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2020年3月8日

2020年3月 8日 (日)

「人はなぜ・・・許せないのか」⑦ 同調圧力/一人一人に丁寧に/30年かけて成熟

  

今日は令和2年3月8日。

  

前記事に引き続き、

「人は、なぜ他人を許せないのか?」(中野信子著/

岩波新書)より引用していきます。

  

周囲の行動に合わせなければいけない(逆らうと恐ろしいこと

が起きるかもしれない)と感じさせる環境要因のことを「同調

圧力」と言います。いわば、集団のなかで少数意見を持つ人に

対して、多数派の考えに従うよう暗黙のうちに強制してしまう

ことです。

(126p)

  

最近、「同調圧力」という四字熟語をこの本を含めて、

何度か見ました。こういう意味なんだよと確認です。

実際にこのような雰囲気になった時に「同調圧力だ」と

つぶやいてみたい。何か波紋を起こせるかもしれない。

  

  

ある集団にとって、グループ外の人々をあれこれ細かいことを

考えず一元的に処理できるというのは、脳がかける労力という

観点からは、コストパフォーマンスが高い行為です。「あの人

たちはああだから放っておけ」とひと括りにしてしまうことで、

余計な思考や時間のリソースを使わずに簡単に処理することが

できるわけです。本来は、韓国人にもフランス人にも、関東人

にも関西人にも、男性にも女性にも当然、個々にさまざまな違

いがあり、その人の歴史や独自の考えもあるわけで、本来はそ

の一人一人に対して、丁寧に判断していく必要があります。し

かし、このバイアスが働くと、手間をかけずに一刀両断できる

のです。

(134~135p)

  

これは、自分の仕事でも注意するべきことだと思っています。

特別支援学級こそ、一人一人をよく見て、

その子に合った教育をしてみたいと思っています。

この文章を読んで再確認。

  

   

どのような相手に対しても共感的に振る舞い、人間として尊重

し、認めていくという機能はとても高度なもので、前頭葉の

眼窩(がんか)前頭皮質という領域で行われています。

ここは25~30歳くらいにならないと成熟せず、さらに、し

っかり発達させるためには、相応の刺激(教育)も必要になり

ます。また、重要な部分なのに、アルコール摂取や寝不足とい

った理由で簡単に機能が低下してしまいます。しかも、その機

能が得られるまでには人生の3分の1近い長い時間がかかるの

に、衰えてしまうのは早いのです。

(146p)

 

※眼窩=眼球の収まる頭蓋骨のくぼみを指す  

だから老人は頑固であるわけです。気をつけよう。

  

    

う~ん、ここまでにしよう。

「人は、なぜ他人を許せないのか?」からの引用は終了。

この本は買った本なので、読み直したい時には手軽にできます。

  

「人はなぜ・・・許せないのか」⑥ 夫婦を長続きさせる秘訣

  

今日は令和2年3月8日。

  

前記事に引き続き、

「人は、なぜ他人を許せないのか?」(中野信子著/

岩波新書)より引用していきます。

  

  

長い時間をかけて徐々に人を許せなくなる事例もあります。そ

の典型は、いったんは愛し合って結婚したはずの夫婦が、「性

格の不一致」を理由として離婚していくことです。

(中略)

結婚したからには、当初は何らかの惹かれ合うものが存在した

はずですが、脳科学的には、実は惹かれる理由も「互いが不一

致だから」こそなのです。つまり合わないことこそが楽しかっ

たはずなのです。

なのに、結婚するとかえって不一致を憎むようになってしまう

のは、皮肉にも、恋人だった頃より互いの距離感が近くなって

しまうことが、かなり有力な理由と考えられます。

遠くから見ているときは、不一致が尊敬や愛情の対象なのに、

近寄ってみると、急に目を背けたくなるような部分があったこ

とに気が付いてしまうからです。結婚からまもなくして気づく

こともあるでしょうが、数十年後、夫がリタイアして一緒にい

る時間が急に増えたことで、それまでは見過ごしていた不一致

が問題としてどんどん浮上するケースも考えられます。

そもそも人間は、自分自身のことですら理解できず、自分を

100%好きになることも難しいものです。それが他人となれ

ばなおさらです。たとえ夫婦であろうと、適切な距離や愛着の

レベルが存在していて、そこに過不足があると、途端に不一致

が粗(あら)として感じられるようになってしまうのです。

(107~108p)

