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2022年8月

2022年8月13日 (土)

37年経った日航123便墜落事故

    

今日は令和4年8月13日。

  

本当は12日に書く予定だった日航123便墜落事故に関して、

1日遅れで書きます。

  

37年後の8月12日のニュースや新聞記事では

どのように事故のことが報じられるのかを見ました。

NHKの「ニュースウォッチ9」、

テレビ朝日の「報道ステーション」、

朝日新聞を見ました。

37年が過ぎようとしているのに、

事故のことは報じられていました。

やはり、それだけ大事故であったということだと思います。

今朝届いた朝日新聞にも、事故のことが書いてありました。

でも、現在行われている裁判について少しでも報じたところは

ありませんでした。

「ニュースウォッチ9」では、二度とこのような事故が起こらないように、

航空各社が安全に努めていると言っていました。

 

でも私が知る限りでは、

日航123便は安全には配慮していたのです。

無事に大阪にお客さんを届けることができたのです。

自衛隊の標的機が垂直尾翼に当たって破損した状態でも、

横田か羽田の空港に無事着陸できた可能性があったのです。

そうなれば、520人が犠牲になることもなかったのです。

ある人の判断によって、日航123便は撃墜され、

無惨な証拠隠滅がなされたと私は思っています。

この事故を教訓に、安全を心がけるというのは、

おかしいことなのです。

   

昨日、青山透子さんからのメールが届きました。

そこでワタナベケンタロウさんの動画が紹介されていました。


YouTube: 【日航機墜落事故80】訴えを起こしたご遺族、吉備素子さんが語る。

さっそく見ましたが、裁判を起こしている吉備素子さんへの

インタビュー動画でした。

真実を知りたいだけなんだという吉備さんの気持ちが、

ひしひしと伝わってきました。

知らずにして死にたくないですよね。

  

私が知ったように、この事故原因について疑問に思う人が

増えてきているのではないでしょうか。

今行われている裁判が大きなきかっけになって、

真相が明らかになればいいなと思います。

 

最後に上記の動画のラスト画面を載せます。

青山透子さんの新刊の紹介と裁判の意義が書かれています。

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歴史的な裁判だと思うのですが、

なぜテレビ・新聞は報じないのだろう。

2022年8月12日 (金)

山の日/60歳代に履く登山靴を購入

    

今日は令和4年8月12日。

   

今年の「秋味」の発売日を調べました。

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8月16日でした。

今年は何本飲もうかな。

1箱(24本)がいいかな。

  

   

昨日、8月11日は「山の日」

登山靴を買いに行きました。

現在履いている登山靴は、足のサイズにピッタリ過ぎて、

下り坂の時に足の指先が、靴を内側から強く押してしまい痛い。

親指のつま先の色が変色してしまうほど。

これではいかんと、頑張って買うことにしました。

  

サイズは0.5cmふやして28センチ。

お店で、何足も履き替えて悩みました。

これから長く履く靴かと思うと慎重になりました。

最後は、履いてしばらくすると、

前後左右が包まれたようにフィットしてきた登山靴にしました。

定価はちょっと高めでしたが、30%オフになっていたのも、

よかったです。

庭で写真を撮りました。見せびらかしです。

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登山靴としては、珍しい裏面のソール。

メーカーはMERRELL(メレル)。

いいでしょう。

先輩から、動けるのは60歳代とアドバイスをもらいました。

その60代はこの靴を履いてあちこち歩きたいです。

優柔不断の3回目のワクチン接種

    

今日は令和4年8月12日。

   

8月9日に、定期的に通っている内科医で、

3回目のワクチン接種ができますかと聞きました。

ずっと3回目の接種をしないできていましたが、

家族からの強い要請を受けて、摂取することにしました。

看護婦さんから、「ちょうど今日は空きがあるから、うっていく?」

と言われて、さっそくうつことにしました。

お医者さんは「じゃあ、今日は接種をしましょう。え、3回目!」

と2度見されました。

みんなが4回目を接種している時に、

3回目が来たからでしょう。

現時点で3回目を接種していない人は、

おそらくこのまま摂取しないで済ます人が多いのでは。

私は優柔不断な3回目接種者ですね。

この日は血液検査のための採血の日でもあったので、

両腕に注射をした日となりました。

8月10日の晩になって、副反応で頭がクラクラしてきました。

熱は36.9度と、微増。

ワクチン接種が原因で亡くなった人もいます。

その恐怖とちょっと戦いました。

  

