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2019年9月 8日 (日)

「健康診断 戦艦大和」その1/大和以前は、狭くて暑かった

 

今日は令和元年9月8日。

  

前記事で予告した通り、8月22日放映の

「偉人たちの健康診断 戦艦大和 男たちの“健康”」

の読み物化をしていきます。

電波ログテキストマイニングの聞き書きを利用して、

箇条書きでまとめていきます。

  

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〇戦艦大和が造られたのは広島県呉市。

 今でも、建造された時のままの骨組みを使った建物が残る。☟

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〇戦艦大和の全長は263m。

〇もし、戦艦大和がここに停泊していたとしたらということで、

 CGで映像化。☟

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〇戦艦大和が就役したのは、昭和16年(1941年)12月。

 その頃の写真。☟

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〇 ☝ 極秘だったため 国民には一切知らされずひっそりと

 行われた試運転。

  

〇戦艦大和の設計者の一人、松本喜太郎は 「最強の戦艦」には

 これまでとは異なる 「新しい設計思想」が必要だと考えた。

 「世界一快適で 乗組員が健康であること」

 それこそが 世界最強を目指した大和が掲げた理想だった。

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〇 ☟ 大和以前の軍艦で撮られた、兵の就寝時の写真。

 天井から 所狭しとハンモックが つるされている。

 軍艦は 基本的に兵器中心の構造で士官を除く

 多くの兵の居住スペースがなかった。

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〇 ☟ 軍艦の問題は 他にもあった。

 軍艦内は とても暑く兵が倒れるほどでした。

 軍艦の動力は ボイラーでした。

 大量の熱を発するボイラーを鉄の箱で囲っているために、

  熱がこもって暑かったのです。

 それに加え 赤道直下など南方地域に赴くことも多かった。

 例えるのならば、オーブンの中で暮らしているようなものでした。

 狭くて 暑くて 十分に眠れない軍艦。

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「世界一快適で 乗組員が健康であること」をめざして、

戦艦大和は設計されました。次の記事に続く。

 

 

 

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