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2022年8月 8日 (月)

「日本史の大事なことだけ36の漫画でわかる本」③ 家康の駿府ホーム説

      

今日は令和4年8月8日。

  

前記事に引き続き、

「東大教授が教える 日本史の大事なことだけ36の漫画でわかる本」

(本郷和人監修/堀田純司漫画原作/瀬川サユリ漫画/講談社)より。

   

今回は徳川家康の話。

  

忘れてはならないのは、彼(家康)がシティボーイだったこと。

家康は幼いころに地元三河をはなれ、

今川家の人質としてこの駿河で育った。

当時の駿河は今川義元が京風文化を取り入れた先進地帯。

そんな家康が、土臭い三河武士に親近感を覚えたでしょうか。

実は家康にとって三河はアウェイ。

彼が「三河武士団に心を許していなかった」と

思われる傍証は実はあるんです。

1560年 今川義元が尾張侵攻を開始。

家康は大高城への補給作戦を成功させ大手柄をたてる。

しかし今川義元は桶狭間で戦死。

家康は今川家から離脱するのですが、

なぜか本拠の岡崎城ではなく大樹寺に籠った。

三河武士が迎えにきたとき、家康は震えていたといいます。

家康は彼らが助けにきたのか殺しにきたのか

確信が持てなかったのです。

家康が天下をとった後、自分の家来には多くて10万石ほどしか

領土を与えなかった。

彼がガチでケチだったこともあるでしょうが、

実は彼にとって三河武士団は異文化の異人種。

本音では心を許していなかったのではないでしょうか?

その証拠に、引退してから彼は駿府に住んでいる。

彼の「ホーム」は精神形成期を過ごした駿府だったのでしょう。

(29~30p)

  

三河の人間にとって気になる文章です。

確かに家康は引退後は駿府に住みました。

なぜ岡崎ではないんだと疑問に思ったこともありました。

駿府がホーム説は説得力があります。

来年の大河ドラマ「どうする家康」で、

三河武士との関係、駿府ホーム説がどう描かれるか、

注目したいところです。

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