2023年9月13日 (水)

今は新500円玉を使った授業をやるタイミング

   

今日は令和5年9月13日。

  

2021年に発行された新500円玉が、

担任している児童5名+教師分の6枚が揃ったので、

新500円玉の授業をしました。

お金の偽物が造られない工夫を探させました。

子供たちは、0の中の模様が、

見る角度によって変化すること、

周囲のギザが変則的であることなど、

気がつきました。

周辺に彫ってある「JAPAN」「500YEN」に

気がつく子はいませんでした。

やっぱりあれは、肉眼では難しい。

子供たちに、ダイソーで買ってきたマクロレンズを与え、

タブレットにつけさせて、撮影させました。

ピントを合わせることが難しいのですが、

どうにか撮影して、とても小さな文字を確認させました。

  

まとめに良い映像がありました。

造幣局が作った動画です。

コインくんと造幣局見学「お金ってどうやって作るの?作るの?」

1年前にできた動画。

いい動画をありがとうと造幣局に言いたい。

新500円玉の工夫が紹介されていて、

復習として適切でした。

新500円玉が、まだ“新“のうちに見せるといい動画です。

古いお金を溶鉱炉で溶かして、

新しいお金の材料にするシーンは衝撃的でした。

お薦めの動画ですよ。  

  

勤務校の職員室前の廊下には、古い硬貨が展示されています。

この展示まで学習が広がるといいな。

以前の記事にも使った動画です。

すご過ぎる  硬貨の偽造防ぐウルトラの技(テレビ大阪ニュース)

この動画の中で、昔は、硬貨の模様は手彫りであったことが

紹介されています。

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加納夏雄さんの手彫りだったようです。

この20円金貨の本物が、勤務校にあるといいな。

今日は出勤したら、探してみよう。

きっと聞かれるのが、昔の1円は、今のお金でどれくらいの価値があるの?

このサイトが参考になります。

昔の「1円」は今のいくら?明治・大正・昭和・現在、貨幣価値(お金の価値)の推移

色々な説を紹介していますが、簡単に。

明治の1円=現在の2万円

大正の1円=現在の4000円。

昭和の初めの1円=現在の10円。

  

今は機械が彫り、人間が顕微鏡を見ながら、

細かく修正しているところが紹介されています。

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2023年9月12日 (火)

20230910 烏帽子岳登山報告 ② ランドローバーの横に駐車

    

今日は令和5年9月12日。

  

登山報告のその2。

午前4時半に家を出発。

集合場所の新城市のKさんの家に集まったのは、

午前5時半の10分ほど前。

4人の中で、私がラストでした。

そこで見た朝焼けの雲が良かったので撮影。

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これが今回の登山の最初の写真。

  

新城市から北上。長野県に入っても北上。

途中、中央高速道路も使って、松川ICで下りました。

烏帽子岳の登山口である鳩打峠を目指しました。

鳩打峠には、広い駐車スペースがあります。

思ったより、車の台数が少なく、私たちが5台目だったかな。

大きな車が気になり、その車の横に駐車しました。

この車です。

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ランドローバーディフェンダー。

ごっつい車で、いかにもアウトドアの車。

悪路も雪道も疾走するんだろうなと思いました。

会社を調べました。

ジャガーランドローバーという会社であり、

もともとはアメリカのフォードの傘下だったようです。

それが2008年に、インドのタタ・モータースに売却され、

今に至るようです。それでもってイギリスの会社?

