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2019年9月27日

2019年9月27日 (金)

「広野の旅人たち」その4/再び121年前の大水害 鴇田幹さんの挿絵

  

今日は令和元年9月27日。

  

前投稿に引き続き、

本「広野の旅人たち ~新十津川物語2~

(川村たかし著/偕成社)より引用します。

  

「広野の旅人たち」のラストは、

小説「石狩平野」(船山馨著/河出書房)と同じく、

明治31年9月の大水害でした。

※参考:ここでも道草 「石狩平野」を楽しむ7/121年前の大水害(2019年9月6日投稿)

  

上流から小屋がながれてきた。

と、泣きさけぶ声がきこえた。

よく見ると屋根の上に二、三人のすがたが見えた。

子どももいるらしい。

しかし、助けにいくどころではない。

雨はやんできたが、水はふえつづけている。

「あかんの。もうおしまいやの。

こんなことならいっそう十津川で死んどけばよかった。

水からにげてきたのに、また水に殺されるやんかのう。」

お楽(らく)が泣きながらわめいた。

(232p) 

 

121年前の大水害は、開拓の歴史には欠かすことができない

出来事だったのです。

これからも、北海道の開拓の勉強をしていたら、

その度に復習し、理解を深めていくことになるでしょう。

  

 

この本からも、挿絵の写真を載せます。

Epson105 149p

主人公の津田フキと中崎豊太郎との結婚式の様子。

 

画家の名前は鴇田幹(ときたかん)さん。

鴇田さんの絵は懐かしく感じます。

きっと昔からいろいろな本で目にしてきた絵だと思います。

どこで出合ったのだろう?

「広野の旅人たち」その3/開拓民を夜盗虫(ヨトウムシ)が襲った

  

今日は令和元年9月27日。

  

前投稿に引き続き、

本「広野の旅人たち ~新十津川物語2~

(川村たかし著/偕成社)より引用します。

    

小説「石狩平野」(船山馨著/河出書房)では、

北海道開拓農民を蝗(イナゴ)が苦しめるシーンがありました。

ここでも道草 「石狩平野」を楽しむ 4/「蝗」(2019年9月2日投稿)

「広野の旅人たち」では、夜盗虫(ヨトウムシ)でした。

    

夜、あかりを持って畑へ出ると、あたりいちめんに

ザワザワという音がたちこめている。

くらくなるのをまって、虫が食っている音なのだ。

指ほどのふとさの虫は、びっしりと亜麻(あま)の茎に

よじのぼっている。

はたきおとしてふみつけるが、しがみついているので

はなれようとしない。

わらぞうりはすぐ虫のみどりの体液にぬれて、おもくなった。

あんまりきみがわるいので棒やくわを持ちこんでおしつぶした。

けれども、一本の茎に七ひきも八ひきも

ぶらさがっているのだから、なかなかつぎへすすめない。

そのあいだに一本の葉を食いつくした虫たちは、

つぎからつぎへと移動した。

(156p)

去年まで一ぴきも見なかった虫が、吹きこぼれるように

発生したのだ。やっと虫退治をしたのち、

畑にはなにひとつのこっていなかった。

十日ばかりまえにはみどりの波をうっていた畑はくいつくされ、

焼けこげてむごたらしいすがたになってしまった。

全村、亜麻は全滅していた。

(159p)

 

4pに渡って、記述された人間と夜盗虫の闘いは、

数でまさる夜盗虫の圧勝でした。

空から大挙飛来した蝗と同じで、

地から出てきた夜盗虫は開拓民を絶望させます。

開拓をあきらめ、町に出ていく人たちもいました。

   

 

ヨトウムシはヨトウガの幼虫。

22fcbb7ab5ae2cf7b66ccaba9b0b0397480 HORTI by Green Snap

☝ このサイトに次のように書いてありました。

 

1匹当たり1000~3000粒ほどの卵を産むため、

ふ化すると大量発生します。

  

この数は尋常ではないですね。

 

つづく

「広野の旅人たち」その2/兵村で(米づくりを)はじめた者 藤田貞元かな?

 

今日は令和元年9月27日。

  

前投稿に引き続き、

本「広野の旅人たち ~新十津川物語2~

(川村たかし著/偕成社)より引用します。

  

 

明治29年の話。

北海道の開拓者の関心の一つは米作りでした。

  

(前略)米づくりの話になった。

「この分じゃ、どぶろくでもつくらんことには、

菊次さんとこの酒倉がからになるぞ。」

と、中辰一がいいだしたからである。

どぶろくをつくるには米がいる。

いったい米はほんとうにつくれないものだろうか。

「米はとれるとも。兵村(へいそん=屯田兵の村)では、

五、六年まえからはじめた者がいて、去年もとれたとよ」

正道がよくひびく声でいった。

(145p)

  

ここで話題になっている「兵村で(米づくりを)はじめた者」

というのは、以前記事に書いた人のことでしょうか。

※参考:ここでも道草 北海道開拓と「お米」その3 屯田兵(夫)もやった米づくり(2019年8月22日投稿)

屯田兵の藤田貞元(ていげん)のことです。

Rimg2082BS1スペシャル 北海道開拓 ~困難の果てに~」より

    

藤田貞元がいつお米を試作したのかは、

その時の番組では紹介されていませんでした。

調べてみました。

屯田兵と北海道の開拓

☝ このサイトによると、藤田貞元は明治26年に入植して、

お米の試作をしたようです。

若干、年数がずれるけど、まあいいか。

「藤田貞元」についてたぐれたことがよかったです。

  

  

どぶろくって飲んだことありますか?

Sake_sendoburoku600 Yahoo!ショッピング

昔、飲んだと思ったけどなあ。

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