20250211本城山登山② 両面宿儺(りょうめんすくな)
今日は令和7年2月13日。
昨日の記事の続きです。
この地図は、一緒に登ったKさんが用意してくれた地図です。
この地図を見ながらの登山でした。
右手の日竜峯寺を出発。反時計回りで高沢山ー大仏山ー白滝ー本城山
ー藤谷集落ー日竜峯寺コースでした。
上のにメモした時間は、Kさんが予想したコースタイム。
今回は、予想を少し上回るペースでした。
高澤観音本堂の写真を載せます。
名古屋鎮台は陸軍の部隊です。
明治22年(1988年)に廃止され、第3師団に移行されたらしいです。
この絵がどういう場面なのかは、わかりませんでした。
今回はその第3師団の絵。
これらの絵は「奉納絵」と呼ばれるそうです。
日本陸軍の奉納と思われます。
びんずる様。
自分の調子が悪い場所をさすると、
治ると言われる像です。
頭を触りました。ボケたくないですからね。
本堂は、京都の清水寺を思い出す建物。
「美濃清水」と呼ばれているそうです。
本堂から見下ろした景色です。
雪によって、一層神秘的な景色を見ることができ、
澄んだ空気を感じました。
高澤観音日龍峯寺は、両面宿儺(すくな)という飛騨の豪族が、
開いたお寺と言われます。
この両面宿儺。
今、教えている子どもが知っていました。
アニメに出てくるとのこの。
「呪術廻戦」
私は見ていないので、全く知りませんでした。
ここから引用・転載。
漫画『呪術廻戦』の登場人物。史上最強最悪の呪いの王にして本作に
おけるラスボス。
これがアニメに出てくる両面宿儺。
これは2つの顔、4本の腕と足といった
そんな異形の人物ではありませんでした。
とにかくこのアニメで有名となり、両面宿儺ゆかりの場所として、
この高澤観音日龍峯寺を訪れる人もいるそうです。
では元の両面宿儺はどうなんだ。
この動画が参考になります。
YouTube: 両面宿儺は実在した!?飛騨に残る宿儺伝説の謎!
仁徳天皇即位六十五年
飛騨の国にひとりの人がいた
「宿儺(すくな)」という。
その姿は、一つの体に二つの顔
顔はそれぞれ反対を向いていた。
頭は合わさりうなじはなく、
それぞれに手足があり、
膝はあるが膝裏とかかとがなかった。
力が強く、身軽で素早く、左右に剣を帯びて、
4つの手で、弓矢を用いた。
そうして天皇を命令に従わず、
人民から略奪して楽しんでいた。
それゆえ和ニ(わに)の先祖、
難波根子武振熊(なにわのねこたけふるくま)を遣わせ
殺させた。
ー『日本書紀』現代語訳ー
300年代後半ごろに実存したという両面宿儺。
全国を従えようとしていた大和朝廷にとっては、
邪悪な存在として語られていました。
大和朝廷に服従しようとしなかったことが
うかがわれます。
飛騨地方の伝承では「民を救う英雄」と
されています。
顔が2つ、腕と足が4本といった人間離れした姿は、
朝廷に仇なす怪物として描かれる傾向があったようです。
他にも、「土蜘蛛」と呼ばれた反勢力もありました。
両面宿儺が生きていたのは、仁徳天皇の治世の時代。
(313〜399年)
ずっと後の729年に編纂された「日本書紀」に、
上記のような記述がありました。
高山市丹生川町の伝承によると、
両面宿儺は武術に優れた飛騨の豪族であり、
神祭の司祭者、農耕の指導者という面もあったそうです。
飛騨の山地を開拓し、弱き者を守った人であったようです。
中央集権から守ろうとしたと言われます。
飛騨千光寺は両面宿儺が古代信仰の祈りの場として
開いたお寺。
377年に両面宿儺が開山しました。
800年ごろ弘法大師の弟子の一人の真如親王が寺を建立。
1598年 開祖の両面宿儺を祀った宿儺堂が建立。
高さ2メートル20センチの両面宿儺像安置されています。
この動画が参考になります。
YouTube: 【呪術廻戦】両面宿儺の生まれた地 寺に「指」も奉納 岐阜県高山市、関市 【#聖地@現在地】
丹生川町の千光寺が前半に出てきます。
これが宿儺堂。
千光寺には、宿儺堂のこの石像だけでなく、
他に3体の両面宿儺像があるそうです。
4月〜11月の期間なら、土・日・月・祝日に見られるそうです。
千光寺にも行きたくなりました。
円空作の両面宿儺がいい。
この動画にも出てきます。
円空らしい彫刻だと思います。
アニメ「呪術廻戦」の両面宿儺に興味を持って訪れるが、
アニメのようなラスボスではなく、飛騨の人たちの守護神であった
両面宿儺を学んで帰るのはいいことだと住職は言っています。
この動画の後半は、私たちが行った日龍峯寺が出てきます。
日龍峯寺では、11月に両面宿儺の像を拝めるようです。
賑やかだろうけど、行きたいなあ。
両面宿儺。
いい勉強ができました。
山に行ったおかげで、勉強ができたとも言えます。
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