、虹を撮ることができました

   

今日は令和5年9月5日。

  

朝の小学生の登校時。

毎週火曜日はスクールガードのおじさんです。

昨年の10月から始めたので、もうすぐ1年です。

いつもは、スクールガードの制服を着て、

帽子を被り、赤色灯を持って出かけます。

今朝は、スマホをポケットに入れて出かけました。

スマホは持参しないタイプの人間で、

家に置いたままのことが多く、家族に叱られていました。

  

しかし、昨年くらいから変わってきました。

理由は2つ。

①昨年度、町内会長をやったから。

 市役所や町内会の人たちや、今まで縁がなかった団体さんまで、

 いろいろな人から電話が来るようになったので、

 なるべく早く対応したほうがいいと思ったからです。

②デジカメを諦めて、スマホで写真を撮るようになったから。

 画質もそんなに悪くなく、iPhoneで撮った写真は、

 自動的にiCloudに入り、その写真を使ってiPadでブログを書くのが、

 とても楽になったからです。

   

私の大きな生活の変化です。

今朝もカメラを持ってスクールガードに行って良かったです。

虹を撮ることができました。

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この虹、数分で消えてしまいました。

今日の朝は、ラッキーなスタートでした。

2023年9月 4日 (月)

「日中友好侵略史」を読みました

   

今日は令和5年9月4日。

  

久々、本の話。

この本を読みました。

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「日中友好侵略史」(門田隆将著/産経新聞出版)

  

安倍晋三首相については、森友問題における発言を見て、

あまりいい印象を持っていませんでした。

しかし、この本で門田さんは、侵略してくる中国の壁の役目を

安倍首相が担ってきていたのだと言います。

その安倍元首相が殺されたことは、日本にとって大きな痛手だと言います。

  

日本を利用して、十分利用したら、態度を豹変させる中国。

覇権国家をやめることができない中国共産党。

やめた時には、中国共産党が物理的に

殺される日だと思っているからです。

それだけ、中国共産党は、ひどい弾圧をやってきたからです。

政権から下りたら、命はないのです。

この発想は、この本で学びました。

世の独裁者の多くが、政権を下りたときに、

悲惨な目に遭っているのを、中国共産党は知っているのです。

  

この本で知った新しい視点は、私にはスッと入ってきました。

中国は、長い年月をかけて、日本を利用してきたのです。

中国の怖さを感じた本でした。

  

もう少し、この本について書きたいけど、

今晩はもう遅いので、また明日。

2023年9月 3日 (日)

鍛冶屋は今も存在するかどうか

   

今日は令和5年9月3日。

  

校区に鍛冶屋がまだあるかどうか。

9月1日はこれを確認することも宿題でした。

2009年にはあったはずです。

ここでも道草 古い民具:鞴(ふいご)

これは8月31日の記事です。

記事の最後に、「松尾かじや」のことに触れています。

その記事から飛ぶことができる2009年の記事からの引用。

  

「松尾かじや」の創業は大正8年、現在は茂さんと長男の哲明さんが

2人で工場を切り盛りしている。

  

2009年はこの状態でした。  

それから14年。

今も存在するかどうか。

  

整体に行った後に、豊川市牛久保町の細い道を、

自動車をゆっくり走らせて、目を配りました。

そして、見つけました。

予想外に新しい建物でした。

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でもちゃんと存在しました。

感激です。

  

また後日連絡をとって、いろいろなものを見せてもらおうと思っています。

また楽しみが増えました。

キアゲハの羽化 マクロレンズの登場

   

今日は令和5年9月3日。

  

キアゲハの幼虫が蛹になったのは、

8月25日でした。

それから10日。

キアゲハが羽化しました。

8月27日に買ったマクロレンズの出番です。

  

キアゲハが赤面するぐらい?