8月11日の午前中も調子が悪く、ゴロゴロしていました。

午後になって動けるようになりました。

3回目のワクチン接種は無事済んだようです。

2022年8月11日 (木)

映画「ムーラン2」(2005年)を観ました

    

今日は令和4年8月11日。

   

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Disneyplus

映画「ムーラン2」(2005年)を観ました。

前記事で、映画の公開年は2004年としましたが、

どうも2005年が正しいようなので、

2005年としました。

このブログを始めたのが2007年4月。

十分長くブログを書いてきた気持ちでいるので、

それより古いものは、ひと昔前のものと感じます。

  

映画は7年経っていますが、映画「ムーラン」の1か月後の設定。

恋仲になったムーランとシャン将軍が結婚に至るまでの話でした。

個性的な家来3人も再登場。

そして守護神のムーシューとコオロギも現れ、

とくにムーシューは、ムーランが結婚してしまうと、

守護神からドラたたきの仕事に格下げされると知って、

ムーランとシャイ将軍を引き離そうと画策します。

しかし、ムーシューは、ムーランの落ち込んだ顔を見て、

考えを改めます。

最後はムーシューの活躍で八方丸く収まります。

よかった、よかった。

  

社会科教師としては、「モンゴル」に注目。

中国の皇帝が「モンゴルに攻められる」と言っています。

そうなると映画の舞台は13世紀か?

広げられた地図には「北魏」の国名がありました。

そうなると4~5世紀?

どうも時代は適当みたいです。

個人的には、南北朝時代でいいのかなと思っています。

  

明日は実写版の「ムーラン」(2020年)を見るつもりです。

とんでもないことが起こらないかぎり。

2022年8月10日 (水)

映画「ムーラン」(1998年)を観ました

        

今日は令和4年8月10日。

  

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https://dtimes.jp/post-378391/

  

映画「ムーラン」(1998年)を観ました。

  

コミカルな面とスペクタルな面があって、

楽しめる映画でした。

今から24年前に、こんないい映画があったのですね。

ムーランたちとフン族との雪原での戦いは素晴らしかった。

フン族の大軍が雪原の向こうに現れ、

雪原を疾走するシーンは圧巻。

  

万里の長城が最初に出ます。

北方の騎馬民族(フン族)が、

それはそれは恐ろしい人相で描かれていました。

彼らにも家族がいて、生活があると思うけど、

勧善懲悪の話としては仕方ないかな。

  

ムーランのファ家の先祖様役で、

久々に大平透さんの声を聞きました。

懐かしい声です。

大平さんは2016年に亡くなっています。

  

授業でも紹介したい映画でした。

どうにかこうにか授業に関連づけて、

あの雪原のシーンを大画面で大音量で見せたいです。

ここでも道草 「伝説の謎」② 木蘭(ムーラン)(2022年7月18日投稿)

「ムーラン」を観たいと思ったきっかけは読書でした。

次は「ムーラン2」(2004年)を観るか、

実写版の「ムーラン」(2020年)を観るか、迷っています。

明日、どっちかを観ます。

   

「ペリリュー 楽園のゲルニカ」第2巻 「生きて虜囚の辱を受けず」

    

今日は令和4年8月10日。

  

このマンガを読みました。

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amazon

「ペリリュー 楽園のゲルニカ」2巻

(武田一義作/ヤングアニマルコミックス)

  

雨が降らず水がない日本軍が、負傷兵たちをおとりにして、

アメリカ兵の位置を見つけ出して攻撃。

そして水を得る話が2巻の中心でした。

日本兵は多くの犠牲者を出したのですが、

無情にもその後にスコールがやってきます。

辛いところです。

  

