「健康診断 戦艦大和」その1/大和以前は、狭くて暑かった
今日は令和元年9月8日。
前記事で予告した通り、8月22日放映の
「偉人たちの健康診断 戦艦大和 男たちの“健康”」
の読み物化をしていきます。
電波ログテキストマイニングの聞き書きを利用して、
箇条書きでまとめていきます。
〇戦艦大和が造られたのは広島県呉市。
今でも、建造された時のままの骨組みを使った建物が残る。☟
〇戦艦大和の全長は263m。
〇もし、戦艦大和がここに停泊していたとしたらということで、
CGで映像化。☟
〇戦艦大和が就役したのは、昭和16年(1941年)12月。
その頃の写真。☟
〇 ☝ 極秘だったため 国民には一切知らされずひっそりと
行われた試運転。
〇戦艦大和の設計者の一人、松本喜太郎は 「最強の戦艦」には
これまでとは異なる 「新しい設計思想」が必要だと考えた。
「世界一快適で 乗組員が健康であること」
それこそが 世界最強を目指した大和が掲げた理想だった。
〇 ☟ 大和以前の軍艦で撮られた、兵の就寝時の写真。
天井から 所狭しとハンモックが つるされている。
軍艦は 基本的に兵器中心の構造で士官を除く
多くの兵の居住スペースがなかった。
〇 ☟ 軍艦の問題は 他にもあった。
軍艦内は とても暑く兵が倒れるほどでした。
軍艦の動力は ボイラーでした。
大量の熱を発するボイラーを鉄の箱で囲っているために、
熱がこもって暑かったのです。
それに加え 赤道直下など南方地域に赴くことも多かった。
例えるのならば、オーブンの中で暮らしているようなものでした。
狭くて 暑くて 十分に眠れない軍艦。
「世界一快適で 乗組員が健康であること」をめざして、
戦艦大和は設計されました。次の記事に続く。
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