接近して撮影しました。

   

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いかがでしょう。

お気に入りの写真はありましたか。

老眼の肉眼では、決して見ることができない毛並みなども、

写真に撮ることで、見ることができました。

羽根の胴体よりにある毛は、とっても格好がいいです。

この毛は、羽根の付け根を保護するためらしいです。

※参考:kankitanenkitaのブログ キアゲハ/成虫・体のつくり

マクロレンズを買って良かったです。

小倉トーストを食べてきましたよ/カフェmoe(モエ)

  

今日は令和5年9月3日。

  

前記事で書いたことを実行しました。

小倉トーストを食べてきましたよ。

  

お店は豊川市のカフェmoe(モエ)です。

食べログ 豊川 カフェmoe

こんな小倉トーストでした。

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さらにアップ。

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期待通りの甘さでした。

柔らかくて、食べていると垂れてきました。

小豆の甘い味と、トーストの味が合わさって、

これこれ、この味と思いながら食べました。

  

前記事に載せた10年以上前の写真と比べて、

パンの厚みが増したかなと思います。

フォークがパンの下に挟んであるのは、

なぜだろうと疑問に持ちました。

喫茶店慣れしていない私には、不思議でした。

  

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観葉植物が驚きの成長。

天井まで届き、そこから横に伸びています。

これってつる性の植物でしょうか。

そうでなければ、こんな細い幹で、

全体を支えて直立できるとは思いません。

大きな葉っぱでした。

  

隣の席に、大学生風の男女4人が座りました。

聞こえてきました。

「コーヒー飲むと、眠れなくなっちゃうんだよな」

「食後は寝たいのに、寝れなくなっちゃう」

そんな会話で、大爆笑していました。

  

支払いを済ませて外へ。

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出入り口の傍の水の入った鉢に、バラが浮いていました。

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こんなお店でした。

2階に上がる階段もおしゃれでした。

  

2023年9月 2日 (土)

小倉トーストが無性に食べたくなりました

   

今日は令和5年9月2日。

  

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ファミリーマートで売っている小豆のあんこと練乳の氷アイス。

先日はセブン&イレブンの小豆のあんこと練乳のアイスについて書きました。

最近は小豆が好きですね。

あの甘さが好きです。

昨年も書いたようにあずきバーも好物です。

小豆のあんこの入った饅頭も、好きですね。

どうしたんだろう。

こんなに好きだったかな。

これも年齢を積み重ねてきた結果として、

小豆のあんこが好きになってきたのでしょうか。

   

今日は、無性に小倉トーストが食べたくなりました。

明日は午後に用事があるけど、朝は大丈夫。

喫茶店にあまり行かない自分ですが、

珍しく明日はモーニングに行くかと奥さんに言いました。

行くことになりました。

店を検索しました。

「小倉トーストが美味しい店 豊川市」で検索。

いろいろ調べていって、決めたのはこの店。

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食べログ 豊川 カフェ Moe

このこんもり盛った小倉がいい。

こんなのが食べてみたかったです。

ただこの写真は10年以上前の写真。

でもきっと今も期待に答えてくれる予感がします。  

  

うまくいったら、小倉トーストのアップ写真を

明日アップします。

  

ブログ読者の方で、小倉トーストが美味しい店をご存知の方は、

紹介してくださいね。

これも退職者の楽しみにしたいです。

1923年 福田村事件

   

今日は令和5年9月2日。

   

関東大震災が起こったのが1923年(大正12年)9月1日。

今年の9月1日が、ちょうど100年でした。

その9月1日に、この映画のことを知りました。

次の動画を見てください。

関東大震災100年「福田村事件」を映画化 主演・井浦新さん「次に起きないためには」(2023年8月31日)

  

関東大震災の5日後に起こった出来事。

初めて知る事件です。

Wikipedia 福田村事件

このサイトを読みました。

  

この事件はずっと闇の中だったのですね。

動き出したのは1979年。

事件の遺族からの連絡で、現地調査がスタート。

1980年代後半から、新聞でも取り上げられるようになりました。

福田村は現在の野田市。

野田市に追悼慰霊碑が立ったのは2003年。

  

私が知ったのは昨日でした。

まだまだ知らないことがあります。

  