Wikipedia ジャガーランドローバーを参考にしましたが、

話が複雑でよくわかりませんでした。

   

準備をして歩き出したのが、午前8時10分。

さっそく道端の花を撮影。

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ホトトギスです。

山で出合うホトトギスは、小ぶりのイメージ。

山では2種のホトトギスがあるそうです。

ヤマジノホトトギスとヤマホトトギス。

以前も迷っています。

ここでも道草 8月中・下旬の花々16/ヤマホトトギス(2012年10月8日投稿)

この時の記事を読むと、記事のタイトルは、

ヤマホトトギスとなっていますが、

記事中では、ヤマジノホトトギスと書いています。

矛盾していますが、おそらくヤマジノホトトギスが正解であり、

今回もヤマジノホトトギスと思われます。

参考にしたのは、このサイト。

HiroKen山散歩

  

続く

2023年9月11日 (月)

20230910 烏帽子岳登山報告 ① 年齢の壁に気がついた登山

    

今日は令和5年9月11日。

  

昨日、9月10日は、山に行ってきました。

前回は7月30日。

地元の自主防災会の話し合いを休ませてもらい登山。

今回は、豊川市の研修会を休ませてもらっての登山。

今、やっておかないと後悔しそうな場合は、

そちらを選ぶようになってきました。

いつまでも体が動くとは思えなくなってきた年齢です。

  

登山を始めたのは40歳。

その頃から一緒に登ってきた人たちと、

今も登っています。

特に一緒に登る人の年齢は、Kさん、70歳。

Sさん、70歳。Hさん、75歳。

みんないい歳になってきました。

  

今回登ったのは、長野県松川町にある烏帽子岳。

私は初めて登る山ですが、他の3人は何度も登っています。

ただいつもと違って、登る前からただならぬ気配。

KさんもHさんも、荷物を小さなリュックに入れて、

軽装を心がけていました。

いつもはストックを使わないKさんは、

ストック2本です。

   

烏帽子岳は、かつては難なく登っていたそうですが、

体力の衰えもあり、ギリギリの登山と考えての準備でした。

そしてその準備は、妥当でした。

今回は8時間も歩きました。

急なアップダウンもあり、体力を消耗しました。

登山後、皆さん、ヘトヘトでした。

62歳の私も、ヘトヘトでした。

Hさんは「60歳の頃なんて、へっちゃらだったよ」と言っていましたが、

私は恥ずかしながらかなり疲れました。

  

Kさん、Hさん、Sさんは「もうこの山は無理だね。今回で最後。

烏帽子岳は卒業だね」と真剣に言っていました。

あれだけ歩けた人たちも、かつては楽に登れた山に、

苦労するようになって、年齢の壁を感じたようです。

70歳。どうも登山にとって、大きな壁のようです。

75歳のHさんは素晴らしいと思います。

  

私のどの山でも登れるというのは、60歳代なのだろうと、

先輩たちの様子を見て思いました。

限られています。

毎日、短時間ではありますが、特に足のトレーニングは、

1年以上続けています。

体重は下がり、足の筋肉は締まってきた感触があります。

それだけでは不足だと、今回の登山で思いました。

やはり、もっと登山をしないといかんと反省しました。

もっと登山をして、体を山に慣れさせないといかんと思いました。

毎回、お久しぶりの登山では、

登山で得られる体力、バランス、登り方・下山の仕方など、

得られないのだと考えます。

    

登山を長く楽しむためには、日頃のトレーニングと、

登山の回数を増やしていくのが必須だという結論です。

先輩たちの頑張りを励みにして、

いい趣味にしていきたいです。

久々の強行軍的な登山を体験して、考えました。

   

次は9月30日。

奥さんと登る予定です。

  

烏帽子岳登山の報告は、次の記事から書いていきます。

良かったら読んでみてください。  

2023年9月 9日 (土)

「らんまん」で、イチョウの精子が発見されるシーン

   

今日は令和5年9月9日。

  

毎日、夕方、録画したNHK連続ドラマ小説「らんまん」を

見ています。

興味深かったのは、イチョウの花粉からできる精子について、

ちょっと前に記事にしましたが、

その精子を発見した人が登場人物にいたことです。

ここでも道草 ドラマ「らんまん」の野宮朔太郎のモデル/イチョウの精子(2023年7月20日投稿)

ドラマでは亀田佳明さんが演じる野宮朔太郎がその人物。

モデルは平瀬作五郎です。

  

いよいよ8月30日の放送で、

イチョウの精子を発見することを目指していることが

ドラマで出ました。

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そして9月1日の放映で、精子発見のシーンが描かれました。↓

