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2023年9月 7日 (木)

本「中国友好侵略史」4/日中国交正常化は、台湾と日本の国交断絶を意味する

  

今日は令和5年9月7日。

  

前記事に引き続き、

「日中友好侵略史」(門田隆将著/産経新聞出版)

より引用していきます。

   
台北は怒りと哀しみに満ちていた。

日本が台湾を切り捨て、中国と国交を結ぶそのことが「既定路線であ

る」と台湾全土で捉えられていた。最も親密な関係にある日本と断交

することの「絶望」と「哀しみ」は、台湾の人々にとって想像もつか

ない。

台湾国民は、もともと台湾に住んでいた「本省人」と、蒋介石と共に

戦後、大陸から台湾へ逃れてきた「外省人」と、大きく二つに分けら

れる。人口比でいえば、圧倒的に本省人が多い。ほぼ九割を本省人が

占め、外省人は一割にも満たない。

しかし、蒋介石と共に大陸からやってきた国民党が台湾の政治、経済、

社会すべてを握り、本省人が進出できる分野は極めて限られていた。

常に日本に親近感を抱いてくれる本省人に比べ、外省人は大陸を失陥

した経験を持つだけに、その原因をつくった日本に憎悪を隠さない人

もいた。

その上、自分たちを台湾に追いやった共産中国に、今度は日本が国を

結ぶために尻尾をることなど、許しがたいものだった。外省人を中心

に激しい 「怒り」と、それとは異なる本省人の日本との縁が切れる”

という深い「哀しみ」が台湾中を覆っていたのである。

(179〜180p)

  

1972年の日中国交正常化は、

それまでの日本と台湾との国交断絶を意味していました。

そりゃあ、当たり前・・かもしれませんが、

当時、中国と国交が正常化することはいいことだと思い、

台湾にまで、関心が至っていなかったと思います。

台湾の本省人にとって、中国の国共内乱以後、

過酷な歴史を歩んだのだと思いました。

  

日本との関係改善をなにより望んでいたのは、中国の側である。しかし、

次章で詳述するように日本は、そんな中国の実情をなにひとつ掴んでい

なかった。ただ「手柄」に目が眩んだ政治家によって、「日中国交正常

化」という歴史的出来事に向かって突っ走っていたのである。

必要な調査や研究を怠り、中国の工作によって掌で転がされ、「ことこ

こに至っていた」のだ。

この手法は、実際に田中訪中でもいかんなく発揮される。 赤子の手が

ひねられるがごとく、日本は中国共産党の術中に嵌っていく。 それは、

その後の五十年、現在もつづく。今では中国のために働く政治家やマス

コミの方が主流になっているが、そのことは後述する。

(203p)

  

手柄に目が眩んだ政治家の代表が田中角栄氏でした。

日中国交正常化という歴史的事件は、

中国主導のものだったんだなとこの本で思いました。

その後、中国からパンダがやってきて、

日本は未曾有のパンダブームとなり、日本人は浮かれました。

  

  

日本が命脈をぎりぎり保ったのは、台湾を自分の領土と主張する中国

に対して、その立「理解」し、「尊重」するものの、「認めた」わけ

ではない、ということである。

簡単にいえば、「あなたの主張は尊重するし、理解していますよ」と

いうことであって、れを「承認」するわけではない、ということだ。

日本側は、そこだけは譲らなかった」のである。

(244p)

   

日中国交正常化の話し合いの中で、日本は、

台湾が中国の一部であることは認めなかったのです。

ここらが外交の難しいところなんだと思いました。

  

続く

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