戦車を伴ってアメリカ兵が8人進んでいます。

日本兵が2人、見つからないように隠れていました。

アメリカ兵は通り過ぎたと思ったら、

1人が立ちションでとどまっていました。

目を合わせてしまった日本兵が、

アメリカ兵の喉元を銃剣で刺して殺してしまいます。

しかし、他のアメリカ兵は気がつかずに進んでいきます。

こういうことは、ペリリューではあったと聞きます。

アメリカ兵が進んでいくと、いつの間にか

だんだん人数が減っていくのだそうです。

アメリカ兵にとっては恐怖だっただろうなと思います。

  

主人公の田丸は功績係に再び任命されます。

戦死した兵士がどのように死んでいったかを調べ、

遺族に伝える役目です。

田丸が少尉に、死んだ兵士の軍隊手帳を持ってきたが、

「戦いが終わったら、これもご遺族に届けられますか!?」

と聞きます。それに対して少尉は

「田丸 悪くないが足りん。遺族には第一に遺骨だ。

次からは出来れば指1本でも切り落として持って来い」

と言います。

この発想はなかったです。

遺族には第一に遺骨だ・・・は、確かにそうだなと思います。

死んだことを納得できるものです。

でも誰の指だかわからなくなってしまうだろうなあ。

  

「生きて虜囚(りょしゅう)の辱(はずかしめ)を受けず」

この言葉が登場します。

野戦病院が全焼していました。

日本兵自らが火を放って、傷病兵は黒焦げになっていました。

他にも、動けない兵士たちに、貴重な最後の水を飲ませて、

集団自決させる場面もありました。

「生きて虜囚の辱を受けず」が浸透しすぎて、

こんな悲劇も起こっていたんだなと思います。

  

「鹵獲(ろかく)」という言葉が出てきました。

意味は、戦場で敵の大砲などの兵器や食糧などの

補給物資を奪うことを指すもの。

物量で劣る日本兵は、兵器はもちろん、食糧から

救急品まで現地で敵から得なければならなかったそうです。

2022年8月 9日 (火)

訃報 小林清志 市田ひろみ 青木新門 オリビア・ニュートン・ジョン

   

今日は令和4年8月9日。

  

今日の朝日新聞朝刊に載っていた3つの訃報は、

どれも関心をもって読みました。

  

声優の小林清志さん。

肺炎で亡くなる。89歳。

ルパン三世の次元大介役で有名ですが、

私は映画での吹き替えが印象に残っています。

いい声です。

西部劇でのジェームズ・コバーンやフランコ・ネロ。

Wikipediaによると、「荒野の七人」のジェームズ・コバーンが

モデルとなって次元大介が誕生しました。

ジェームズ・コバーンの吹き替えを担当していた小林さんが、

そのまんま次元大介の役に選ばれたのだそうです。

面白い話です。

ここでジェームズ・コバーンの吹き替えをした

小林清志さんの声が聴くことができます。


YouTube: 俳優別 吹き替え声優 291 ジェームズ・コバーン編

こんな動画を作る人がいるのですね。

  

 

服飾評論家の市田ひろみさん。

急性呼吸不全で亡くなる。90歳。

サントリーの緑茶のCMが印象に残ります。


YouTube: 市田ひろみさんを偲んで

ちゃんとこのような動画が作られていました。

私と同じく1990年代のCMを思い出したのですね。

「せやけど、鼻が低い分、月給が高いかも」がいい。

36秒から注目。

  

   

作家の青木新門さん。

肺がんで亡くなる。86歳。

新聞記事から引用します。

富山県出身。納棺師としての体験をもとに93年「納棺夫日記」を

出版。09年に米アカデミー賞外国語映画賞を受賞した映画「おく

りびと」が生まれるきっかけになった。

好きな映画です、「おくりびと」

久石譲さんの音楽もよかったです。

その映画のきっかけを作った人なのですね。

「納棺夫日記」が読みたくなり、さっそく図書館に予約しました。

亡くなってしまったけど、これから知っていきます。

   

  

以上が新聞記事に載っていた訃報です。

私は3人とも忘れませんよ。覚えておきます。

このブログにも書き留めました。

  

 

