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2022年8月

2022年8月 8日 (月)

「日本史の大事なことだけ36の漫画でわかる本」① この本の秀吉、頼朝、義時像

    

今日は令和4年8月8日。

  

この本を読みました。

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コミックシーモア

「東大教授が教える 日本史の大事なことだけ36の漫画でわかる本」

(本郷和人監修/堀田純司漫画原作/瀬川サユリ漫画/講談社)

  

新しい歴史の情報をたっぷりもらった本でした。

  

秀吉の心の闇が深い。(中略)

かつてお城に入っていた庶民の女性が、やがてお城から下がった。

のちに秀吉は、その女性が幸福な結婚をしていることを知ります。

ここで「ああよかったな。幸せに暮らせよ」といって、贈り物をあ

げたのであれば、まだいい。しかし秀吉は「自分以外の男と幸福に

なるのは許さん」と激怒して、なんと女性とその夫の首を切ってし

まっています。

彼には「スケールの大きい、陽気な成功者」というイメージでは捉

えきれない闇がついてまわる。 

(28p)

   

秀吉の怖いところがわかるエピロードです。

命令を遂行した部下もいやだっただろうな。

次は源頼朝の話。

  

彼は、北条政子の前にも恋をしている。伊豆で一番大きい豪族の伊

東家の娘と縁を結び、子どもまでもうけた。しかし伊東家にしてみ

れば、自分の娘が流人の妻となり、子どもまで持ったとなると、平

家に反逆を疑われることになる。あわれなことに子は殺され、頼朝

も命からがらに逃げています。

しかし、それでも諦めないのが頼朝という人。今度は北条の娘に狙

いを定める。実は頼朝自身は妹のほうに文を送るつもりだったので

すが、配下の安藤藤九郎盛長に勝手に姉のほうに送られて、それで

も律儀に交際する。結果、今度は北条家という後ろ盾を得ることが

できました。

(451p)  

  

大河ドラマ「鎌倉殿の13人」でも描かれたストーリーです。

頼朝は、政子ではなく妹に文を届けようとしたのですね。

「鎌倉殿の13人」といえば、主人公の北条義時も、

ドラマとは違ったイメージとは違っていました。。

  

陰謀渦巻く初期の鎌倉幕府で、

最後に権力を握った男、北条義時。

(48p)

毒を持つ生物をひとつのツボに集め、

たがいに争わせる。

そのなかで最後に生き残った

毒虫が強力な呪力をもつ。

古代の呪術「蠱毒(コドク)」

  

北条義時はいわば蠱毒の王

陰謀渦巻く鎌倉幕府の創成期

最後に生き残った「毒王」

それが彼なのです。

(48p)

  

蠱毒について調べました。

Wikipedia

実際にあった呪術です。引用します。

  

古代中国において用いられた呪術を言う。動物を使うもので、中国

華南の少数民族の間で受け継がれている。(中略)

代表的な術式として『医学綱目』巻25の記載では「ヘビ、ムカデ、

ゲジ、カエルなどの百虫を同じ容器で飼育し、互いに共食いさせ、

勝ち残ったものが神霊となるためこれを祀る。この毒を採取して飲

食物に混ぜ、人に害を加えたり、思い通りに福を得たり、富貴を図

ったりする。人がこの毒に当たると、症状はさまざまであるが「一

定期間のうちにその人は大抵死ぬ」と記載されている。

  

つまり北条義時は強力な毒なのです。

この本では、次のようにも書いてありました。

  

この人物(義時)は自分の肖像画や像をいっさい残していない。

いわば「顔のない男」

陰から人を操り敵を葬っていった。

(49p)

鎌倉武士というと脳筋系荒くれ者のイメージがありますが、

実は北条家は官吏の家で謀略はお手のもの。

やはり政治力の高い頼朝が生きている間は

おとなしくしていますが、彼が死ぬとうごめきだす。

ずるいのは最後まで自分たちは表に出ないところ。

(中略)

義時は父の時政と二人三脚で、梶原景時をはじめ

有力御家人をつぶしていく。

(50~51p)

  

「鎌倉殿の13人」とは大きく異なる北条義時像。

どれが真実なのか。

こういうのが歴史の面白いところでしょう。

   

 

2022年8月 7日 (日)

「女性自身」の記事が、Yahoo!ニュースで報じられました

     

今日は令和4年8月7日。

   

今日は早朝から富士山の樹海に出向き、

しっかり歩いてきました。

   