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ラストの写真。

右から、平瀬作五郎がモデルの野宮朔太郎。

中央が、牧野富太郎がモデルの槙野万太郎。

左が、池野成一郎がモデルの羽多野泰久。

  

イチョウの精子を発見したことを3人で喜んでいるシーンです。

まさか、ドラマで、イチョウの精子発見のシーンが、

見られるなんて、今まで記事にした2021年の2月とか、

今年の5月に予想もしていませんでした。

その回の録画もできて、私らしい仕事ができました。

  

最近、この動画がアップされました。

【らんまん】平瀬作五郎の生涯 富太郎が隠したイチョウ精子発見の真相(レキショック)

7月の記事で紹介したものより、

平瀬作五郎について詳しく紹介してくれています。

その中で衝撃の話。

10分30秒付近からです。

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牧野富太郎は、平瀬作五郎の偉業に、嫉妬していたようです。

これは抱き合って大喜びしているドラマとは違います。

  

元々、牧野富太郎は人間臭い人で、重婚の疑いがあり、

お金に関してはルーズで、実家の酒屋のお金をたくさん使ったり、

奥さんに苦労をかけて、奥さんは早死にしたりと、

あまり朝の連続ドラマ小説には描きにくい人と言われていました。

でもそこはフィクションで、上手に描いてきました。

脚本家の腕ですね。

長田育恵さんという方です。

Yahoo!ニュース 好調「らんまん」脚本家が明かす朝ドラの重圧と喜び

ここで長田さんは、「次が楽しみ」という視聴者の声に感激したと言っています。

確かに「次が楽しみ」なドラマでした。

視聴率もなかなかいいようです。

放映は9月末。

最後まで楽しみたいです。

9月7日 ジャニーズ記者会見

    

今日は令和5年9月9日。

  

9月7日に、ジャニーズの記者会見がありました。

私はちょうど休みだったから、

午後2時からの会見の様子を見ていました。

会見は4時間余りに及ぶものだったので、

全ては見ることができませんでした。

あの会見はどうだったのか?

  

今までジャニー喜多川さんの性加害について認めてこなかった

ジャニーズ上層部が、認めたことは大きいと思いました。

つい半年前まで、こんな展開になるなんて予想もしていなかったことです。

NHKがニュースで取り上げただけで、大騒ぎになったくらいです。

それは4月13日でした。

ジャニー喜多川氏による少年への性的搾取に関してNHKがついに報じました!!!(NHK党浜田聡)

それから5ヶ月の急展開。

  

この記者会見について、YouTubeでいろいろ見ました。

印象に残った動画。

ジャニーズ事務所の記者会見は呆れる内容・・・もう潰れてしまえ(KAZUYA)

会社名を残すことにも反対しています。

例えが悪いと言いつつも、「ヒトラーズ」なんて会社があったら、

まずいでしょと言っています。

犯罪者の名前をそのまま会社名にするのは良くないと言ってます。

こうやって会社名を残すのは、ジャニーズ上層部には、

テレビが守ってくれるという考えがあるからと推理。

これと同じように、ジャニーズはテレビなどのマスコミに

今まで守られてきたので、こんな会見になったと言っているのが、

ホリエモン。

短い動画ですが、ジャニーズの問題点を指摘しています。

【ホリエモン】ジャニーズの会見を見たんですけど、この2人絶対嘘ついてますよね?・・・・

 

ジャニーズと CM契約を解除するという会社が、

出始めています。

娘の推しのSnow Manが出ている MINTIAのCMも、

契約解除とのこの。ショックを受けていた娘。

性加害がいかに重大なことなのかが、

だんだん伝わってきます。

ジャニーズはいったん解体して、持っている資産で、

被害者への補償をしていくのがいいという意見に賛成。

やっぱり異常だったんです。

  

フォーリーブスの北公次さんの告白映像も

この機会に見たけど、もうとっくの昔に、

ここまで告白していたんだと驚きました。

ジャニー喜多川氏による性被害 フォーリーブスの北公次氏34年前の“告白ビデオ“

2023年9月 8日 (金)

