20221021パノラマ台へ④ オムニバスと再会 甲斐と陸奥の南部氏
今日は令和4年10月23日。
このバスと再会できました。
4年前に、富士の樹海歩きをしていた時に、
このバスを見かけました。
OMNIBUS(オムニバス)と書かれた文字が気になり、
調べました。
オムニバスは、乗合馬車のことであり、
オムニバスが、バスの語源であることを調べました。
※ここでも道草 20180825樹海を歩いてきました オムニバスはバスの起源(2018年9月2日投稿)
思わず写真を撮りました。
今回は、往復で中部自動車縦貫道路を利用しました。
その途中の道の駅「なんぶ」(山梨県)で見かけた銅像。
「南部」が気になりました。
以前、南部が気になって調べたことがありました。
※ここでも道草 なぜ本州の北にあるのに「南部」藩なのだろう?(2019年7月27日投稿)
この時は、東北にある南部藩は、
甲斐の国に住んでいた南部氏が作った藩だと
言うところまで調べました。
この銅像の南部三郎光行公とはどんな人なのだろう。
調べてみたところ・・・・※Wikipedia 南部光行
この南部光行は、源頼朝の石橋山合戦に参加して戦功をあげて、
現在の山梨県南部町付近の領地を与えられます。
南部氏という姓も、この時に頼朝からいただきました。
さらに頼朝の奥州征伐にも参加。
その時に陸奥の国に南部氏の城を築いたそうです。
つまり、南部光行公は、甲斐の国の南部氏と、
陸奥の国の南部氏をスタートさせた人でした。
予想では、甲斐の国の南部氏の子孫が、
陸奥の国に渡ったと予想してましたが、
頼朝が活躍していた時代に生きた武将が、
一人で成し遂げていました。
以前のことを思い出させる出来事2つでした。
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