ヘトヘトになって帰宅すると

青山透子さんからの号外メルマガが届いていました。

中身を見て驚きました。

昨日の記事で紹介した「女性自身」の記事が

Yahoo!ニュースで紹介されたのです。

そしてそのニュースを見たと、

2人の方からコメントが届きました。

   

そのニュースは、今のところここで見ることができます。

前後編に分かれます。

https://news.yahoo.co.jp/articles/4103b14c1a32ae587f5eb52896c6a1db93a07963

https://news.yahoo.co.jp/articles/ddb71b5c543fba3d09c8c13b9fe8e3b5801b1a44

 

「女性自身」の記事の文章がそのまま載っています。

図や写真が一部省略されているだけです。

 

これはすごいことです。

吉備素子さんの裁判のこと、

そして青山透子さんの事故に関する仮説が、

Yahoo!ニュースとなり、多くの人の目に触れたのです。

次はどのマスメディアが、日航123便墜落事故のことを扱うだろうか。

週刊誌、新聞、テレビ局、期待します。

2022年8月 6日 (土)

週刊誌「女性自身」 日航123便墜落事故についての記事を読む

     

今日は令和4年8月6日。

     

昨晩は、1時間ほど時間をかけて記事を書いたのですが、

「公開する」のボタンを押したら、

なぜか記事が消えてしまいました。

ショックでした。

ちょっと立ち直ることができずに、

夏休みは毎日投稿を目指していましたが、

挫折しました。

  

気持ちを新たに、別のネタで記事を書くことにします。

 

日航123便が墜落してから37年が経つ8月12日が目前の

8月3日に、青山透子さんからのメッセージが届きました。

女性週刊誌「女性自身」に、墜落事故遺族の吉備素子さんの

特集記事が載ったという連絡でした。

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さっそく本屋に出向きました。

最初表紙を見たときには、吉備さんの記事のことはなかったので、

あれ?「女性自身」ではなかったかなと思い、

開いて目次を見たら、記事があったので購入しました。

この記事の掲載について、青山さんは次のように書いています。

  

この企画は私の読者の記者が、昨年の裁判からずっと温めてきた企
 
画です。紙面に無事掲載されるまで、日本航空の嫌がらせを受けな
 
いように注意しながらやっと実現をしました。皆さんへの報告が遅
 
れたのは、昨日無事に出版できたからです。それほどまで、私たち
 
は気を付けながらやっております。
 
なお、企画した「女性自身」や吉備さんを特集した「シリーズ人間」
 
を書いた鈴木記者へ是非、応援のメッセージを送ってください。皆
 
さんが送ってくだされば、かなりの数になります。週刊誌も記者も、
 
もし、いくら妨害を受けてもこれだけ応援してくれていると思えば
 
大変心強く、日航123便の次の仕事に取り掛かれます。吉備さんの
 
記事の写真もインパクトがあり、とても良い内容です。
  
  
青山透子さんたちが、慎重に事を進めていることがわかります。
 
そして応援することで、週刊誌や記者が、
 
次の仕事に取り掛かれるとかいてあります。
 
応援しなくては。
 
  
記事の内容がどこまで踏み込んでいるのか気になりました。
  
十分に踏み込んでいました。
  
青山透子さんの仮説が紹介されていました。
  
  
日航123便が墜落した原因は、自衛隊模擬ミサイルか
  
朱色の標的機が垂直尾翼に衝突したこと。
  
墜落現場の位置がわかっていたのに、救援開始が遅れたのは、
  
証拠隠滅の時間をかせぐため。
  
  
日航123便が墜落したのは、圧力隔壁の損壊が理由ではないことが、
  
記されていました。
  
  
  
私は、社会科通信で、この日航123便の墜落のことを書きました。
  
その通信で「事故原因については実ははっきりしていません。」
  
と書きました。
  
授業では、青山透子さんの説を紹介しました。
 
中学生は驚いていました。
  
関心を持ってくれたでしょうか。
  
担当している4学級のうち、2学級で話をしました。
  
2学期早々、もう2学級で話をする予定です。
  
こういうことも社会科教師の役割だと思うのです。  
  
  
  
  
今回の「女性自身」の7Pに及ぶ記事の影響はどのくらいでしょうか。
  
このままではいかんと思った記者が動いて、
  
掲載された記事だと思います。
  
うねりになってくれたらと思います。 
   
  
  
吉備さんや青山さんが中心になって2021年3月に始まった裁判。
  
日航に対してボイスレコーダーとフライトレコーダーの
  
生データ開示を求めたものです。
  
判決は延期されて9月以降だそうです。
  
その判決が今は気になります。
  
  
  
また8月12日になったら、日航123便のことを書きます。


  

2022年8月 4日 (木)

「遺留捜査7」第4話/今日の名言は?