とっくに風化しないように活動していた人たちがいます。

例えば、この動画。

江戸川大学 隈本ゼミ卒業作品 「福田村事件」の再検証と慰霊祭

大学生は、いい勉強・体験をしています。

事件の生存者の写真は、ドキリとします。

悲惨な体験をしたオーラが出ています。

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中川五郎さんが再登場。

ここでも道草 独裁国家で暮らした経験のない人には想像できない勇気/反戦歌を味わう(2022年10月8日投稿)

この時に、中川五郎さんを知りました。

そして、その中川さんが作詞した曲「1923年 福田村の虐殺」を

今回動画で見ました。

27分に及ぶ曲です。

映画を見る前に、すでに2009年からこの歌を歌っている

中川さんの歌を聴くのはとてもいい体験でした。

Wikipediaを読んで、おかしいぞと思ったことを、

中川さんは歌っていました。

そして今の人たちへのメッセージも伝えてくれます。

27分。こんな長い歌を聞いたことがあるかなあ。

でも歌詞に無駄はなかったです。

こんな曲を作ってしまい、歌っている中川さんの凄さに

圧倒されました。

9月の最初のブログは、この映画と歌を紹介したいと思います。

時間がある時に、この曲を聴いてみてください。

中川五郎「1823年 福田村の虐殺」2022年8月5日 岡山LIVE

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こうやって自宅にいて聴ける幸せ。

いい勉強になりました。

2023年8月31日 (木)

英雄たちの選択「どうした?石川数正」

    

今日は令和5年8月31日。

  

最近は、YouTube動画を頻繁に見るようになり、

テレビ番組を見るのは、とても疎かになっています。

でもきっかけを与えてくれるかたがいたので、

今日は、昨晩放映の

「英雄たちの選択 どうした?石川数正 

〜なぜ家康の忠臣は出奔(しゅっぽん)したのか〜」を見ました。

勉強になったことをここに書きます。

  

「英雄たちの選択」は、冒頭で磯田道史さんが、

今日の人物を一言で評するところに注目しています。

今回は、こう言いました。

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そうなんだ。

他の人のために頑張った人なんだと思います。

自分が、自分がと表に出ずに、

援助していきた人なんだなあと思いました。

大河ドラマ「どうする家康」でよく登場し、

先週は、ほぼ石川数正が主人公の回だったこともあって、

いろいろ調べた上で、磯田さんの言っていることが、

共感できました。

  

今回のゲストは豪華でした。

大河ドラマの監修をしている平山優さん、

お城と言ったら、すぐに登場する千田嘉博さん、

そして国際交渉人という世界を股にかけて活躍していた

島田久仁彦さん。

「英雄の選択」ではレギュラーが集まった感じでした。

今回の選択はこれでした。

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なぜ石川数正は出奔したのか。

その理由でした。

そして3人のゲスト、そして磯田さんを含めての4人が、

全員2番の「徳川を守るために出奔」としました。

全員の意見が揃うのは珍しいのでは。

磯田さんが言うには、江戸時代、明治時代くらいまでは、

石川数正はとんでもない極悪人と言われていたようです。

何せ、家康を裏切って、秀吉のもとに行ったのですから。

江戸時代に評判が悪いのは想像がつきます。

それが研究が進むにつれて変化してきました。

  

天正13年(1585年)11月13日に、

石川数正が出奔したのは、

徳川を守るためだと思われるようになったのです。

石川数正は評価されるようになったのです。

良かったですね。

歴史家が、資料を探し、研究してきた結果だと思うと、

評価を180度変えてしまった歴史家に人たちは、

すごいなあと思います。

  

大河ドラマ「どうする家康」で、

石川数正がどう描かれるか、気になるところです。

徳川を守るために、石川数正は何をするのか。

脚本家の想像力に期待してみたいです。

  

