「死の淵を見た男」/教訓をいかせず大惨事となった
今日は令和元年10月24日。
前投稿に引き続き、「死の淵を見た男 吉田昌郎と
福島第一原発の500日」(門田隆将著/PHP研究所)より
引用していきます。
この本は、図書館に返します。
手元から離れます。
でも読み直したい文章はたくさんあるので、
ブログに書き留めています。
今回がラスト。
長く引用します。
大津波がもたらしたこの未曾有の原発事故は、
あらゆるものに深い傷跡を残したのである。
私は、取材をつづけながら、この原発事故が
さまざまな面で多くの教訓を後世 に与えたことを
あらためて痛感した。それは、単に原子力の世界だけの
教訓にとどまらず、さまざまな分野に共通する警句であると思う。
そして、現場で奮闘した多くの人々の闘いに敬意を表すると共に、
私は、やはりこれを防ぎ得なかった日本の政治家、官庁、
東京電力……等々の原子力ェネルギーを管理·推進する人々の
「慢心」に思いを致さざるを得なかった。
この事故を防ぐことのできる“最後のチャンス”は、
私は実は「二度」あったと思う。その最大のものは
9・11テロの「2001年9月11日」である。
あらためて言うまでもないが、安全を期して二重、三重に
「防御」を張りめぐらしている原発の敵は、
「自然災害」「テロ」である。
今回の福島第一原発の事故の最大の要因となった、
海面から10メートルという高さに対する過信は、
その中の「自然災害」に対するものだ。
「まさか10メートルを超える津波が押し寄せるわけがない」
その思い込みには、過去千年にわたって福島原発の立つ浜通りを
「そんな大津波が襲ったことがない」という自然に対する
「侮(あなど)り」、言い替えれば「甘え」が根底にある。
しかし、自然災害が過去の災害の「範囲内」に終わるという保証は、
まったくない。それは、人間の勝手な思い込みに過ぎない。
これは、自然に対する人間の驕(おご)りとも言えるだろう。
この驕りに対して、警鐘を鳴らしたのが、実は、
あのオサマ・ビン・ラディンによる9・11テロだったと思う。
ビン・ラディンは自然災害とは関係がない。彼がおこなったものは、
テロである。だが、およそ三千人もの犠牲者を出したこのテロは、
原子力発電に対しても、大きな警鐘を鳴らした。
予想を超えた規模のテロは、原発に対する最も大きな脅威で
あることを人々に知らしめたのである。
アメリカの原子カ関係者の動きは素早かった。
ただちに、テロ対策を強化し、その中で、
「すべての電源を失った場合、原子炉の制御をどうするか」
ということが、以前にも増して議論されることになった。
そして、5年後の2006年、
アメリカのNRC(原子力規制委員会) が対策のための
文書を決定し、それは、日本にも伝えられた。
その中には、全電源喪失下の手動による各種の装置の
操作手段についての準備や、持ち運び可能な
コンプレッサーやバッテリーの配備に至るまで
細かく規定されていた。
テロがもたらすものも、自然災害がもたらすものも、
原発にとっての急所は、「全電源喪失」であり、
「冷却不能」であるという事態に変わりはない。
しかし、わが国の原発では、「全電源喪失」「冷却不能」の
状態がもたらされる可能性を、それでも想定しようとはしなかった。
「日本では、そんなテロが起こるはずがないーー日本に照準を
定めるミサイル配備をおこなっている国を周辺に
抱えているにもかかわらす、根拠のないそんな思い込みが、
ここでも原子力エネルギーを推進、管理する指導者たちに
蔓延していた。だが、その「テロ」に匹敵する、いや、
ある意味ではそれ以上の「災害」が原発を襲ったのである。
非常に辛練で俗っぽい表現だが、私はあえて
"平和ボケ”という言葉を使わせてもらおうと思う。
日本だけは「テロの対象」になり得ない、 あるいは、
日本では原発がミサイル攻撃を受けるはずがない
という幼児的ともいえる楽観思考は、原子力行政にあたる
指導者として、あるいは実際の原子力事業にあたるトップとして
「失格」であると私は思う。
テロ、あるいは紛争が原発にもたらすだろう
「全電源喪失」「冷却不能」という事態を少しでも
考慮に入れていたなら・・・と私は残念でならない。
アメリカと同様、いくばくかの措置に踏み込んでいたら、
「全電源喪失」「冷却不能」に対処する方法が考えられ、
言いかえれば、自然災害においても、これほどの大惨事には
至らなかったということだ。
だが、その最大のチャンスは、失われた。
(368~370p)
教師は、さまざまな教訓を知っていて、
目の前の児童・生徒に伝えるのも仕事であると思います。
9・11テロを実際に見た者として、
福島第一原発の惨事を見た者として、
発信しなくてはいけないと思います。
そのためには、見ただけでなく、見えなかったことも
知る必要があると思います。
今回の本を読んでそう思いました。
福島にいくぞ!
最後に映画の宣伝。この本が原作です。
コメント