Facebookの動画/道の落書き

 

今日は令和5年9月8日。

  

出勤前に1本。

  

古民具のことがあって、Facebookを本格的に始めましたが、

楽しい映像をたくさん見ることができます。

その中で秀逸だったものを、

このブログにリンクを貼って、

見られるようにしてみました。

https://fb.watch/mW7qQht0xD/

↑ これです。Facebookのアプリが入っている人は、

見られると思います。

こんな映像です。

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2023年9月 7日 (木)

本「中国友好侵略史」5/中国がなぜ人権弾圧をやめないか

   

今日は令和5年9月7日。

  

前記事に引き続き、

「日中友好侵略史」(門田隆将著/産経新聞出版)

より引用していきます。

   

1989年(平成元年)天安門事件。

この事件は、中国共産党の改革派、胡耀邦(こようほう)が

中国の自由化、民主化を市民に訴えていたが、急逝。

自由化、民主化を望んでいた若者たちは、

胡耀邦の死を悼んで、天安門広場に集まります。

その数は10万人を超えます。

天安門広場の盛り上がりは、地方にも波及。

民主化の要求が行われました。

この状態を許さなかったのが、鄧小平(とうしょうへい)。

彼は軍隊を投入して、鎮圧を目指す。

多くの人名が失われ、その死者の数は、いまだに不明だそうです。

  

事件の影響は凄まじいものだった。驚愕した国際社会は、すぐに経済

制裁に向かって突き進んだ。しかし、主要七カ国(G7)の中で一国

だけ「中国への制裁」に反対する国があった。

日本である。

(269p)

  

日本は、中国に対して文句が言えない状況に、

中国からの工作で、作られていたのです。

日中友好絶対主義と本には書いてありました。

「日中友好」が盛んに叫ばれ、中国に多くの資金が流れ、

企業も中国に進出して、中国との関係が密になっていたのです。

  

天安門事件で、日本政府がそのような態度を取ったのは、

当時は知りませんでした。

私たちも日中友好絶対主義の中にいたのかもしれません。

  

「百年の恥辱を忘れず、偉大なる中華民族の復興を果たす」

そんなスローガンを唱える独裁者が中国に誕生したのは、二〇一二

年十一月十五日のことである。第十八回の中国共産党大会において、

習近平が正式に総書記に選ばれ、翌二〇一三年三月の全国人民代表

大会で国家主席に選出された。

日本だけでなく、中国、そして世界に悲劇をもたらす人物の登場で

ある。

(305p)

  

門田さんは、ここまで書いています。

習近平氏の動きは、確かに気になります。

明らかに独裁になってきました。

100年の恥辱とは、アヘン戦争から、

国共内戦で共産党が勝利し、中華人民共和国が建国されるまでの

期間を指しています。

この間に奪われた領土を奪い返す気が満々の習近平氏です。

後の歴史で、ヒトラーのように語られる人物になるやもしれません。

同じ時代に生き、どう動くのか注視したい人物となりました。

   

「中国はなぜ人権弾圧をやめないのか」

よくそう問う人がいる。これには、わかりやすい答えがある。

「それが中国共産党の本質ですから」

そう答えると、怪訝な表情で、

「中国共産党の〝本質"が人権弾圧なのですか」

そう再度、問われる。 ここで、こう答えるとわかってもらえるだろう。

「中国共産党に弾圧されたり、非業の死を遂げた人たちはどのくらい

いるんですか? 数千万人? 数億人? これほどの非道を続けた中国共産党

は、他者に政権を譲ることができると思いますか? もし、譲ったら、

たちまち殺されます。これまでに酷いことをやってきた分だけ、民衆の

反発はすごい。だから言論も、人権も封じて、強権で支配をつづける

しかないのです。権力を失うことは、彼らにとって物理的な死、つま

り惨殺をもたらすのです。

彼らはルーマニアのチャウシェスクや、リビアのカダフィ、イラクの

フセインたちの末路を知っています。だから、絶対に権力を手放すこ

とができない。弾圧をつづけ、権力を永遠に維持しつづけなければな

らない理由がそこにあります」

アメリカの中国専門家は、この本質を理解できなかった。そのために、

〝騙されつづけた四十年 "があったのである。そして、オバマのあとを

受けた大統領、ドナルド・トランプの登場によって、米中の激突は凄

まじいものになっていくのである。  

(328p)

