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2022年4月

2022年4月12日 (火)

今日から生活のBGMはジャクソン・ブラウン/佐々木朗希投手のボールの握り方

      

今日は令和4年4月12日。

   

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「DOWNHILL FROM EVERYWHERE」

 (ジャクソン・ブラウン)

   

今晩、このCDが届きました。

さっそく聴きました。

やっぱり心地がいいなあ、ジャクソン・ブラウン。

気になった曲は、以前のように歌詞を調べることにしよう。

ここでも道草 ジャクソンブラウン「Walls and Doors」の歌詞を調べた(2017年10月28日投稿)

  

  

  

4月10日放映の「S-PARK」というスポーツニュースの番組で、

その日完全試合を達成した佐々木朗希投手のストレートの握り方に

注目していました。

佐々木朗希投手は、中指と人差し指は離さず投げています。

これは珍しいと言っていました。多くの投手は離して投げています。

離さずに投げると、

コントロールがつけにくいし、シュート回転してしまうそうです。

  

解説の藤川球児さんが次のように言ってました。

藤川さんも同じ握りだったそうです。

その方がボールに力が入り、

ストレートにスピンがかかって浮き上がるのだそうです。

(逆に低めのコントロールは難しい)

浮き上がるストレートで、次々に三振をとっていた

藤川投手を思い出します。

シュート回転してしまうのは、体重が増えることで解消されるそうです。

藤川さんがそうだったそうです。

藤川さんも日本一三振を取るピッチャーでした。

佐々木朗希投手は、その藤川さんを上回っていると言っていました。 

   

納得した話だったので、ここに書き残しておきます。 

  

「プロフェッショナル 仕事の流儀 編集長 山岡朝子」

      

今日は令和4年4月12日。

         

1月4日放映の「プロフェッショナル 仕事の流儀 

思い込みを捨てて ”思い”を拾う 編集長 山岡朝子」を見ました。

   

「ハルメク」という雑誌の編集長です。

書店では売っていなくて、定期購読の雑誌で、38万部。

女性誌としては№1の雑誌だそうです。

シニア世代の女性をターゲットにした雑誌ですが、

低迷が続いていたので、

山岡さんがヘッドハンティングされて、編集長に。

読者層が増えたそうです。

  

この番組で勉強になったのは、「思い込みを捨てる」こと。

固定観念が激しすぎないこと。

山岡さんは月に3000通届く読書アンケートを読んで

参考にしているという。

私も今回、中学校で社会科の授業をします。

木曜日が最初です。

良かれと思ったやり方でやっていくけど、

生徒の感想・意見を大事にしていこうと考えています。

社会科の授業以外での付き合いは、今回は極度に少ないので、

授業中に感想・意見を書いてもらうことを大事にしたいです。

「思い込みを捨てる」授業をしていきたい。

    

「常に自己最高を」

立ち読みで買う本ではなくて、定期購読の本なので、

「すごい」「感動した」と言われるほどの本を作ろうとしていました。

再雇用ですが、社会科しか教えない身なので、

自己最高の社会科の授業はしたいと思っています。

この気持ちは忘れない。

   

読者が増えないといういけないというプレッシャー。

そのプレシャーによって、新しいことができなくなる恐れ。

それは避けたいと言っていました。

そのプレッシャーは編集長が引き受けると言っていました。

私の社会科も、この1年で新しいことを増やしていきたいです。

  

プロフェッショナルとは?

という質問に対して、次のように答えていました。

「たとえうまくいかない時でも、

新しいやり方とか新しい考え方を探して、

とにかく前に進む人 それを笑顔でできる人」

再雇用でも、変化できる社会科教師でありたい。

  

  

山岡朝子さんは、放映時47歳でした。

2022年4月11日 (月)

日めくりより/「大統領」は大工の棟梁のこと?

     

今日は令和4年4月11日。

      

生活のBGMとしてケツメイシのアルバム「ケツノポリス12」を

2カ月聴いてきました。

退職までの月日の思い出が、曲に込められました。

新しい生活が始まったので、生活のBGMも変えたいと思いました。

調べていたら、

昨年、ジャクソン・ブラウンがアルバムを出していました。

アマゾンで注文してしまいました。衝動買い。

明日には届きます。

またしっかり聴きこもう。

   

  

閑話休題。

  

このブログで紹介してきた日めくり「雑学王」(TRY-X)

捨ててしまうには惜しいネタがたくさんたまっています。

読み直していて、今日はこの1枚を紹介したいです。

昨年度末、江戸時代にはまっていたなごりで、

江戸時代の話には敏感です。

  

「大統領」は大工の棟梁のこと?