今晩のテレビニュースで、ビックリの訃報が流れました。

歌手のオリビア・ニュートン・ジョンさんです。

乳がんのために亡くなりました。73歳。

聴いてました、この人の歌。

「フィジカル」サビのところは頭に残っています。


YouTube: Olivia Newton-John - Physical (Official Music Video)

「その風の誘惑」爽やかな曲です。


YouTube: 追悼! オリビア・ニュートン・ジョン、「そよ風の誘惑、Have You Never Been Mellow」 東京公演 リニューアル Olivia Newton John

カセットテープにオリビア・ニュートン・ジョンの

曲を入れて繰り返し聴いていた覚えがあります。

心地いい歌が多かったイメージです。

キラキラ輝いていた歌手でした。 

   

この人も忘れません。

  

  

これからこんなブログの内容が増えるかもしれません。

私よりも先輩で、一世を風靡したような方たちが、

少しずつ世を去っていくと思うのです。

気がついた時には書き留めておきたいです。覚えておくために。

忘れなければ、その人は自分の中では生き続けます。

  

いろいろ動画を見ていて、今晩は夜ふかしです。

「日本史の大事なことだけ36の漫画でわかる本」④ 三大怨霊のひとり崇徳天皇

     

今日は令和4年8月9日。

  

前記事に引き続き、

「東大教授が教える 日本史の大事なことだけ36の漫画でわかる本」

(本郷和人監修/堀田純司漫画原作/瀬川サユリ漫画/講談社)より。

  

今回は崇徳(すとく)天皇の話。

三大怨霊といえば、菅原道真、平将門、そして崇徳天皇です。

崇徳天皇のことをあまり知りませんでした。

この本をきっかけに勉強しました。

  

白河上皇が、自分の愛人を孫の鳥羽天皇に与え、しかも結婚後も関

係を持つ。生まれた子が崇徳天皇(1119年)。

建前上は鳥羽天皇の子ですが、本当の父は白河上皇であるという噂

が当時から根強かった。

なにより鳥羽天皇自身が、そう信じていた。崇徳天皇はそうした不

幸な運命を背負った人でした。

即位しても鳥羽上皇によって政治の場から排除され、同じく孤立し

ていた藤原頼長と手を組む。

そして「保元の乱」(1156年)を起こすが敗北、讃岐へと流さ

れる。

讃岐で崩御した後、怨霊、さらには妖怪となったと物語では描かれ

ます。

(124p)

  

もう少し詳しく知りたくて、動画を見ました。


YouTube: 【ゆっくり解説】日本で最も恐れられた天皇がヤバい…/なぜ「源頼朝」と「後白河院」は崇徳天皇を恐れていたのか?

28分ほどの動画を見ました。

三大怨霊のこと、崇徳天皇の生い立ちに関する噂のこと、

父親の鳥羽上皇に疎まれて、政治の場から外されていったこと、

保元の乱で敗れ、流罪になったこと、

そして崇徳天皇の呪いと思われる数々のことなど知りました。

政治の場から外された崇徳天皇は、歌の世界に没頭します。

崇徳天皇の歌は百人一種にも選ばれています。

 

瀬をはやみ 岩にせかるる滝川の われても末に あはむとぞ思ふ

川の浅瀬の流れが速く、岩によって2つに分かれた急流が、

いずれ1つになるように、今は愛しいあの人と離れ離れになっても、

いつか必ずまた会える。

  

覚えのある歌です。怨霊と呼ばれた崇徳天皇の作品だったのです。

  

本からの引用を続けます。

  

僕らが「〇〇天皇」と呼ぶときの「〇〇」は、

崩御した後に追号された「諡(おくりな)」です。

この「諡」にある法則が見られるのをご存知でしょうか?

