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2023年9月 7日 (木)

本「中国友好侵略史」3/自民党議員、公明党を親中派にしていった廖承志

   

今日は令和5年9月7日。

  

前記事に引き続き、

「日中友好侵略史」(門田隆将著/産経新聞出版)

より引用していきます。

  

17pで初登場するのが廖承志(りょうしょうし)

この人が、日本に対する中国の工作の中心人物でした。

廖承志と接した日本人は、その人柄に惹かれ、

いつの間にか親中派になっていきました。

この本の中での重要人物です。

  

(松村)記念館を出ると大きな記念碑が目に飛び込んできた。高さ三

メートル、幅一メートル余、厚も五十センチ以上はある石碑だ。隣の

松村記念公園の敷地の一角である。近づくと、その石に見事な文字が

刻まれているのが見えた。

友 誼 長 在                廖承志
                      一九八三年

日本と中国の長き友誼(ゆうぎ)を願う思いが込められた慶承志の言

葉である。松村への承志の感謝と尊敬が凝縮されたものだ。

廖承志は松村を突破口に着々と自民党の中に中国シンパを構築してい

った。その工作の手は、同時に野党の側にも及んでいく。

ターゲットは新興の宗教政党・公明党だった。

(46〜47p)

  

廖承志は、自民党に親中派を作ろうと、松村謙三議員を中国に招き、

実際に親中派にしました。

そして公明党を次の狙いにしました。

公明党の親中は、廖の裏工作があったのです。

  

中国はその後、池田(大作)に百二十以上の名誉教授や称号などを贈

りつづけ、今も創価学会・公明党を「思うがままに動かすことに成功

している」とされる。

池田が身元引受人となって創価大学が受け入れた海外留学生第一号の

程永華(ていえいか)は、二〇一〇年に駐日中国大使となったことは

記憶に新しい。 公明党は後述するように、これを嚆矢(こうし)に国

交正常化に大きな役割を果たす。 現在、公明党が「中国の代弁者」で

あるのは、はるか半世紀以上前から始まった中国共産党の「対日工作」

によるものであることを日本人は自覚すべきだろう。

こうして周恩来と慶志の「創価学会工作」は見事に成果を挙げるのである。

(64p)

  

第二次世界大戦以後の内戦もあり、文化大革命もあり、

中国はボロボロの状態でした。

でも中国共産党は、そんな中国の窮状はひた隠し、

戦後復興している日本の資金を援助してもらおうと、

日本を味方にしていくのです。

その前にやらなくてはならなかったのは、

中国と日本の国交を始めることです。

日本は、戦後、台湾の中華民国と国交を持っており、

中華人民共和国の中国とは国交がなかったのです。

  

続く

  

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