  

私がこの本を読んで一番印象に残ったのは、この文章です。

中国共産党が、民主化・自由化を恐れ、人権弾圧を続ける理由は、

自らが作った体制によるのです。

今まで漠然としていたものが、くっきり見えた感覚です。

  

中国では、反日教育がつづき、台湾では日本との交流・交友を促進す

るための教育がおこなわれている。日中国交正常化と日華断交—同時

になされた国家の決定は、長い年月を経て、揺るぎのない「民間交流」

という要素が加わって、まったく逆の「友好」現象を創り出したので

ある。

日本、そして台湾への「侵略」を中国に諦めさせるには、何をすべき

か。強固な友情で結ばれた日本人と台湾人。凶弾に斃れた安倍晋三元

首相は、「台湾有事は日本有事」と言いつづけた。中国の侵略をいか

に諦めさせるか ―それは、まさに安倍元首相が最期まで考えつづけた

テーマだ。

廖承志らの対日工作が創り上げた日中関係をいかに正常なものにする

かは、日本がいかに抑止力を高め、侵略許すまじの気迫を持つかにか

かっている。本書が日本人にそのことを思い起こさせる一助になるな

ら、これほど嬉しいことはない。
  

(371p)

   

あのパンダブームの頃の、日中友好絶対主義の考えは遠くなり、

日本人の中国に対する好感度は、現在、とても低い。

私も、かつては中国に行ってみたいと思った時がありました。  

ちょうど、日中友好絶対主義の時代でしょう。

でも今は、見事なまでに行きたいとは思いません。

私の中国への好感度は低いです。

中国共産党に対する感情からきているものなのか。

  

すぐ隣の国、台湾と中国。

ちゃんと見ておこう。

情報を得ておこうと思いました。  

  

以上で「日中友好侵略史」の引用は終了。

明日、図書館に返しますが、

実は延滞しています。

このブログに引用しなくては、返せませんでした。

すみません。

本「中国友好侵略史」4/日中国交正常化は、台湾と日本の国交断絶を意味する

  

今日は令和5年9月7日。

  

前記事に引き続き、

「日中友好侵略史」(門田隆将著/産経新聞出版)

より引用していきます。

   
台北は怒りと哀しみに満ちていた。

日本が台湾を切り捨て、中国と国交を結ぶそのことが「既定路線であ

る」と台湾全土で捉えられていた。最も親密な関係にある日本と断交

することの「絶望」と「哀しみ」は、台湾の人々にとって想像もつか

ない。

台湾国民は、もともと台湾に住んでいた「本省人」と、蒋介石と共に

戦後、大陸から台湾へ逃れてきた「外省人」と、大きく二つに分けら

れる。人口比でいえば、圧倒的に本省人が多い。ほぼ九割を本省人が

占め、外省人は一割にも満たない。

しかし、蒋介石と共に大陸からやってきた国民党が台湾の政治、経済、

社会すべてを握り、本省人が進出できる分野は極めて限られていた。

常に日本に親近感を抱いてくれる本省人に比べ、外省人は大陸を失陥

した経験を持つだけに、その原因をつくった日本に憎悪を隠さない人

もいた。

その上、自分たちを台湾に追いやった共産中国に、今度は日本が国を

結ぶために尻尾をることなど、許しがたいものだった。外省人を中心

に激しい 「怒り」と、それとは異なる本省人の日本との縁が切れる”

という深い「哀しみ」が台湾中を覆っていたのである。

(179〜180p)

  