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皆さん、知ってましたか。

「プレジデント」を「大統領」と訳した時には、

こんないきさつがあったことを。

英語の先生、知っているかな。

   

ただ「棟梁」の字を「統領」に置き換えて「大」をつけたと

考えていない人もおられました。

一読に値します。

「大統領」という訳語の由来

 

「大統領」という訳語が定着するのは、明治時代の半ばだったそうです。

今はすっかり馴染んでいますが、何で「大統領」なのだろうと

疑問に思わないといかんかった。

2022年4月10日 (日)

新年度総会があって、佐々木朗希投手が完全試合をした日

     

今日は令和4年4月10日。

   

朝から頭の中は「中学校教師」ではなくて

すっかり「町内会長」でした。

今晩は、新年度総会があったからです。

  

朝から勉強をしていました。

今まで蓄積した町内関係の資料に再び目を通しました。

大事なところはノートに書きだし、

それを読み返すことで記憶に残すようにしました。

 

町内会長のあいさつを考えました。

町内会長が説明する内容について、

どうやって話をするか赤字を入れました。

不明なところがあったので、

隣町のの町内会長に電話して聞きました。

  

そんなことをしていたら、

はや午後3時を過ぎていました。

よく集中していました。

ところがここで「町内会長」の頭を

吹き飛ばす出来事が起こりました。

ロッテの佐々木朗希投手です。

   

ネットニュースで知りました。

オリックス相手に、13連続三振!

日本新記録。

それまでの日本記録は9連続三振なのに

いっきに13まで伸ばしてしまいました。

すごいなあと思って、再び町内会の仕事。

  

息子がネットニュースを見ていて、

「あと3人で完全試合」と教えてくれました。

ここで「町内会長」は頭から吹き飛びました。

テレビをつけました。

ロッテ対オリックス戦の中継はやっていませんでした。

日本ハム対楽天戦をやっていました。

何か情報が入らないかと、テレビはこのままにしました。

息子が「あと一人で完全」と教えてくれました。

そしてすぐ・・・最後の打者は三振。

完全試合達成。

槇原投手以来28年ぶり。

19奪三振は日本タイ記録。

テレビ画面に速報が出ました。

「佐々木朗希投手、完全試合達成」

   

   

晩の6時から新年度総会が始まりました。

町内会長の最初のあいさつは、

最初に考えていた内容を差し置いてこんな話をしました。

「将来、佐々木朗希投手の完全試合の話題になった時に、

あの日は新年度総会をやっていたなあと思い出すことでしょう」と。

  

20歳で完全試合。

まだまだ佐々木朗希投手は、完全試合をやってしまうのではないか。

これは最初であって、これで終わりではないのではないか。

そう思ってしまいました。

   

新年度総会は無事乗り切りました。

佐々木朗希投手の19奪三振完全試合。

思い出深い日になりました。

  

  

スポーツニュースを録画しまくっています。

今晩のニュースを録画するのが価値があるのです。

 

2022年4月 9日 (土)

通算8100本目の記事/2022年「山が笑った日」

     

今日は令和4年4月9日。

   

通算8100本目の記事です。

  

今日は珍しく奥さんに言われて

「山が笑った日」を認定しました。

ドライブしていて「山が色づいてきた」と言われて、

「そうか」と思って見たら、まあそうだなと納得しました。

昨年です。

ここでも道草 2021年「山が笑った日」(2021年4月7日投稿)

  

今までの記録一覧です。

  

平成17年 4月21日

平成18年 4月21日

平成19年 特定できず

平成20年 4月19日

平成21年 4月10日

平成22年 4月14日

平成23年 4月18日

平成24年 4月16日

平成25年 4月 8日

平成26年 4月10日

平成27年 4月11日

平成28年 4月 8日

平成29年 4月18日 

平成30年 4月 8日

平成31年 4月26日

令和 2年 4月 7日

令和 3年 4月 6日

令和 4年  4月  9日

  

きっと雨が降った翌日に、

もっと「山が笑った」と心底感じる日が来ると思うけど、

今年は奥さんの言葉に従います。

誕生日に読み切った「彼の名はウォルター」

     

今日は令和4年4月9日。

   

