「日本史の大事なことだけ36の漫画でわかる本」④ 三大怨霊のひとり崇徳天皇
今日は令和4年8月9日。
前記事に引き続き、
「東大教授が教える 日本史の大事なことだけ36の漫画でわかる本」
(本郷和人監修/堀田純司漫画原作/瀬川サユリ漫画/講談社)より。
今回は崇徳(すとく)天皇の話。
三大怨霊といえば、菅原道真、平将門、そして崇徳天皇です。
崇徳天皇のことをあまり知りませんでした。
この本をきっかけに勉強しました。
白河上皇が、自分の愛人を孫の鳥羽天皇に与え、しかも結婚後も関
係を持つ。生まれた子が崇徳天皇(1119年)。
建前上は鳥羽天皇の子ですが、本当の父は白河上皇であるという噂
が当時から根強かった。
なにより鳥羽天皇自身が、そう信じていた。崇徳天皇はそうした不
幸な運命を背負った人でした。
即位しても鳥羽上皇によって政治の場から排除され、同じく孤立し
ていた藤原頼長と手を組む。
そして「保元の乱」(1156年)を起こすが敗北、讃岐へと流さ
れる。
讃岐で崩御した後、怨霊、さらには妖怪となったと物語では描かれ
ます。
(124p)
もう少し詳しく知りたくて、動画を見ました。
YouTube: 【ゆっくり解説】日本で最も恐れられた天皇がヤバい…/なぜ「源頼朝」と「後白河院」は崇徳天皇を恐れていたのか?
28分ほどの動画を見ました。
三大怨霊のこと、崇徳天皇の生い立ちに関する噂のこと、
父親の鳥羽上皇に疎まれて、政治の場から外されていったこと、
保元の乱で敗れ、流罪になったこと、
そして崇徳天皇の呪いと思われる数々のことなど知りました。
政治の場から外された崇徳天皇は、歌の世界に没頭します。
崇徳天皇の歌は百人一種にも選ばれています。
瀬をはやみ 岩にせかるる滝川の われても末に あはむとぞ思ふ
川の浅瀬の流れが速く、岩によって2つに分かれた急流が、
いずれ1つになるように、今は愛しいあの人と離れ離れになっても、
いつか必ずまた会える。
覚えのある歌です。怨霊と呼ばれた崇徳天皇の作品だったのです。
本からの引用を続けます。
僕らが「〇〇天皇」と呼ぶときの「〇〇」は、
崩御した後に追号された「諡(おくりな)」です。
この「諡」にある法則が見られるのをご存知でしょうか?
京都からはなれて亡くなった人には、
「崇」や「徳」の文字がおくられているのです。
たとえば壇ノ浦で亡くなった「安徳」天皇や、
佐渡に流された「順徳」天皇がいらっしゃる。
また謀反を疑われて淡路に流された「崇道(すどう)」天皇。
史上唯一あきらかに暗殺された「崇峻(すしゅん)」天皇など。
非業の最期を遂げた人には「崇」の字がおくられている。
そうみると「崇徳」天皇は「崇」と「徳」のふたつの字が
おくられている。
よほど深い深い非業悲運のお方とみられていたと
いうことでしょう。
(125p)
「崇」「徳」に関するルールを初めて知りました。
上記の動画では24分すぎに、呪いを鎮めるために、
讃岐院だった諡を崇徳にしたことがでてきます。
最高の名前をつけてもらった天皇と言えます。
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