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2019年8月24日 (土)

落花生の”豆”知識 落花生といったら千葉県

  

今日は令和元年8月24日。

  

前投稿に続いて落花生のお話。

  

床屋で、落花生の話題をしたら、ご主人から

「落花生と言ったら千葉県ですよ」と言われました。

そうだったけ?

社会科教師なのにピンと来ませんでした。

帰宅して奥さんに話したら、

「そりゃあ、落花生と言ったら千葉県」と言われました。

そうかあ。

ピンとこなかった私は、具体的にどうなのか調べました。

 

このサイトがいいです。☟

千葉県HP 落花生/旬鮮図鑑

  

引用します。

  

国内での落花生作付面積は、ピークであった昭和40年には

66,500ヘクタールありましたが、輸入などの影響で徐々に減少し、

平成29年には6,420ヘクタールとなりました。

現在、国内の落花生流通量は、全体の9割が外国産で、

国内産は約1割程度となっています。

国内産の約8割が千葉県で生産されています。

  

確かに千葉県は、日本国内では圧倒的に

生産量が多い都道府県でした。

さらにこのサイトによると、

沖縄では古くから落花生は栽培されていましたが、

日本(本州)で栽培が始まったのは明治時代からです。

(やっぱり明治と思いました、食革命が起きた時代ですね)

千葉県でも明治9年に初めて栽培されたそうです。

千葉県では明治・大正・昭和と落花生の栽培が継続されて、

特に昭和になって品種改良が積極的に行われました。

以下引用します。

  

昭和16年に戦時体制に入ると、

八街市の一部を除き、落花生栽培は禁止されました。

戦後、昭和21年から再び栽培が始まり、

特に栄養価の高い落花生は食品としての価値が急に高まり、

売れ行きが伸びました。

しかし、需要量を供給できなかったため、価格が暴騰し、

昭和23~24年頃に60キログラム当たり

20,000円以上になったため、八街市を中心とした

印旛郡台地での栽培が急激に増加し、

昭和27年には10,000ヘクタールを超え、

戦前の旭市に代わって、八街市が落花生の集散地として

多くの商人が誕生しました。

昭和27年には千葉県農業試験場において、

優良品種「千葉半立」が育成されます。

この「千葉半立」は栽培が比較的容易なこと、

収量が高く安定していることなどから、印旛郡だけでなく、

香取・山武・長生・君津等、千葉県の全県下にわたって

栽培されるようになりました。

また、県及び生産者の一体的な取り組みにより、

昭和36年度の作付面積は26,400ヘクタール、

生産量は61,000トンに達し、

畑作物の中で重要な位置を占めるようになりました。

その後、昭和40年頃を境に、高度経済成長期に入り、

他産業並みの農業所得が求められ、

落花生から野菜類への作付転換、農地の改廃等により、

作付面積は大幅に減少し、

昭和62年には11,500ヘクタールとなりました。

 

千葉県が他を圧倒したのは、戦後ですが、

それまでに落花生生産の礎はできていたようです。

  

このサイトのおかげで、「落花生といったら千葉県」のことが

具体的にわかってきました。

ただ「八街市」が読めませんでした。

やちまたし」と読むのですね。

Photo 八街市落花生site

前記事を書いた時に、「落花生の”豆”知識」という

タイトルが浮かんで、やったあと思いましたが、

本家では、とっくに使っていました。☝

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