家康を軍事力で服従させたかった秀吉が、

天正大地震によって、大きな損害を被ったので、

軍事力を諦めて、外交力で服従させようと動いたと

番組では説明されていました。

私は、天正大地震によって、

家康は助けられたと考える人なので、

納得して見ました。

ここでも道草 天正大地震で埋もれた帰雲城のテレビ番組がある!(2021年5月5日投稿)

ここでも道草 天正大地震が起きていなかったら(2023年8月3日投稿)

嬉しいことに、予告によると、

今度の日曜日の「どうする家康」でも天正大地震が描かれます。

楽しみです。

天正大地震で、歴史は動いたのです。

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ちなみに、天正大地震があったのは、

石川数正が出奔した日から2週間後の11月27日です。

石川数正にとって、この大地震は好機になったのだろうか。

  

  

松本城は石川数正が作ったのですね。

そうだったんだ。

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最近知りました。

かしまし歴史チャンネル 石川数正は、なぜ家康のもとを離れて秀吉のもとへ走ったのか?

この動画で説明していましたが、

松本城が黒いのは、秀吉好みなのだそうです。

大坂城は、秀吉が作ったものは、黒かったそうです。

そして金箔が使われました。

松本城も金箔が使われていたそうです。

  

「英雄たちの選択」では、石川数正が城代を務めた岡崎城も、

そして松本城も、馬出しというスペースが作られているのが

特徴だそうです。

馬出しは、武田家の得意技。

そこに騎馬隊を置かせて、敵に攻撃を仕掛けるもの。

石川数正の城は、深い堀を作って守りも堅固だったけど、

攻撃にも長けた城だったようです。

  

石川数正が出奔したことで、家康も秀吉も良かった。

「WinWinでしたね」とアナウンサーが言っていました。

今思えば、石川数正は正しいことをやったんだと思います。

よくそんな決断ができたものです。

調停役の石川数正を秀吉が殺す可能性もあったそうです。

それが宣戦布告になって、秀吉が軍事力で家康を倒す可能性です。

したがって、苦しい立場であったのを、

石川数正は、見事に正しい動きをしたと言えます。

  

  

結論。

今の時代、人々はとっても石川数正に好意的です。

良かったです。

古い民具:鞴(ふいご)

   

今日は令和5年8月31日。

  

ついにこの日を迎えました。

夏休み最終日。

古民具調べの宿題は、思ったより時間がかかり、

終わらせることは無理と判断しました。

でもそれだけやりがいのあることだと

思うようになりました。

校長先生から、夏休み前に、

古民具の整理を頼まれたのは、いいきっかけとなりました。

   

最終日は、この古民具です。

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鞴(ふいご)です。

説明部分を拡大します。

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「風を送る道具。鍛冶屋が火力を高めるのに使った」と

あります。

鞴については、YouTube「昔の道具と庶民の歴史」で、

広実さんが解説してくれています。

【鞴】村の鍛冶屋さんや野鍛治の必須アイテム

  

村の鍛冶屋さんを歌いながら、広実さんが登場します。

この歌、以前記事にしました。

ここでも道草 初めて見た「チコちゃんに叱られる!」/鍛冶屋の歌(2019年2月10日投稿)

3番の歌詞に「鉈」が出てきて、

なんと読むんだったかなと、

その記事にあったYouTubeを聞いたら、

「なた」でした。すっかり忘れていました。

YouTubeは、広実さんが言っている

ダークダックスが歌っています。

   

鞴は、棒を押したり引いたりして空気を送り出す道具。

鍛冶屋さんが使っていた道具。

空気を送り込むことで、炎は勢いよく燃えて、

1000度に達するそうです。

空気を送らなければ、500〜700度くらい。

高熱を得るためには、必要な道具でした。

  

中身を見ました。

ピストンの板の周りには、

パッキンとしてたぬきの皮が使われていたそうです。

※ 鞴

このサイトにも、たぬきの皮が最上だったと書いていました。

そこの部分は、ガラスが敷かれているそうです。

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他にはブリキなど滑りやすい材料が使われていたと

広実さんの説明です。

私は勤務校の鞴をそこまでしっかり見ていません。

明日は見てみたいです。

  