1972年の日中国交正常化は、

それまでの日本と台湾との国交断絶を意味していました。

そりゃあ、当たり前・・かもしれませんが、

当時、中国と国交が正常化することはいいことだと思い、

台湾にまで、関心が至っていなかったと思います。

台湾の本省人にとって、中国の国共内乱以後、

過酷な歴史を歩んだのだと思いました。

  

日本との関係改善をなにより望んでいたのは、中国の側である。しかし、

次章で詳述するように日本は、そんな中国の実情をなにひとつ掴んでい

なかった。ただ「手柄」に目が眩んだ政治家によって、「日中国交正常

化」という歴史的出来事に向かって突っ走っていたのである。

必要な調査や研究を怠り、中国の工作によって掌で転がされ、「ことこ

こに至っていた」のだ。

この手法は、実際に田中訪中でもいかんなく発揮される。 赤子の手が

ひねられるがごとく、日本は中国共産党の術中に嵌っていく。 それは、

その後の五十年、現在もつづく。今では中国のために働く政治家やマス

コミの方が主流になっているが、そのことは後述する。

(203p)

  

手柄に目が眩んだ政治家の代表が田中角栄氏でした。

日中国交正常化という歴史的事件は、

中国主導のものだったんだなとこの本で思いました。

その後、中国からパンダがやってきて、

日本は未曾有のパンダブームとなり、日本人は浮かれました。

  

  

日本が命脈をぎりぎり保ったのは、台湾を自分の領土と主張する中国

に対して、その立「理解」し、「尊重」するものの、「認めた」わけ

ではない、ということである。

簡単にいえば、「あなたの主張は尊重するし、理解していますよ」と

いうことであって、れを「承認」するわけではない、ということだ。

日本側は、そこだけは譲らなかった」のである。

(244p)

   

日中国交正常化の話し合いの中で、日本は、

台湾が中国の一部であることは認めなかったのです。

ここらが外交の難しいところなんだと思いました。

  

続く

本「中国友好侵略史」3/自民党議員、公明党を親中派にしていった廖承志

   

今日は令和5年9月7日。

  

前記事に引き続き、

「日中友好侵略史」(門田隆将著/産経新聞出版)

より引用していきます。

  

17pで初登場するのが廖承志(りょうしょうし)

この人が、日本に対する中国の工作の中心人物でした。

廖承志と接した日本人は、その人柄に惹かれ、

いつの間にか親中派になっていきました。

この本の中での重要人物です。

  

(松村)記念館を出ると大きな記念碑が目に飛び込んできた。高さ三

メートル、幅一メートル余、厚も五十センチ以上はある石碑だ。隣の

松村記念公園の敷地の一角である。近づくと、その石に見事な文字が

刻まれているのが見えた。

友 誼 長 在                廖承志
                      一九八三年

日本と中国の長き友誼(ゆうぎ)を願う思いが込められた慶承志の言

葉である。松村への承志の感謝と尊敬が凝縮されたものだ。

廖承志は松村を突破口に着々と自民党の中に中国シンパを構築してい

った。その工作の手は、同時に野党の側にも及んでいく。

ターゲットは新興の宗教政党・公明党だった。

(46〜47p)

  

廖承志は、自民党に親中派を作ろうと、松村謙三議員を中国に招き、

実際に親中派にしました。

そして公明党を次の狙いにしました。

公明党の親中は、廖の裏工作があったのです。

  

中国はその後、池田(大作)に百二十以上の名誉教授や称号などを贈

りつづけ、今も創価学会・公明党を「思うがままに動かすことに成功

している」とされる。

池田が身元引受人となって創価大学が受け入れた海外留学生第一号の

程永華(ていえいか)は、二〇一〇年に駐日中国大使となったことは

記憶に新しい。 公明党は後述するように、これを嚆矢(こうし)に国

交正常化に大きな役割を果たす。 現在、公明党が「中国の代弁者」で

あるのは、はるか半世紀以上前から始まった中国共産党の「対日工作」

によるものであることを日本人は自覚すべきだろう。

こうして周恩来と慶志の「創価学会工作」は見事に成果を挙げるのである。

(64p)

