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2024年5月23日 (木)

本「森林飽和」を読みました/登山で経験したことと一致します

   

今日は令和6年5月23日。今日も「即今着手」

富士山登山1週間前です。

本格的に準備を今日から始めよう。

  

この本を読みました。

図書館返却日が、2日前でした。

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「森林飽和 国土の変貌を考える」

(太田猛彦著/NHK出版)

  

2012年、東日本大震災が起こった翌年に書かれた本です。

海岸の砂州などがやせてきたのは、川にダムがたくさんできたためと

ずっと思い込んできましたが、それが第一ではないと言う本です。

かつての日本は、山林資源は使われ尽くして、

ハゲ山が広がる景色でした。

そして現在は、森林は復活しすぎて、里山と呼ばれる地域も、

現在は利用されずに、樹木に覆われ、「森林飽和」状態だと言うのです。

森林に覆われたために、山からの土砂の流出が減少し、

砂州が減少しているわけです。

違う見方をさせてもらった本です。

  

山登りしている身だと、「森林飽和」は感じます。

山の麓の廃屋は、草に覆われ、木に囲まれています。

山には十分な木があると感じます。

  

伐採による森林減少は、実際には進行していなくて、

日本全体としてみたら、森林面積は増えているのです。

  

印象に残った文章を厳選して、引用します。

  

里山ブームの盲点

現在、「里山」がブームのような観がある。読者の中にも里山の好き

な方がおられるだろう。その方々の中には「かつての里山には持続可

能で豊かな森が広がっていた。人々はその恵みを受けて暮らしていた」

と信じている方がいらっしゃるのではないだろうか。しかし、今まで

説明してきた山地・森林はほとんどすべてが「里山」である。里山に

は茅場(屋根を葺く材料のカヤを刈りとる場所)と呼ばれる草山があっ

たことが知られている。そのような草山をふくめて、かつての里山は

「はげ山」か、ほとんどはげ山同様のせた森林灌木がほとんどで、高

木ではマツのみが目立つ――が一般的であった。少なくとも江戸時代

中期から昭和時代前期にかけて、私たちの祖先は鬱蒼とした森をほと

んど目にすることなく暮らしていたのである。(中略)

言い換えれば、江戸時代に生まれた村人が見渡す山のほとんどは、現

在の発展途上国で広く見られるような荒れ果てた山か、劣化した森、

そして草地であった。この事実を実感として把握しない限り、日本の

山地・森林が今きわめ豊かであることや、国土環境が変貌し続けてい

ることを正確に理解することはできないと思われる。

(48〜49p)

  

びっくりです。

昭和前期でさえ、山ははげ山だったのですね。

   

著者の太田さんの義母は、愛知県東栄町の出身。

そこでの生活ぶりは、林業、養蚕業、鮎とり(ひっかけ)、

かすみ網を使った鳥採取、桑畑などが描かれ、

私が初任者で行った頃には、名残があったなと思います。

著者に親しみを感じた記述でした。

  

第二次世界大戦後の国土の荒廃は明治時代初頭にも劣らぬ激しいも

のだった。戦争による混乱に加え、戦後日本の復興に使える自前の

資源は、減少したとはいえ、木村資源しかない。そのため奥山の天

然林の乱が続いた。当時のマスコミはこぞって「なぜ豊富な木材資

源を戦後復興に生かさないのか」と伐採をうながした。 国有林では

国策として引揚者を大量に受け入れ、伐採を促進した。

終戦直後の里山もまた異常な状態であった。現在でも狭い谷地の奥

のスギ林などに入って行くと、林内にわずかに階段状の土地を見つ

けることがある。たいていの場合、そこは戦中から戦後にかけてつ

くられた水田の跡である。食糧難の当時、里山の斜面はいたるとこ

ろで畑化されていたのである。

このような国土の荒廃の影響は、関東地方に未曽有の大氾濫をもた

らした一九四七(昭和二十二)年のキャスリーン台風に始まり、一九

五〇年代に繰り返し発生した水害や土砂災害となって現れた。一九

五三年の北九州豪雨災害では都市近郊の里山に山崩れが集中した。

一九五四年の洞爺丸台風、一九五七年からは諫早水害、狩野川台風

(五八年)、伊勢湾台風(五九年)と連年災害に見舞われる状況にあっ

た。このため、保安林整備時措置法(五四年)や治山・治水緊急措置

法(六〇年)などいわゆる計画的な事業制度が始まり、とくに後者は

砂防事業や河川事業もふくめて水系一貫の治山治水事業としてその

後の国土保全対策の基本方針となった。翌年、災害対策基本法も創

定されている。 

(128〜129p)

  

これも実体験があります。

山の中に、石が積まれて、かつて農業が行われた後がある場所を、

何度か見てきました。

あれは終戦直後の遺跡だったのですね。

納得です。

  

なお、自然河川では間歇的に発生する洪水流によって土砂と水が一挙

に大量に流れることによって河川らしい”環境が維持される。現在は

ダムでの流量コントロールの影響で大洪水がなくなったこともあり、

高水敷(普段は水が流れていないが洪水のときには流れる部分)はなか

なか破壊されない。さらにダム管理においては、ときおり洪水流をフ

ラッシュさせる(一気に流出させる) 操作が行われているものと思われ

るが、土砂をフラッシュさせるのは至難の業であろう。その結果、一

般に河床は固定化される。 その場合、河川生態系はどうなるのだろう

か。まず河原の植物相の変化がある。 すでに多くの指摘があるが、種

組成の変化などを指摘することと同時に、その原因である当該種の立

地環境の変化を指摘する必要のあることを主張したい。

たとえば、よく採り上げられる河原での外来種ニセアカシアの繁茂は

土砂移動の停止だけでなく、河床低下によって高水敷の比高が高くな

り、乾燥してしまうことの影響も大きい。それがなければニセアカシ

アの侵入速度はもう少し緩やかなものであっただろう。もちろん高水

敷の破壊があれば、ニセアカシアは侵入しない。砂礫堆砂州)や高水敷

の破壊は河川らしい水生生態系の維持にも欠かせないということである。

(207〜208p)

  

昔のような洪水がなくなったことで、

それはそれで困ったことがあるのですね。

自然は難しい。

実は、5月19日に長野県の山を登りに行きましたが、

その途中の道路脇にニセアカシアが異常にあったことに

驚いていました。

その時の写真です。

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ニセアカシアについては、たっぷり記事が書けそうな情報が

ネットにはありました。

明治時代に日本に導入された木で、

マメ科なので、根には根粒菌がいて、空気中の窒素を固定化するもの。

土の肥料を作ってくれる木なのです。

そして花の蜜は、養蜂家にとってはありがたいもの。

でも繁殖力が強いために、困っている木でもあります。

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