     

今日は令和4年8月4日。

  

今晩はドラマ「遺留捜査 season7」第4話を見ました。

毎回ドラマの中で、主人公の糸村刑事が、

科捜研の村木研究員に鑑定をお願いする時に、

名言を言って、「と、誰かが言っていました」

と言って、村木研究員を煙にまくのがお決まりです。

  

今日のその場面です。

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今日はこんな感じでした。

  

かけた情けは水に流せ、受けた恩は石に刻め

と、誰かが言っていました。

  

なかなかいい名言だと思いました。

「誰か」とは誰のことが気になりました。

調べてみました。

どうも誰かを特定することはできない言葉のようです。

スーパーボランティアで有名な尾畠春夫さんも

この言葉を大事にしていたようです。

※参考:尾畠春夫さんの「かけた情けは水に流せ、受けた恩は石に刻め」

   

今晩は、この言葉を頭に浮かべながら寝ようと思います。

明日は勤務がお休みですが、

いろいろな人に出会う予定が入って、

なかなか忙しい日になりそうです。

2022年8月 3日 (水)

「ゴールデンカムイ 第6巻」札幌のビール工場を作った村橋久成

     

今日は令和4年8月3日。

   

このマンガを読みました。

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amazon

「ゴールデンカムイ 第6巻」

(野田サトル作/ヤングジャパンコミックス)

   

今回の北海道雑学情報は、札幌ビールです。

・明治9年 開拓使によって札幌にビール醸造所が誕生する。

・明治後期のビールの値段は大瓶で19銭。

 ちなみにカレーは6銭。あんパンが1銭の時代。

・札幌のビール工場を作った村橋久成(むらはしひさなり)は、

 函館戦争で土方歳三と戦った新政府軍の軍監だった。

(第52話より)

   

村橋久成について気になったので検索してみました。

村橋久成さんを主人公に、大河ドラマを制作してほしいという

動きがあったようです。

行政書士ふじい事務所 村橋久成をNHK大河ドラマに(2016年)

どのような人生だったのか。☝ このサイトを参考に簡単にまとめます。

薩摩藩の出身です。留学生として英国に行っています。

戊辰戦争に参戦。上記のように函館戦争で土方歳三と戦います。

維新後は開拓使に勤務。ビール醸造所を設立。現在のサッポロビール。

この後、村橋久成は特異な行動をします。

明治14年5月に突然開拓使を辞職。

家族も捨てて行脚放浪の旅に出ます。

消息不明です。

そしてどうなったか。

Wikipediaから引用します。

 

長年消息不明となった後、明治25年9月25日、神戸市葺合村六

軒道の路上で、所持品もなく、木綿シャツ1枚とほとんど裸の状態で

倒れているところを警邏中の巡査に発見される。名前を尋ねられ、

一旦「鹿児島県大隅国日当山33番地、川畑栄蔵」と偽名を名乗った後、

再度問われ、「鹿児島塩屋村、村橋久成。妻はしゅう、長男は定太郎。

村橋周右衛門、新納主税という親戚がいる」と名乗り倒れる。

施療院に運び込まれたものの、9月28日死去。享年50。

死因は肺結核および心臓弁膜病

  

11年以上放浪して、路上で倒れているところを発見されて

そのまま亡くなってしまう。

こんな人生もあるんだ。

  

本で読みたくなりました。

何冊か出版されていましたが、

図書館にある本はありませんでした。

その中の1冊をアマゾンで注文しました。

夏休み中には読むことができるでしょう。

2022年8月 2日 (火)

「ALSを生きる」を読みました

   

今日は令和4年8月2日。

  

この本を読みました。

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amazon

「ALSを生きる」(谷川彰英著/東京書籍)

  

10万人に1~2人が発症する確率があるALS。

恐ろしい病気です。

ガンにもなりたくないけど、ALSにもなりたくないです。

そのALSになった谷川彰英さんの記録です。

闘病記ではないかな。

ALSをどう受け止めたかが書いてある本といえます。

率直に書かれていて、読みやすい本でした。

   

