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2025年1月 5日 (日)

ダイオキシン騒動③ 所沢ダイオキシン事件

    

今日は令和7年1月5日。

  

前記事の続きで、ダイオキシン騒動について書いていきます。

2005年「ダイオキシン・環境ホルモン問題の顛末」(渡辺正)

今回も、この論文に書かれていることを、少し深堀します。

  

1999年2月 テレビ朝日が「所沢ホウレンソウ」報道。

1999年の「ホウレンソウ」は所沢の農家が訴訟を起こして最高

裁まで行き、2003年10月にテレビ朝日側が逆転敗訴している。  

  

これはうっすら覚えています。久米宏さんが絡んでいたと思います。

環境用語集 所沢ダイオキシン事件

かなり詳細に書かれたもののありましたが、

ここでは短くまとめた文章を、このサイトから引用します。

  

埼玉県所沢市では以前より「くぬぎ山」の焼却場を発生源とする

イオキシン汚染が心配されていた。この地域では、半径500m圏内

に十数基もの産業廃棄物焼却炉が建設され、『産廃銀座』と呼ばれ

たことさえある。ダイオキシンは燃焼温度が800度以下で発生する

が、産業廃棄物処理業者が使用する焼却炉の大半は800度以下の小

型炉であった。

1995年、くぬぎ山周辺土壌と焼却灰からそれぞれ100-500 pg/g

及び2000-4000 pg/gという高濃度のダイオキシンが検出された。

1999年2月、テレビ朝日が独自調査を行い、所沢の野菜はダイオキ

シン濃度が高いとの報道を行ったことにより、所沢産野菜の不買運

動などが起こり社会問題となった。地元農家がこれを風評被害とし

てテレビ朝日に訂正放送を要求し、同市の野菜農家らが損害賠償な

どを求めた訴訟ではニュースキャスターら5人の証人尋問を申請した。

県やJAが安全宣言を出し沈静化を図る一方、テレビ局側も不適切

な表現を認め謝罪した。

  

元祖「風評被害」と呼ばれる事件です。

このニュースキャスターが久米宏さんでした。

1999年2月1日に久米宏さんが言ったのは、

「葉っぱもの」がダイオキシンに汚染されているという表現。

この「葉っぱもの」が視聴者に野菜を連想させました。

実際は、お茶の葉っぱからの検出でした。

でもニュースステーションが、所沢のダイオキシンについて

ニュースにしているのは、もっと前からだったようです。

助けて!所沢!ダイオキシン!

このサイトがネット上にあり、1997年の5月12日の

ニュースステーションの報道が取り上げられています。

1997年5月12日ニュースステーション  

この記事には、何年の5月12日なのかは書いてありません。

記述の中に「5年前(平成4年)」の記述があり、

平成9年(1997年)と予想しました。

このニュースステーションでは、所沢市には、

たくさんの産業廃棄物の焼却炉があって、

ダイオキシン汚染が深刻であることが言われています。

その時に前記事で名前を出した宮田秀明教授が、

調査結果を報告して、危険であることを伝えています。

    

ダイオキシン騒動の表舞台になったのが、所沢市でした。

コメント

1月5日今朝のテレビ番組で中野区の地元新聞を発行する記者が出ていました。昭和6年生まれ94歳現役記者。ご主人の言葉「ペンは人を殺すことができる」と教えられたそうです。

この番組を見ていなかったので、
今日、NHKプラスの見逃し配信で見ました。
昨年の6月に放映したものの再放送なんですね。
「週刊とうきょう」という地元新聞。
腕章をして取材先に出向いて、
「週刊とうきょうですけど、お願いします」と言ったら、
相手が当然のように受け入れる様子がすごいなあと思いました。
昭和6年は、2年前に死んだ父親と同じ生まれ。
その年で、取材して書く、校正する、配る。
自分も90歳越えても、書いていたいなと思いました。
思い込みをせずに、事実を淡々と書く。
そうでないと、世の中の雰囲気で書くと、
後で恥ずかしいことになります。
ダイオキシンのように。

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