  

 

夫婦の長続きの秘訣は「適当な距離感」なのですね。

参考にします。

  

話は変って・・・

  

哺乳類のうち、かなりの種が、個体としての脆弱性をカバーす

るために、集団を形成するという方法をとります。特にヒトで

はその傾向が顕著となり、ともすれば、集団主義をとりやすく

なる性質を持っています。

そして、なぜかこうした別々の集団は、互いに対立しやすくな

ります。集団主義とは「自己の所属している集団が集団であり

続けることこそが正義」というもので、ことによってはその他

の倫理観がすべてオプションになってしまうくらい強い優先度

があります。

(中略)

集団の一因であることそのものが、生物としての安全性を高め、

生活の効率を高めるための武器になるため、集団への所属と、

所属した集団の持続そのものが最優先の目的となります。正義

という言葉を使うのであれば、何があろうと所属している集団

が続くこと、そして集団の存続を脅かすものから集団を守るこ

とこそが正義なのであって、それ以外に優先すべきことなどな

いというわけです。

(110~111p)

  

幸いにも私は、日本が戦争の時代に生きていません。

戦時中の日本人は、「日本」いやもっと身近な集団「家族」を

守ることが正義であり、命懸けで守ることだと思ったでしょう。

人間の脳はそういうものなのです。

  

そのような雰囲気に異を唱えることができた人は、

多くの人たち以上に知識を得ていて、

前頭前野を発達させていた人だと思いました。

   

  

  

「人はなぜ・・・許せないのか」⑤ フランスと日本の議論の違い

今日は令和2年3月8日。

  

昨日の記事に引き続いて

 「人は、なぜ他人を許せないのか?」(中野信子著/

岩波新書)より引用していきます。

    

著者の中野信子さんは、フランスで学んでいました。

  

日本に戻ってきて考えるのは、日本で行われている議論のほと

んどが、フランスで私が見てきた議論とは異質のものだという

ことです。

(80p)

 

どう違うか?

  

あるテーマAに対して、Xという主張、Yという主張を持って

いる人がいるとします。

フランスであれば、一方が「Aについて話をしたい。私はXだ

と考える。その理由はかくかくしかじかだが、あなたはどうか

な?」と語り始めたら、もう一方は、「私はあなたと考え方が

違う。私はYだと考える。その意味するところはかくかくしか

じかで・・・」と応じます。そこからお互いが、より議論を掘

り下げていき、この部分はどう考えるか?とか、この部分は賛

成だがこの部分は理由になっていないのではないか?あるいは

この部分まではお互いに共有できる、などといった具合に発展

していきます。人と人が合うたび、大きなテーマが世間の話題

になるたびに毎日こんな調子で、はたから見ていると、みんな

とても楽しそうに意見を交わしていました。

(80p)

  

  

そして日本人の場合は・・・

  

同じように、あるテーマAに対して、Xという主張、Yという

主張を持っている人がいるとすると、だいたいこんな具合に展

開していくのです。

「Aについて、あなたはYだと主張しているが、その考え方は

いかがなものか?」「いやいや、Xなどと言い張っているあな

たこそ失礼千万だ!」「なんだその態度は!生意気な。人の顔

をつぶすのか?」「大した勉強もしていないくせに、何を熱く

なっているの。どちらもみっともないよ」

これもこれで、はたから見ている限りでは面白そうですが、日

本の議論は何だか様式美的で、深堀せずにステートメント(意

見)を争わせ、最終的には本質の探究ではなくて、喧嘩コント

のような戦いになってしまうのです。もっとも、これをプロレ

ス遊びのように捉えるのであればエンターテインメントとして

成立するのかもしれませんが、正直議論と呼べるのか、私には

疑問です。

(81~82p)

 

日本では主張と人格とが分離されず、容易に人格攻撃へとつな

がります。

(83p)  

  

議論の違いについてもう少し深く考えてみると、フランスでは、

議論のできる人が一人前であり、議論のできない人は未成熟で

ありバカにされるということになると言えるでしょう。

(83p)  

  

 

なぜこのような違いが生じるのか?