京都からはなれて亡くなった人には、

「崇」や「徳」の文字がおくられているのです。

たとえば壇ノ浦で亡くなった「安徳」天皇や、

佐渡に流された「順徳」天皇がいらっしゃる。

また謀反を疑われて淡路に流された「崇道(すどう)」天皇。

史上唯一あきらかに暗殺された「崇峻(すしゅん)」天皇など。

非業の最期を遂げた人には「崇」の字がおくられている。

そうみると「崇徳」天皇は「崇」と「徳」のふたつの字が

おくられている。

よほど深い深い非業悲運のお方とみられていたと

いうことでしょう。

(125p)

  

「崇」「徳」に関するルールを初めて知りました。

上記の動画では24分すぎに、呪いを鎮めるために、

讃岐院だった諡を崇徳にしたことがでてきます。

最高の名前をつけてもらった天皇と言えます。

  

2022年8月 8日 (月)

「日本史の大事なことだけ36の漫画でわかる本」③ 家康の駿府ホーム説

      

今日は令和4年8月8日。

  

前記事に引き続き、

「東大教授が教える 日本史の大事なことだけ36の漫画でわかる本」

(本郷和人監修/堀田純司漫画原作/瀬川サユリ漫画/講談社)より。

   

今回は徳川家康の話。

  

忘れてはならないのは、彼(家康)がシティボーイだったこと。

家康は幼いころに地元三河をはなれ、

今川家の人質としてこの駿河で育った。

当時の駿河は今川義元が京風文化を取り入れた先進地帯。

そんな家康が、土臭い三河武士に親近感を覚えたでしょうか。

実は家康にとって三河はアウェイ。

彼が「三河武士団に心を許していなかった」と

思われる傍証は実はあるんです。

1560年 今川義元が尾張侵攻を開始。

家康は大高城への補給作戦を成功させ大手柄をたてる。

しかし今川義元は桶狭間で戦死。

家康は今川家から離脱するのですが、

なぜか本拠の岡崎城ではなく大樹寺に籠った。

三河武士が迎えにきたとき、家康は震えていたといいます。

家康は彼らが助けにきたのか殺しにきたのか

確信が持てなかったのです。

家康が天下をとった後、自分の家来には多くて10万石ほどしか

領土を与えなかった。

彼がガチでケチだったこともあるでしょうが、

実は彼にとって三河武士団は異文化の異人種。

本音では心を許していなかったのではないでしょうか?

その証拠に、引退してから彼は駿府に住んでいる。

彼の「ホーム」は精神形成期を過ごした駿府だったのでしょう。

(29~30p)

  

三河の人間にとって気になる文章です。

確かに家康は引退後は駿府に住みました。

なぜ岡崎ではないんだと疑問に思ったこともありました。

駿府がホーム説は説得力があります。

来年の大河ドラマ「どうする家康」で、

三河武士との関係、駿府ホーム説がどう描かれるか、

注目したいところです。

「日本史の大事なことだけ36の漫画でわかる本」② 初めて知った宇喜多直家

      

今日は令和4年8月8日。

  

前記事に引き続き、

「東大教授が教える 日本史の大事なことだけ36の漫画でわかる本」

(本郷和人監修/堀田純司漫画原作/瀬川サユリ漫画/講談社)より。

   

宇喜多直家の話が印象に残りました。  

   

備前を支配していた戦国大名。

人呼んで「暗殺のデパート」

(69p)

 

「暗殺のデパート」と呼ばれているのですね。

イケメンの刺客を送り込んだり、

毒殺をしたり、

狙撃もしました。

日本で最初に銃による暗殺を行ったのは直家。

 

「プロフェッショナル」の彼は、

暗殺の事前準備も入念だった。

まず身内と結婚させて相手を油断させる。

それから殺してしまうのです。

(71p)  

   

暗殺していくことで、戦国時代、

成り上がっていった人のようです。

  

暗殺だけではない。

目的のために手段を択ばない彼は、

秀吉の歓心を得るために、

美人で有名だった妻を

差し出すことまでやっている。

しかしその結果

子の八郎(後の秀康)は豊臣政権でひじょうに

手厚く扱われました。

(71p)

   

その宇喜多直家は50歳そこそこ亡くなります。

ガンと思われます。

死期が近づいたとき、この冷酷な男も、

「ひとりで死ぬのは寂しい」と感じます。

そこで一緒に死んでくれる家来を募って、

ノートを回したそうです。

結果、だれも名前を書かず。

直家は一人で死んでいきました。

  

 

この本で、聞きかじった程度ですが、

初めて宇喜多直家のことを知りました。

また情報を集めよう。

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