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2018年2月 4日 (日)

「驚きももの木20世紀」その2/母は強かった

 

今日は2月4日。

  

前投稿に引き続き、

1993年10月29日放映の

驚きももの木20世紀 チャレンジャー爆発」をここに書き留めます。

  

1978年スペースシャトル計画のスタート。

宇宙飛行士を募集。

一般の人から初めて集められた。

募集したのは8000人!

その中から選ばれたのが35人。

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チャレンジャー号に乗っていた7人も、その中のメンバー。

ではエリスン・オニヅカはどこで生まれ、

なぜ宇宙飛行士を志したのか?

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生まれはアメリカのハワイ島コナ。

1946年生まれ。

ゲストの中村浩美さんが、「同じ年生まれ」と言っていました。

したがって、現在生きていたら71歳。

  

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両親は日系2世。中央がエリスンさんを思われる。

  

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オニヅカ家は、コーヒーを栽培しながら、

小さな雑貨店を経営してました。

  

オニヅカさんが9歳の頃、実験を行いました。

家の床下で、花火を使ってロケット実験を行いました。

床からはもうもうと煙。

しかし、母親は頭ごなしに怒ることなく、

訳を聞いてくれる母親だったと、

エリスンさんの姉や弟が証言しています。

Rimg1773

  

宇宙へのあこがれがうかがわれるエピソードですが、

エリスンさんのあこがれを決定づける出来事が続きます。Rimg1775  

1961年4月12日。私が生まれた3日後。

Rimg1776  

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ガガーリンは言いました。

「地球は青かった」

  

番組からは一時離れますが、この有名な言葉の続きがあることを

最近知りました。

「ここに神は見当たらない」です。

日本では「地球は青かった」が有名ですが、

世界では「ここに神は見当たらない」の方が有名なのだそうです。

※参考:Wikipedia ガガーリン

  

番組の内容に戻ります。

同じく1961年5月5日。

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アメリカ、ケネディ大統領の演説。

 

1960年代の終わる前に、

アメリカは人類を月に着陸させ、

安全に地球に帰還させるという

目標を達成するであろう。

  

この言葉が、エリスンさんの心に火をつけました。

1964年。エリスンさんはハワイから出て、コロラド大学に入学。

宇宙工学を学ぶためでした。

  

しかし、卒業を控えたエリスンさんのもとに、

悲報が届きます。

1968年2月20日。

父親マサミツさんが亡くなったのです。

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エリスンさんは悲しみに暮れ、そして悩みます。

年老いた母親をほっておいて、そのまま勉強をしていていいものか。

  

オニヅカ家のことをよく知るノーマン・サカタさんの証言。

 

オニヅカは大学をやめて、

ハワイに戻る決心をしていたようです。

でもあの時、お母さんは、オニヅカにこう言ったのです。

「小さな雑貨店のひとつぐらい、母さん一人でやっていけるよ。

余計なことを考えずに、好きな勉強を続けなさい」って。

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次にナレーターの森本レオさんの語り。

 

母は強かった。

母の言葉を胸に、オニヅカは再び夢に向かって羽根を広げた。

この母がいたから、ハワイ初の、そして日系人初の

宇宙飛行士が生まれた。 

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ここが感動のシーンでした。

自分一人では、夢は成し遂げられない。

誰かの力を借りながら、自分が努力して成し遂げられるもの。

言い古されていることかもしれませんが、

実際の典型例をここで知ることができました。

  

エリスンさんは、ディスカバリー号に搭乗しました。

チャレンジャー号は2回目の搭乗でした。

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宇宙で箸を最初に使った人物でもあります。

 

  

つづく。

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