  

第二次世界大戦以後の内戦もあり、文化大革命もあり、

中国はボロボロの状態でした。

でも中国共産党は、そんな中国の窮状はひた隠し、

戦後復興している日本の資金を援助してもらおうと、

日本を味方にしていくのです。

その前にやらなくてはならなかったのは、

中国と日本の国交を始めることです。

日本は、戦後、台湾の中華民国と国交を持っており、

中華人民共和国の中国とは国交がなかったのです。

  

続く

  

本「中国友好侵略史」2/中国の最大の難敵だった安倍元首相

   

今日は令和5年9月7日。

  

9月4日の記事の続きです。

「日中友好侵略史」(門田隆将著/産経新聞出版)

からの引用をしていきたい。

冒頭は、昨年7月8日に起こった安倍晋三元首相が背後から

銃撃されて命を落とした話から始まりました。

以下、OCRのアプリを使って、大量に引用します。

「はじめに」の文章ですが、著者のなぜ書いたかが

よくわかる文章でした。

  

たしかなのは、安倍晋三元首相は、覇権国家・中国にとって「最大の

難敵」だったという事実である。(中略)

習近平中国国家主席、いや、中国共産党にとって「安倍晋三」ほど厄

介で、巨大な壁は、ほかに存在しなかったからだ。

防衛省や自衛隊の幹部と情報交換していると「安倍さんほど"本気の危

機感"を持っていた政治家はいなかった」という話が返ってくる。そし

て「自由主義圏の首脳たちの認識を変え大戦略まで変えてしまった政治

家こそ安倍さんだ」と。

まさに中国が安倍を嫌がった理由がそこにあった。

今では自由世界の基本戦略となっている「自由で開かれたインド太平洋」

戦略。アメリカにも、欧州にも、中心的な戦略として受け入れられてい

るこの基本構想を、ほかの言葉で言い換えるなら、「対中包囲網戦略」

である。まさに「ABJD包囲網」なのだ。(※Jは日本)

アメリカのオバマ大統領をはじめ、ヨーロッパの首脳たちが、それまで

疑いなく信じていた 「中国は責任ある大国として付き合っていける」と

いう考え方を根本的に変えたのがこの安倍構想である。

「中国をみくびってはいけません。 中国共産党が目指すものは何か。そ

の本質は何か。 このままでは日本も、世界も大変なことになります」

世界のリーダーたちは、安倍の〝"本気の危機感"に次第に揺り動かされ

ていった。口で言うだけでなく、支持率がたとえ十ポイント以上、下が

っても、安倍は危機に真っ向から向き合うために「平和安全法制」を成

立させ、世界の指導者たちを驚愕させた。オバマを説得し、さらにその

あとのトランプ大統領も説得に成功した。 まだ大統領就任前にトランプ

邸に乗り込み、中国の脅威について話し込んだのだ。初対面なのに、話

のほとんどを中国問題に費やし、なおかつ安倍はトランプを取り込んだ」

のである。

安倍が首相に返り咲いた二〇一二 (平成二十四)年、ほぼ同時に国家の領

袖になった習近平は最初からこの厄介な敵・安倍晋三と対峙しなければ

ならなかった。安倍が着々と進める対中包囲網に対して、指をくわえて

見るしかなかった習近平の焦りは相当なものだっただろう。

中国の横暴を放置するなら、日本の防衛、そして地域の平和と安定は維

持できない。 南シナ海の力による現状変更に止まらず、習近平は必ず台

湾を併合しようとする安倍晋三の〝本気の危機感"は、吉田茂以来の「軽

武装 経済重視」国家として歩んできた戦後日本を「根本から変えた」の

である。

前述のように二〇一五年九月、「平和安全法制」を成立させ、日米同盟

をそれまでの片務的なものから双務性のあるものに進化させた安倍は、

これまでにないアメリカの信頼を獲得し、明確に安全保障政策を国家の

「一丁目一番地」に据えた。そして二〇二二年、ロシアのウクライナ侵

略という戦後秩序の破壊がおこなわれた中、防衛費をGDP(国内総生産)