救急科から神経内科に移って最終的にいただいた病名はALS(筋

委縮性側索硬化症)という難病です。先生から説明を受けてショッ

クというよりも、妻も私も妙に「納得」してしまいました。これま

でどの病院に行ってもわからなかった病名がわかったことにむしろ

ホッとしたのです。(中略)

これが私の運命だったのでしょう。運命には逆らえません。70年

余りひたすら突っ走ってきた人生でした。やりすぎたのでしょう。

特に筑波大学の管理職、理事・副学長を務めていた時間は、土日・

休日はほとんど地名の取材・執筆に充てていたので、ゆっくり休ん

だ記憶がありません。考えてみれば、自業自得です。

ALSはあと何か月でどうこうという病気ではありません。進行を

遅らせることはできるのです。だとすれば、私に残された道はただ

一つ。「それでも生きる!」ということです。実際は大変なことな

ので、簡単に言えることかどうかわかりませんが、そう言うしかな

いのです。

(49~50p)

 

「納得してしまいました」「これが私の運命なのでしょう」

「やりすぎたのでしょう」「自業自得です」「それでも生きる!」

何と達観した方なのでしょう。

私ならジタバタすると思います。

  

このような宣告を受けると、精神的にショックのあまり気が滅入っ

た辛い毎日が続くのが普通であろう。確かに私は人工呼吸器を取り

付けられ、身動きできない事態に陥った。地名の取材に行くことな

ど夢のまた夢となってしまった。その意味では私の「夢」は閉ざさ

れたのである。

しかし、今の私はその「夢」を乗り越えて「新たな夢」に向かって

生きようとしている。それは私の天邪鬼的な性格によるものかもし

れない。ALSが「そう」言うなら、私は「こう」生きてやろうと

言ってみたくなるーーー一種の抵抗精神である。

(5p)

  

自分の状況を受け入れて、そこでベストを尽くそうとする

天邪鬼的な性格は素晴らしいと思います。

ここは大いに学ぶところです。

退職してハーフ勤務になったのなら、

現職中にはできなかったことをやって、

どんな結果になるか挑戦したいという気持ちがあります。

退職したら、こんな教育ができるんだぞと

現職の先生の参考になりたいとも思っています。

町内会長に選ばれたからには、

この町内で良かれと思うことを、

労を惜しまずやっておきたいという気持ちがあります。

いやいややるのではなく、楽しそうに取り組みたいです。

幸いにも、町内会長の仕事は、自分向きの仕事だと

最近は思っています。

これが私のこの1年の2本柱。

  

難病にみまわれたのにもかかわらず、

次の夢を見出して、このような本を書いてしまう

谷川彰英さんの行動は励みになります。

  

「運命」は「運命」として受けとめるしかない・・・。その与えら

れた運命の範囲内で生きていくしかない・・・私にはその思いしか

なかった。もう73歳で人生の大半を消化しているからいいじゃな

いか、という思いもあった。自分が死んでも、幸いなことに自分の

書いた本は残る。それでいいじゃないか、と。

(94p)

   

私には、谷川さんの「本」にあたるものがないと思っています。

私はまだ、それでいいじゃないかと言えるものがないです。

それを作るためには、まだ時間がいるのです。

だからまだ死にたくないです。

ガンになりたくないのです。

  

久保田食品のあずきアイス

    

今日は令和4年8月2日。

  

7月31日にyayoiさんからコメントをもらいました。

  

小豆好きなら、久保田食品のあずきアイスがお勧めです。

スーパーアツミに売っています。食べてみてください。

  

スーパーアツミは、近くにあったので、

今日、さっそく買いに行きました。

  

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2種類ありました。

両方とも食べてみました。

 

小豆がこぼれてしまいそうなくらいに、

小豆たっぷりのアイスでした。

おいしかったです。

  

気になるな久保田食品。

久保田食品HP

高知県南国市が所在地です。

昭和34年創業なので、私より2歳年長。

HPから引用。

  

私たち久保田食品は大手アイスクリームメーカー主導の業界の中、

独自のコンセプトでアイスクリーム、 中華まんじゅうの製造販売

を行っている四国高知のローカルメーカーです。70種類以上の市

販用アイスクリーム、 100種類以上の業務用アイスクリームのほ

か、冷凍中華まんじゅう・ホットケーキを製造し、スーパーマー

ケット、 コンビニエンスストアなどの量販店、ホテル、飲食店等

へ卸販売しています。

  