  

閉ざされていて自然環境の厳しかった島国の日本と、さまざま

な人種と文明の交差点として、多様性と議論が当たり前だった

ヨーロッパ大陸との違いかもしれません。彼ら(フランス人)

にとって意見の対立は、互いに意見を持つ人間同士として対等

だからこそ、立ちのぼってくる現象として捉えられているので

す。

ちがっていることは当然で、違いがどうあれ、その理由や背景

を議論しながら理解を深めていく社会と、同質なのが当たり前

で、違っているものがあれば排除しようとする力の働く社会。

そのどちらが良いのかは、環境・地理・社会条件により変化し

ます。個人的には、フランスにいたときの方が疲れはするけれ

ど、言いたいことを我慢しなくてよいのは楽だったという印象

があります。どのような考え方をもっていても、どんなスタイ

ル、どんな容姿でいても、「私はこうである」という考えさえ

説明できれば平然としていても誰も文句を言いませんし、許容

されないということは、そう多くはありません。

(86p)

    

   

日本もだんだんフランスタイプの議論を

するようになっていくのではないかと思います。

1997年に「みんな一緒」という時代が終わり、

「それぞれ一人一人」の時代が始まったという

藤原和博さんの説が思い浮かびました。

ここでも道草 「本を読む人だけ」① 「それぞれ一人一人」という時代に変わった(2020年1月7日投稿)

通算7000本目の投稿/「ひきこもり支援 石川清」① 「肝心のものをくれてないんだ」

  

今日は令和2年3月8日。

  

昨日、1月14日の放映の「プロフェッショナル 仕事の流儀 

ひきこもり支援 石川清」を見ました。

今日もまた見ました。

少し聞き書きしました。

ここに書き留めようと思います。

  

  

厚労省の定義によると、「ひきこもり」の定義は、

「半年以上 家族以外と関わりを持たない人」

全国に100万人以上いるのだそうです。

 

番組冒頭、石川清さんがかかわったと思われるひきこもりの人が

石川さんのことをこう言っていました。

Rimg2149  

「師匠ですね、生き方の師匠ですね」

 

生き方を褒められるって、素晴らしいですね。

どんな人なのだろうと思って、番組を見ました。

 

Rimg2150  

聞き書きです。

 

ナレーター:20年で500人を見てきた石川さんが

  痛感していることがある。

石川:親の愛情を感じるっていう感じ方もかなり違ってきていると

  思います。

  自分の部屋を用意してあげた。好きなものを食べさせてあげている。

  「いったい、それで何が不満なんだ」っていうことを

  親は言いたいわけですよね。

  ところが、子どもの側からすると「肝心のものをくれてないんだ」

  っていう。

  ひきこもりの当事者は物質的には豊かなんですけれども、

  生きるためのいろんなスキルとか要領とか、そういったものを

  結局得られなかったようなイメージがすごく強いんですね、僕ね。

  それが成熟してないっていう。

  家の中で親と一緒にいると、基本的に子どもの部分が

  肥大化するっていうのが、僕の意見なんですけれども。

  例えは悪いですけれども、幼虫やさなぎのまま社会に出ることに

  なっちゃったみたいな。

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20年ひきこもりの人と付き合ってきているなんて、

私の身近にはいません。 

そのような人の語っていることなので貴重です。

「子どもの部分が肥大化する」という視点は今まではなかったです。

「肝心なもの」とは何だろう?と思って聞き、

「生きるためのスキルとか要領」は

具体的にどうやってあげるんだろう?

私自身は娘や息子に渡しているのかと疑問に思いました。

  

肝心なものを渡せないと、

子どもがひきこもりになる原因になってしまう。

それはいったいなんだ?

 

解決していないけど、解決する方法はあります。

石川清さんの書いている本があります。

ドキュメント・長期ひきこもりの現場から」(洋泉社)

図書館で調べたら、現在「貸出中」でした。

予約して気長に待って、読んでみようと思います。

  

  

ちょうど7000本。

番組がよかったので、きりのいい今回、

この番組について書こうと思って実行しました。

教育のヒントがたくさん入った番組です。

  

まだつづく  

  

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