61歳の誕生日。

昼食は天丼が美味しいお店に奥さんと食べに行きました。

墓参りにも行きました。

退職して時間ができたので、

片道30分の墓参りも、もう少し行くことができるでしょう。

晩は1冊本を読破しました。

61歳最初の記念になる本でした。

   

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「彼の名はウォルター」(エミリー・ロッダ著/さくまゆみこ訳

/あすなろ書房)

  

本によっては、読みだしてみてわけがわからなくて、

読むのを止めようと思ってしまう本があります。

結局、読むのを止めてしまった本もあるのですが、

この本は、止めずに読み切ってよかったと思います。

この本を読みだした人は、よくわからないおとぎ話がでてきても、

食いしばって読みつづけましょう。

どれくらいだったか、面白くなってきます。

今日中に読むつもりはなかったのに、

途中から

「今晩で読みきろう。これを61歳になった記念の本にしよう」と

思って読み切りました。

  

少しネタばらしをすると、第一次世界大戦時の

インフルエンザの大流行にも触れます。

知っていることとつながるのはうれしい。

  

この本は、新聞の書評で知った本です。

新聞を読んだことで知った本であることでも、

価値があります。

新聞から行動に移って、いい出合いがありました。

   

新聞の書評を読んでいない人でも、

私の記事を読んで興味をもった人は、

読んでみてください。

児童書のジャンルに入る本ですが、

最初の面白くないおとぎ話を乗り切って読み続ける児童生徒は

どれくらいいるのだろう。

ぜひ乗り切って、この本の良さを味わってほしい。

 

最後の1行は「彼の名はウォルター」で終わります。

この1行が感動を誘います。  

  

勤務校の中学生にも教えたい。

2022年4月 8日 (金)

和田秀樹さんのアドバイス/友達がいない子はどうすればよいか

     

今日は令和4年4月8日。

   

サークルで勉強しています。

サークルで出合った文章をここに書き残しておきます。

J先生のレポートからの引用です。

  

友達のいない子はどうすればよいか

小学校でも中学校でも、学級の中に友達がいないのは親として気に

なります。担任をしていても、日々気になるものです。

友達のいない子をどうすればよいかは、学習指導よりもずっと難し

い課題です。

とはいえ、放置しておくわけにはいきません。しばし様子をみると

いった曖昧な対応では、決して事態は改善しません。具体的には、

どうすればよいのでしょう。

精神科医の和田秀樹さんは、友達を作ろうとあせるより、「自分磨

き」に集中することを主張しています。友達を作ろうと、周りに合

わせて嫌われないようにするよりも、自分の得意なこと、自分にで

きること、自分が楽しいと思うことを徹底的にやってみることが大

切だといいます。

要は、自分に自信をつけることになるわけですが、その過程で自分

を理解してくれる友達が必ず現れるといいます。

考えてみれば、自分のやりたいことに熱中している子は、やはり光

るものがあります。誰かが何かを感じることは十分納得できます。

和田秀樹氏は、子ども時代に人間を最も成長させるのは「成功体験」

だといいます。自分の得意なことや自分が楽しいと思うことを徹底

的にやってみて成功体験を得られるならば、自信がつきひょっとし

たら友達もできるというわけです。自分磨きに集中することは、な

かなかよい解決策です。(後略) 

   

なるほどと思って読みました。

これは子供時代だけではないと思うのです。

生涯にわたって言えることだと思います。

「自分磨き」は怠ってはいけないし、

「自分磨き」をしている人を見て感心する人は必ずいるし、

感心から関心に移行していく可能性は高いと思います。

   

中学校教師としては、社会科の教え方を磨こうと思います。

町内会長としては、未知の世界でも立ち向かっていこうと思います。

4月に入ってからほぼ毎日町内会長の仕事をしています。

(昨日はなかった!)