高知県のアイスを近所のスーパーで買うことができました。

贈り物で送ることができるみたいです。

いいな、アイスを送るのも。

冷凍庫を開けといてもらわないといかんけど。

 

2022年8月 1日 (月)

今日から8月/「スネークダンス」② 彫刻「アポロとダフネ」

    

今日は令和4年8月1日。

  

今日から8月。

生活のBGMは小田和正のアルバム。

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amazon

このアルバムに入っている9曲を8月は聴き込みます。

いい1カ月にしたいです。毎日ブログは続けたいな。 

  

昨日の記事の続きで、

「スネークダンス」(佐藤まどか著/小学館)より。

  

イタリアで生まれて、イタリアで育った主人公の圭人。

日本に移り住んできました。

東京下町でのこと。

  

たまにがっかりすることもある。二年前の夏休みに遊びに来たとき

にはたしかにあったはずの店が、ビルごとなくなっているのを見て、

圭人はさびしくなった。店員さんにとても親切にしてもらったから、

もう一度訪ねようと思っていたのだが。

そういうことは、ローマではまずない。何代も続いてきた店が、い

まだに同じ場所で、常連客の孫やひ孫を迎えてくれる。店主がいな

くなっても、子や孫や甥(おい)、姪(めい)などがあとをついで

いることが多いのだ。

新しいビルや店を見ていると、つい、ローマの古い町並みがなつか

しくなってしまう。

(51p)

  

石造りの建物が多いローマは、外見だけでなく、

中身の営みも受け継がれていくのでしょうか。

それは魅力的なことです。

久々に訪れても、つながりのある人がいるんだから、

思い出話ができるんだよなあ。

  

東京に来た圭人が、ローマを思い出すシーンをもう一つ。

 

とくに気に入っていたのは、緑豊かな公園の中にあるボルゲーゼ美

術館だ。三脚とフラッシュを使わなければ、写真を撮るのも模写す

るのも自由だし、すぐそばまでよって見ることができる。

ボルゲーゼ美術館でとくに好きだったのは、ベルニーニの有名な彫

刻「アポロとダフネ」だ。これ見たさに再来館する人も多いらしい

が、圭人もそのひとりだった。

太陽神アポロが、自分のものにしたいダフネをつかまえた瞬間、美

しいダフネが月桂樹の木へと姿を変えていく。ダフネの指は枝や葉

に変化していき、足元から根が生えて、体は木の皮におおわれてし

まう。ベルニーニはその変化の瞬間をとらえていて、見る人の息を

とめてしまう。

「プロセルピナの略奪」にしても、ナヴォ―ナ広場の噴水「四大河」

にしても、ベルニーニの彫刻は、まるで生きたまま被写体を石化さ

せてしまったようで、さわったら呪いがとけて動き出しそうだった。

(69~70p)  

  

こんな文章を読んだら、彫刻「アポロとダフネ」を

見ないわけにはいきません。

でもその前に、アポロとダフネとキューピットが出てくる

この話を読んでみてください。

ギリシャ神話 アポロとダフネ

☝ ここからの引用です。

  

ある日、アポロンはエロス(キューピッド)が弓矢で遊んでいるの

を見て、子供がそんなものをおもちゃにしてはいけない、とからか

った。エロス(キューピッド)は、怒って、金の矢をアポロンに向

かって放った。そして、鉛の矢を川の神の娘、ダフネに射た。

金の矢は恋に陥る矢である。鉛の矢は恋を拒む矢である。

二本の矢が、二人の胸にささった瞬間から、アポロンはダフネを恋

し、ダフネはアポロンを拒否した。アポロンはダフネを追いかけた。

ダフネはどこまでも逃げた。

ダフネは父親の川の神のところへ駆け込み、言った。

「助けてください、お父様、私の姿を変えてください。」

彼女の姿が変化してきた。足元から月桂樹の木になっていった。

アポロンが追いついたとき、ダフネは最後の心臓の鼓動を鳴らせて

いた。

アポロンは、ダフネへの愛の記念に、ダフネの月桂樹の葉で冠を作

り、生涯それを頭にかぶっていた。

  

人間の恋愛も、キューピットの矢の仕業なんでしょうかね。

この話を読んで、いよいよ彫刻「アポロとダフネ」を見ましょう。

私は、今晩はこれをじっくり見て、小田和正の曲を聴いて寝ます。

それじゃあ、写真を載せます。

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