佐賀藩(鍋島藩)の「電流丸」命名の理由
今日は令和7年12月28日。
前記事の中でサイトから引用した文章中に出てきた
船の名前が気になりました。
その部分を再引用します。
藩は大阪の蔵屋敷を通じて売る専売制をしき、安政4年(1857年)
にはオランダの帆船飛雲丸購入を十数億円相当のロウで支払い、翌
年にも木造艦電流丸をロウで購入しました。
「電流丸」なんて目立つ名前です。
江戸時代に「電流丸」なんて、なんでこんな名前?と
思うじゃないですか。
このサイトに「電流丸」の絵がありました。
ハゼノキのロウによって手に入れた蒸気船です。
「電流丸」についてはWikipediaにも説明がありました。
このサイトによると、電流丸はオランダで造られた軍艦。
当初は「長崎」という名前でした。
それは上の絵の国旗や船名に表れています。
代価は7万両。
ただ名前がなぜ「電流丸」なのかは説明がありませんでした。
ChatGPTでは次のように説明してくれました。
蒸気船**電流丸(でんりゅうまる)**という名前は、当時としては
かなり象徴的で、「時代の最先端」を強く意識した命名だと考えら
れています。理由は一つではなく、いくつかの背景が重なっています。
① 「電流」は最先端科学の象徴だった
幕末の日本では、
電気 電信 電流
といった言葉は蘭学・西洋科学の最先端を代表する概念でした。
特に「電流」は
目に見えない力 動力や通信を生み出す不思議なエネルギー
として知識人や技術者の関心を集めていました。
**蒸気機関も同じく“目に見えない力で巨大な物を動かす技術”**で
あるため、
蒸気の力 = 電流の力
というイメージの重ね合わせがあったと考えられます。
② 佐賀藩の「科学技術志向」を示す名前
佐賀藩(鍋島藩)は幕末屈指の技術先進藩で、
反射炉の建設 大砲鋳造 蒸気船運用 電信・理化学実験
などを積極的に行っていました。
そのため「電流丸」という名前自体が、
『これは最先端科学の船である』
という宣言だったとも言えます。
困ってしまう。なるほどねと思える説明です。
本来なら出典を明示しなくてはいけないのに、
AIは出典にしてはまずいかな。
でもこの説明はいいのです。ここに載せたくなるレベルでした。
現代の「電流」の持つ意味と、当時では違ったのです。
最先端であることを意味する命名だったのですね。


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