1910年不二家開業/なぜショートケーキ?その3
今日は令和元年5月5日。
前投稿に引き続き、2019年3月5日放映の
「この差って何ですか? なぜショートケーキ?他」より。
不二家では、当初はホールケーキのものをショートケーキと
呼んだので、今でも下のようなイチゴとクリームを使った
ホールケーキを、ショートケーキと呼んでいるのだそうです。
そうなんですね。
これは一度、不二家に出向いて、
自分の目で確かめてきたことです。
時代は昭和。
藤井林右衛門は、ケーキの上に載る果物を
イチゴのみにしました。
そして今の形にして販売。
それがとてもおいしいと評判になり、
全国の洋菓子店でもイチゴのショートケーキを作るようになり、
日本では、イチゴを使ったこのようなケーキを、
「ショートケーキ」というようになったわけです。
以上です。
不二家と言えば、私は「ミルキー」が浮かびます。
子どもの時にも食べましたが、
大人になっても、疲れた時にあの甘さは実においしい。
山登りをする時にも、よく持っていき、
しゃぶりながら登っています。
ミルキーはいつから販売されているか興味をもちました。
調べました。
販売開始は1951年でした。
私が生まれる10年前。生まれた時にはあったのです。
一部引用します。
1951年の発売以来、ロングセラーを続ける「ミルキー」は、
初代社長・林右衛門の青年のような夢から始まりました。
戦災で焼け残ったボイラーただ1基を手掛かりに、
彼は戦後いち早く、沼津工場を再建。
まもなく水アメと練乳の製造が開始されました。
水アメと練乳、二つの製菓材料を手にした林右衛門は、
これを結び付けようと思い付くのです。
以来、彼は自宅に程近い鶴見工場に暇さえあればこもり、
試作と吟味を繰り返します。昭和24~25年頃のことでした。
新製品が幼児を対象とし「ママの味」を
キャッチフレーズとする構想は、このころすでに固まっていました。
だから新製品は、母親の愛情を表すようなやわらかい味、
母乳のなつかしさを感じさせるようなお菓子でなければ。
丸2年の間、何10種、何100種の試作品が検討されたといいます。
ようやく完成したのは、昭和26年。
(中略)
開発段階では「ジョッキー」と名付けられていましたが、
「牛乳そのままの味を生かした」というイメージから、
「ミルキー」という名で発売されました。
↑ このサイトに載っている初代ミルキーの
ペコちゃんの目は怖いです。
今晩書き留めたショートケーキのこと、ミルキーのこと、
授業でどう生かせるかな?
アウトプットを考えたいですね。
おやすみなさい。
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