「タイムスクープハンター 改暦大騒動」を読み物化
今日は令和元年8月25日。
2015年1月1日放映の
「タイムスクープハンター お正月パニック 改暦大騒動」を
見ました。見ることになったきっかけは、ここに書きました。☟
※ここでも道草 日本は明治5年から(2019年8月23日投稿)
「タイムスクープハンター」の主人公
沢嶋雄一が、タイムワープで偶然訪れたのは、
明治6年1月1日でした。
おそらく2回目の視聴です。
うっすらとしか覚えていなかったので、
今回は一部読み物化しておこうと思います。
明治6年1月1日は、特別な日でした。
☝ 明治政府は、明治5年11月9日に、来る12月3日より、
それまでの太陰暦から太陽暦を採用して、
12月3日を明治6年1月1日とするという布告を出しました。
(布告=明治19年(1886)以前に発布された法律、勅命、省令に
あたるものの称 引用:デジタル大辞泉)
布告から3週間で新暦で、新しい年を迎えるとあって、
人々はおおいに戸惑ったそうです。
当時は「暦」という冊子を庶民が買い求めていたそうです。
☝ 「暦」の原本は国が編纂し、許可された業者だけが印刷・販売できました。
明治6年の旧暦の「暦」も、明治5年11月9日の布告までには作られていました。
それなのに、明治5年12月3日を、明治6年1月1日にするという
布告が出てしまったために、印刷された「暦」は無駄になってしまいました。
大損害を被ったそうです。☟
明治政府が、西洋化をがむしゃらに急いでいた証拠です。
明治政府は、改暦を布告しましたが、詳しい説明をしませんでした。
そのことを心憂く思った福沢諭吉は、
太陽暦の解説書「改暦弁」を急きょ書いて販売しました。☟
「改暦弁」はわかりやすく書かれていて人気となり、
ベストセラーになったそうです。
現在では当たり前の太陽暦。
太陰暦が太陽暦に変わると、どのようなことが困るのか?
想像つきますか?
太陰暦は月の満ち欠けに基づいた暦。☟
当時の人たちは、月の満ち欠けをとても大事にしていたようです。
「改暦による混乱」を見てください。☟
この混乱はなかなか現代の人には理解しにくい。
「真っ暗のなかで祭りをやれというのか」という
文句を言っていた人がいました。
当時は、満月の日に、満月の明かりの下でお祭りが行われるのが
当たり前だったのです。(夜、行われるお祭りの場合)
「みそか」とは「月の最終日」「月の30番目の日」のことで、
旧暦の場合は、月が出ない(月が見られない)日であるのが、
当たり前だったのです。
月の満ち欠けで、潮の満ちひきを見ていた漁師にとっては、
「暦」で見当をつけるのが当たり前だったのです。
さらに改暦にともなって明治政府は、
「暦」から「暦注」を排除しようとしました。☟
近代化を急ぐ明治政府は、科学的根拠のない迷信の類いを、
排除しようとしたのです。
実際、後に発行された新暦の「暦」には暦注がありませんでした。
しかし、庶民パワーです。☟
暦注を記した違法な「暦」が発行されていたそうです。
発行者不明であることから「おばけ暦」と呼ばれたそうです。
今でもこういう表紙の「暦」、
売ってますよね。☟
おそらく、暦注が書いてあると思います。
(予想です)
ちゃんと生きのびています。
以上です。
いつか、この「タイムスクープハンター
お正月パニック 改暦大騒動」を教材として使う時に、
少しは役立つかと思って、記事にしました。
これにて読み物化完了。
この番組、また始まらないかなあ。
コメント