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2024年8月30日 (金)

「日本文明の真実」① 大誤報「侵略」を「進出」にはしていなかった

   

今日は令和6年8月30日。

  

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「歴史の大ウソを打破する日本文明の真実」

(武田邦彦著/ビジネス社)

  

付箋をページにたくさん貼ったけど、厳選して引用します。

  

「日本文化」といえるものは、旧石器時代(5万年前から土器が見つか

った1万6500年前)から確認することができます。遺跡の数も世界一

多く約1万カ所以上。そのうち4万年前の遺跡が確定しているだけでも

約8000カ所もあります。遺跡が発見されてはいても、推定年代が確

定していないものも多いのです。なかには推定12万年前のものもあり

ます。そうした旧石器時代のものではないかと思われる遺跡数は1万

3000カ所にものぼります。あと10年ほど経てば、年代が確定する遺

跡が多数出てくることでしょう。

したがって現在確定しつつある遺跡だけでも、4万年前には日本人が

日本列島に住み、ある程度の村落を形成していたことがわかります。

北海道や東北地方を中心に、人口を保った集落が1万カ所前後あった

と言えます。これは世界で一番大規模です。

それなのに日本の教科書には、そのような記載は一切ありません。

なぜなら文部科学省が管轄する教科書検定には、「近隣諸国条項」

という非常に厳しい縛りがあるからです。

これは昭和56年度の教科書検定で、日本軍の中国での行動が「侵略」

から「進出」に書き換えさせられたと新聞やテレビが報じたため、

中国や韓国から激しい抗議を受けたことにより設けられた条項です。

しかし、「侵略」が「進出」に書き換えられた事実はなく、誤報で

した。

(17p)

  

え、誤報だったの?

そこんところ、今までしっかり確かめていませんでした。

この機会にネットで勉強。

この記事が良かったです。

産経新聞 追悼・渡部昇一さん 教科書検定「侵略→進出」は大誤報だった 「虚に吠えた中韓」暴いた渡部昇一さん

2017年4月の記事です。

  

それによると、昭和57年(1982年)6月26日の

新聞各紙は、文部省(現在の文部科学省)による教科書検定で、

中国への「侵略」が「進出」となったことを報じました。

文部省が、「侵略」を「進出」に書き換えさせたという報道です。

朝日新聞、毎日新聞、読売新聞、産経新聞、東京新聞の名前が

挙がっています。

この報道を聞いた中国、韓国が抗議。

北朝鮮も反発、ソ連も非難しました。

外交問題に発展したのです。

しかし、これは大誤報でした。

文部省がそのようなことをした事実はありませんでした。

  

当時、膨大な教科書を、報道機関が分担してチェックしていました。

実教出版の「世界史」を担当した日本テレビの記者が、

「侵略」だったのが「進出」に変わっていると報告しました。

それを聞いた他の報道機関は、自分たちで確認せずに、

そのまま報じたのです。

実教出版の「世界史」は、もともと「進出」と書いており、

教科書検定で、「侵略」を「進出」にした事実はありませんでした。

  

文部省は、7月29日、30日に、そのような事実はないと答弁。

しかし、誤報に基づいた中国、韓国の抗議であるにもかかわらず、

9月に鈴木善幸首相の訪中を控えていたこともあり、官邸と外務省

は中韓に屈服しました。

宮沢喜一官房長官は8月26日、「(教科書記述を)政府の責任に

おいて是正する」「検定基準を改め、前記の趣旨(アジアの近隣諸

国との友好、親善)が十分実現するよう配慮する」との宮沢談話を

発表しました。

この談話が教科書の検定基準に含まれました。

これが「近隣諸国条項」なのです。

  

この記事の中で、渡部昇一さんが、誤報だと知ったのは、

8月6日の「世界日報」の記事だったそうです。

「世界日報」は統一教会(現在、世界平和統一家庭連合)に

関係する日刊紙です。

問題のある日刊紙ですが、当時は海外特派員も多く、

反共色の強い独自の記事が豊富で、

保守派の間に愛読者が多かったそうです。

    

報道機関は、すぐにではないのですが、

誤報を認めて、謝罪をしました。

論点をすり替えて、十分に謝罪をしなかったのが

朝日新聞だったそうです。

  

見えてきました。そうだったのですね。

42年前の出来事を、今、理解しました。

誤報であったことは、認識していませんでした。

  

  

そこで武田氏の本の記述の続きを引用します。

  

それにもかかわらず、以来「近隣のアジア諸国との間の近現代の歴史

的事象の扱いに国際理解と国際協調の見地から必要な配慮がされてい

ること」が求められるようになったのです。

平たく言えば、中国や朝鮮より文化が早いとか、優れているとかを絶

対に教科書に書くな、という縛りです。 そのような記述と判定されれ

ば検定が通らない。

ですから「日本では4万年前にすでに1万カ所以上の遺跡が確認されて

いる」などという話は、残念ながらほとんどの日本人に知られていま

せん。

しかしこの古い遺跡を見れば、日本および日本人の特徴というものが、

このときすでにでき上がっていることがわかるのです。

この当時の日本の遺跡は、肉食をしている狩猟民族であるにもかかわ

らず定住型です。

石器をつくるための工場から、素材を確保するルートまでも確保され

ています。この集落のあり方そのものに、私は非常に日本的特徴を感

じます。

また、当時の遺跡の数を他の国と比べると別に朝鮮の悪口を言うわけ

ではありませんが日本の1万カ所以上の遺跡に相当する遺跡は朝鮮に

400しかない。ここからもうかがえるように、文化のレベルが違うわ

けです。

一例をあげると、旧石器時代の石器。 この多くが大陸に輸出されて

います。当時の大陸の石器よりも日本の石器はずっと優れていたので、

中国の石器時代の遺跡からも、日本の石器が見つかっているのです。

日本の教科書は「大陸で発達した文化が奈良時代くらいに日本に来

た」と洗脳していますが、明らかな錯誤です。

(18〜19p)

  

そうなんだよ。

自分たちが住んでいる日本の歴史をちゃんと知って、

日本人であることに自信を持たないといけません。

 

続く

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