4月10日の晩は、新年度総会があります。

土日は総会に向けて勉強をします。

いろいろな人たちと関係がもてることが楽しみな1年です。

   

  

和田秀樹さんはいいことを言います。

昔からのファンです。

図書館で1冊予約しました。

「新ドキュメント 太平洋戦争1941第1回開戦~前編~」④

         

今日は令和4年4月8日。

   

前日の記事の続きで、

昨年12月8日放映の「NHKスペシャル  新ドキュメント 

太平洋戦争 1941 第1回 開戦 ~前編~」の聞き書きをします。

これが最終回となるはずです。

頑張ろう。

   

ナレーター:人々に湧きあがる「お国のため」にという愛国心。し

  かし、一部に、違和感を抱いていた人もいる。学校の先生をし

  ていた森下二郎さん。日本の同盟国、ドイツについて、こう綴

  っている。

日記「悪がはびこっている。世界はドイツの戦勝に眩惑されて、そ

  の行動を肯定し、賛美する。悼むべし、哀しむべし。」

ナレーター:日中戦争を祝う式典に出た日

日記「この4年の戦果、中国の死傷者三百八十万、日本の死傷者十

  万と報じられた。これが祝うべきことであるというのか。これ

  が喜ぶべきことであるというのか。」

ナレーター:戦争に反対する気持ちを押し殺し、表向きは、戦争を

  賛美する教育に手を染めざるを得なかった森下さん。本音をつ

  ぶやく場は、日記にしかなかった。

  日中戦争の膨大な犠牲は、特に地方で覆い隠せなくなっていた。

  岐阜の農家、野原武雄さん。高まる米の需要にこたえようと、

  農作業が続き、妻を過労で亡くしていた。

日記「本日は共同植え付け作業第四日目で、体の具合も大分疲れて

  くる。ついに父も倒れて仕事も出来ず、床につくようになりた

  り。」

ナレーター:7月の日記には、この頃、村で立て続けに起きていた

  ことが記されていた。

日記「本日またもや我が村に五名の〇〇あり。二回目の〇〇故、ひ

  としおお気の毒の至りにたまらぬ次第なり。」

ナレーター:伏せ字は「召集」と思われる。兵士の動員に関する言

  葉は、機密に関わるとして、軍から咎められる恐れがあった。

  農家の次男三男が続々と召集され、戦地へと送られていった。

  実は野原さんの息子二人も徴兵され、中国の戦場へ。ひとりは

  瀕死の重傷を負った。農村部が日本の戦争をさまざまな形で支

  えていた。

  4年目を迎えた日中戦争では、100万人以上が動員、戦死者

  の数は18万人以上にのぼっていた。

  10月。開戦の2カ月前。日米は対立を深めながらも、ぎりぎ

  りの外交努力を続けていた。

  アメリカが、日米交渉の条件として求めたのは、中国からの日

  本軍即時撤兵。しかし、その要求は陸軍にとって、受け入れが

  たいものだった。これは、東条が、日中戦争の戦死者の遺族を

  訪ねた時のものだ。日中戦争での戦死者18万人以上。東条た

  ち陸軍首脳は、撤兵はその犠牲を無にするものとして受け止め

  ていた。ではアメリカとの戦争を選ぶのか。東条は悲愴な面持

  ちでもらしたと言う。

メモ「支那事変にて数万の命を失い、みすみす撤退するのはなんと

  も忍びがたい。ただし日米戦となればさらに数万の人員を失う

  ことを思えば、撤兵も考えねばならないが、決めかねている。」

ナレーター:6日後、東条は決断を首相に伝えた。

議事録「撤兵問題は心臓だ。米国の主張にそのまま服したら支那事

  変の成果を壊滅するものだ。数十万人の戦死者。これに数倍す

  る遺族。数十万の負傷者。数百万の軍隊と一億国民が戦場や内

  地で苦しんでいる。」

ナレーター:泥沼の日中戦争がもたらした戦死者、耐え忍ぶ人々。

  指導者たちは、その膨大な犠牲に判断を縛られていた。

  10月18日、内閣総理大臣になったのが、東条英機。このと

  き、天皇は日米交渉の継続をのぞんでいた。東条内閣発足の際、

  側近に打ち明けた言葉がある。

日記「いわゆる虎穴に入らずんば虎児を得ずということだね。」

ナレーター:アメリカに強く出るべきとする陸軍強硬派を陸軍の東

  条に抑えさせ、それにより戦争を避ける道を探ろうとしていた

  のだ。しかし、国民は、軍人出身の首相の誕生に、異なる期待

  をいだいた。

日記「いまや死中に活を求めるほかはないのである。」

日記「いよいよ臨戦色濃厚な方向へ進む」

日記「前内閣に類を見ない思いきったことを断行できるのではある

  まいか」

ナレーター:アメリカから、再び中国からの撤兵を求められた日本。

  指導者たちは、開戦を決定する。

  ーーー真珠湾攻撃の映像ーーーー