知らないと言うことはいかんなと思うのは、

勤務校の鞴を写した時に、送風口を撮っていないことです。

YouTubeを見て、そうかそこに穴があるのかと思いました。

これも明日、観察したいです。

  

頓珍漢(トンチンカン)は鍛冶屋さんの、

鉄を打つ音から生まれた言葉。

タタラを踏むも鍛冶屋さんから生まれた言葉。

昔調べたぞと思って調べました。

ここでも道草 20160903報告 先生もやって楽しい授業/代わり番子(2016年9月5日投稿)

この記事で「たたら」「ふいご」について書いていました。

読み直して復習しました。

良かったら読んでみてください。

7年前の勉強が、今日繋がりました。

  

疑問に思ったのは、鞴の蓋のデザイン。

木で正方形になっているのが共通しています。

この正方形には意味があるのでしょうか。  

刀剣ワールド 日本刀の作り方「刀鍛冶の道具」

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この絵を見ても、正方形ができています。

意味があるのか、意味はないのか。

「鞴 画像」で調べると、正方形があるのもあるけど、

ないのもあります。あんまり意味はないのかな。

  

明日、ちゃんと見ておきたいものが増えました。

弁です。

弁がどうなっているのかも、チェックしたいです。

  

   

そうそう、大事なこと。

勤務校の近所には、鍛冶屋がありま・・・した。

今もあるのかな。これも確認したいです。

ここでも道草 豊川市の鍛冶/牛久保に一軒(2009年5月30日投稿)

ここでも道草 豊川市の鍛冶その2/なぜ槌打ちするのか(2009年5月30日投稿)

豊川市牛久保町にある「松尾かじや」

2009年には存在しました。

今はどうだろう?

これも明日の宿題。
  

  

     

2023年8月30日 (水)

古い民具:赤ちゃんの籠?

    

今日は令和5年8月30日。

  

古い民具調べ。今日も頑張ろう。

今回はこれ。

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これは何?

思い浮かぶのは、赤ちゃんを寝かせていた籠でしょ。

でも本当にそうだろうか。

今で言うクーファンだと思ったのですが、

クーファンには必ず付いているものがありません。

取っ手です。

キナリノ かご型クーファン

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持ち運びできないと不便だよなあと思いました。

でも昔は、家族の誰もが忙しくて、

みんなは外で働いていて、

赤ちゃんは家に寝かせたままかな。

赤ちゃんを連れてお出かけなんかしなかったかな。

そんなことも思いました。

  

ネットで調べて、衝撃の籠に出合いました。

Hatena Blog 赤ちゃんを入れる「つぐら」

やっぱり赤ちゃんは、家において置かれて、

みんなは外で働いていたそうです。

赤ちゃんは、籠に入れられていました。

その籠は、勤務校のような籠ではなく、

円筒形をしていました。

そこに赤ちゃんは、身動きができないように、

詰めて入れられていました。

このサイトの写真を並べます。

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赤ちゃんは自力で籠から出られないようになっています。

文章を引用します。

  

「身動きとれなくて、かわいそうですね」と言うと、「今だったら、

虐待だなんて、言われるかもなあ」と、おじいさん。「でも、外仕事

はたくさんあるし、真夏なんかは背負ったら暑くて、もっとかわいそ

うでしょう。家の中だって、イロリがあったり、土間に落ちたりした

ら危ない。かわいそうでも、こうしておくしかなかったんだよなあ」

と言いました。

  

なるほどです。

「つぐら」と呼ばれるこの籠が、赤ちゃんを入れておく籠なら、

学校にある籠はどうなのだろう。

やっぱり赤ちゃんを寝かせる籠なのか、

それとも違う使い道があるのか。

  

これも、Facebook「昔の道具-民具たち」で、

皆さんに聞いてみたいです。

昨日は、木桶について聞きましたが、

もうびっくりするくらいの情報が届きました。

今回はどうでしょうか。

最近の写真

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