ツバメ初見日/「天声人語」詩人竹内浩三さん
今日は令和3年4月28日。
今日はツバメを見た初見日でした。
夕方、学校の帰りに、いつもとは違う道で、
車の前を正面から低く飛んできて、
お腹を見せながら右上に飛び去りました。
ツバメのことをすっかり忘れていましたが、
しっかり思い出させてくれました。
今日はこのことをブログに書こうとすぐに決めました。
連休前の今晩、久々に新聞をじっくり読みました。
いい記事に当然のように出合います。
4月28日朝日新聞朝刊の「天声人語」を引用します。
〈戦死やあわれ 兵隊の死ぬるや あわれ〉。詩人竹内浩三はそん
な作品を残し、23歳で早世する。来月で生誕100年。出身地の
三重県伊勢市では追悼行事が予定されている▼映画監督をめざし、
いまの日大芸術学部で学んだが、召集されて陸軍へ。〈ぼくがいく
さに征(い)ったなら 一体僕は何をするのだろう てがらをたて
るかな〉〈うっかりしていて戦死するかしら〉。入隊の直前、そん
な独白のような詩を書いた▼代表作「骨のうたう」では、前線で命
を落とした自分が遺骨となって帰国する。〈帰っては きましたけ
れど 故国の人のよそよそしさや〉。予言めく一節そのままに詩人
は終戦の年の4月、フィリピンのルソン島で命を落とす。映画を撮
る夢はかなわなかった▼「失恋続きで家庭を持てず、戦後の日本を
見ることなく旅立ちました」と話すのは、めいの庄司乃ぶ代さん(
82)。死語10年を過ぎてから遺族が私家版の詩集『愚の旗』を
出版し、世に知られる存在に▼〈日本よ オレの国よ オレにはお
前が見えない〉。今世紀に入って発見された詩の冒頭である。単純
な愛国青年であるはずもないが、いわゆる反戦詩人の枠にも収まら
ない。「赤紙」の時代を生きた若者の気持ちの揺れをありありと伝
える▼もし彼がSNS全盛のいま世にありせば、と想像した。時代
の風はとらえても、飾らず、背伸びせず、同調圧力にも屈しない。
20代前半ならではの本音を鮮やかにツイートし、きっと盛大にバ
ズっていたことだろう。
また新しい人を知りました。
竹内浩三さん。
戦争に行かざるを得なかった人。
その時の気持ちを綴った人。
うん、竹内さんの詩を読んでみたくなりました。
さっそく図書館で予約。
「天声人語」を読んだだけで終わらないのが大事。
新聞を読むのも、行動のきっかけ。
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