  多くの人たちが、新たな戦争は自らの鬱屈を晴らしてくれると

  信じた。

  米の配給事業にたずさわるようになっていた井上重太郎さん。

日記「宣戦の詔書が放送された。自分はそれを聞いて涙が出た。誰

  が感泣(かんきゅう)せずにいられようか。」

ナレーター:息子二人を徴兵され、重労働にあえいでいた米農家の

  野原武雄さん。

日記「大戦果を得たり。まったく我が海軍の強さに驚くほかない。

  大東亜戦の開戦、ここに始まる。」

ナレーター:わずかだが、暗い予感を日記に記した人もいた。長野

  県の教師、森下二郎さん。

日記「国民は大よろこびで、うかれている。しかしこれくらいの事

  で米・英もまいってしまうこともないから、この戦争状態はい

  つまで続くかわからない。あてのつかない戦争である。」

ナレーター:金原まさ子さん。娘が、1歳10カ月になったばかり

  の日だった。

日記「血わき肉躍る思いに胸がいっぱいになる。この感激!一生忘

  れ得ぬだろう。今日この日!爆弾など、当たらないという気で

  一杯だ。」

ナレーター:開戦の一体感に身をゆだねた日本人。しかし、その先

  に見たものは、命も国土も焼き尽くしていく戦争の正体だった。

日記(金原)「皆 意気盛る 住代 元気!元気でね 大変なのよ、

  大変なのよ」

  

  

以上、4日かけて49分間番組の聞き書きが完了しました。

やり遂げた気持ちです。

開戦までのいろいろな人たちの心の動きがわかりました。

  

この番組と同じ昨年12月8日に放映された「新ドキュメント 

太平洋戦争1941 第1回開戦~後編~」「英雄たちの選択

昭和の選択スペシャル 1941 日本はなぜ開戦したのか」

最近立て続けに見ました。

アメリカやイギリスとの開戦を避けようと思っていた指導者は、

結局は追い込まれて開戦を選択したこと。

最初は国土を守ることが戦争の目的だったのに、勝利によって

大東亜共栄圏建設が戦争目的になってしまったために、

戦争を終えるタイミングを逸してしまったこと。

開戦に酔った人々もいたが、冷静に情勢を見ていた人もいたこと。

そんなことを勉強しました。

特に永井荷風の残した日記に興味をもちました。

世間の風潮に惑わせられず、将来を予測した日記を書いていました。    

2022年4月 7日 (木)

「図工人」を利用/桜のリースを作った

    

今日は令和4年4月7日。

   

今日は新しい勤務校である中学校の入学式・始業式でした。

午前9時半頃に、ドドドーンと地震があってビックリ。

学活の最中だった生徒たちは、一斉に机の下に身を隠しました。

  

今日のために、私が任されたのは掲示でした。

新1年生を迎える掲示です。

  

すぐに思い浮かんだのは「図工人」です。

小学校勤務の時によく利用したサイトです。

  

頼まれてすぐに「図工人」を調べました。

そしたらタイムリーなものがアップされた直後でした。

図工人 桜のリース

1

よし、これを作ろう!

いくつ桜を作ろうか。

キリのいい100個作ろう!

 

そう決めて作り出しましたが、

100個はなかなかきつかったです。

時間と体力が必要でした。

ボンドもたっぷり使いました。

100個作ったつもりが、

いつの間にか勘定を間違えていて、

99個でした。まあいいか。

完成させました。

8個のリースが出来上がりました。

  

掲示板2つを、桜のリースで飾ることができました。

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う~ん、写真だとイマイチだ。

でも実物はなかなかいいですよ。

私の新しい学校での初仕事となりました。

蛍光灯の耐用年数は約4年4か月でした

    

今日は令和4年4月7日。

  

自宅の階段上にある蛍光灯が寿命になりました。

パカパカと点滅していたと思ったら、

消えてしまいました。

新しく蛍光灯を買ってきました。

その時の写真です。

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見てわかる通り、下にあるのが寿命が来た蛍光灯。

私は購入した日を書いておく癖があるので、

耐用年数がわかります。

4年4カ月頑張ってくれていたというわけです。

   

今度買い換えた蛍光灯も、おそらく同じくらい持つことでしょう。

その予測が当たったかどうか、また買い換えた時に、

この記事に戻ってみたいです。  

   

4年4か月後。

私はどんな生活をしているでしょう。

楽しみです。

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