比二パーセントへと導く道筋を着実に整えていった。

だが、東アジアのみならず世界の安全保障に欠くことのできない政治家

・安倍晋三は、考えられないほど杜撰な奈良県警の警備によって「命を

奪われた」のである。

私は、本書で七十年前から始まり、現在に至る中国共産党の「対日工作」

の実態を描かせていただく。 日本の政界、官界、財界、マスコ 日本の

主要分野は、ほとんど中国の工作で自在に操られ、自由民主党ですらお

よそ八割を「親中勢力」が占めると言われている。そこまで築き上げる

のに中国共産党がどれほど努力し、執念をもって「対日工作」をつづけ

たか、私は詳細にお伝えしたい。その過程で籠絡されていった日本の政

治家や経済人の情けないありさまを、しっかりと脳裡に焼きつけて欲し

いと思う。


政治家・安倍晋三は、中国支配の日本政界にあってこれに疑問を呈し、

真っ向から勝負し、卓越した理論と独特のキャラクターで親中派が自由

に動けない政治状況をつくろうとした。

私は、同じ思いを共有し、この本を書き上げた。しかし、本書を最も

読んで欲しかった安倍元首相は、この世にいない。

安倍の死で、台湾への中国の軍事侵攻の危険度は確実に上がった。 平

和を愛する多くの人々の努力によって押しとどめられてきた中国によ

る台湾軍事侵攻は、「あるかないかではなく、いつあるかの問題」とな

っている。

したたかな中国共産党は、いま現在もあらゆる工作を、日本で、台湾で、

そして全世界で展開している。そのやり方はどんなものなのか、防ぐに

はどうしたらいいのか、多くの日本人に本書を手にとってもらい、過去

の日本でどんなことがあったのか、その目で確かめて欲しい。

そして政治家・安倍晋三が、なぜそうまでして中国と対峙しようとした

のか、是非、知っていただきたい。本書は、日本政治史上、比類なき功

績を残した安倍晋三元首相に捧げる日中友好の「侵略史」である。

多くの読者に安倍元首相の、そして私の"本気の危機感"を共有していた

だけたなら、本書を世に問うた意味があるのではないかと思う。

(2〜5p)

  

どうでしたか。

私は安倍首相の凄さを知っていませんでした。

森友問題での安倍首相の国会答弁がきっかけで、

公務員が公文書の改ざんを上司に言われ、

それを苦にした公務員が自殺した件で、

安倍首相へのイメージは悪くなっていました。

対中国で、習近平を相手に、中国の覇権拡大を防ぐ動きを、

世界の首脳を巻き込んで行っていたのですね。

  

門田さんが言うことだけに、そうなんだと思いました。

ここの文章が特に印象的でした。

  

「日本の政界、官界、財界、マスコ 日本の主要分野は、ほとんど中国

の工作で自在に操られ、自由民主党ですらおよそ八割を「親中勢力」

が占めると言われている。そこまで築き上げるのに中国共産党がどれ

ほど努力し、執念をもって「対日工作」をつづけたか、私は詳細にお

伝えしたい。その過程で籠絡されていった日本の政治家や経済人の情

けないありさまを、しっかりと脳裡に焼きつけて欲しいと思う。」

  

自由民主党ですら八割が「親中勢力」であることに驚くし、

公明党も、中国側の工作で、今やどっぷり親中派となっています。

今までやってこなかった視点で、政治を見るようになってきました。

  

福島の処理水の海中投棄において、中国が強烈に反対しています。

そんな中国に、公明党の山口委員長、

日中友好議員連盟会長の二階俊博氏が、

中国に交渉に行こうとしましたが、門前払いを食らいました。

中国は、親中派の大物の顔を潰しました。

中国は、親中派の人たちに期待するのは、

中国が有利になるように動く時だけでした。

中国のやることに、とやかく言わせる気はもともとなかったのでしょう。

この本を読んだ後だと、最近の出来事が理解できます。

  

続く

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