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2018年2月 4日 (日)

「驚きももの木20世紀」その3/442連隊の精神

  

今日は2月4日。

 

前投稿に引き続き、

1993年10月29日放映の

驚きももの木20世紀 チャレンジャー爆発」をここに書き留めます。

   

宇宙飛行士は、宇宙に行くときに持参するものがあります。

どれだけでも持参できるわけではなく、

限られた量だけでした。

したがって、何を持参するかで、宇宙飛行士の思いが表れます。

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ディスカバリー号搭乗の際に、

エリスン・オニヅカさんは3つのワッペ持参しました。

その中の、このワッペンにまつわるお話を、書き留めます。

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ディスカバリー号搭乗後、彼はハワイに凱旋帰郷。

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偉業を成し遂げたお祝いのパーティーが行われました。

そこには母の姿もありました。

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夢だった宇宙に行くことができたエリスンさん。

その喜びは、エリスンさんだけでの喜びではなく、

エリスンさんのことをアメリカ中の日系人が、

まるで自分の息子のように祝いました。

 

なぜか?

  

ハワイの農園には、日本人の血と涙がしみ込んでいます。

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ハワイに日本の移民が移り住んだのは、135年ほど前だそうです。

(番組では110年ほど前と言っていました)

そのほとんどが、サトウキビ畑やパイナップル畑の労働者でした。

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日系人たちは団結し、

お互いに助け合わないと生きていけませんでした。

やがて苦労は実を結び、ほとんどの人たちが、

自分の土地を持てるようになりました。

1941年。

突然に日本軍がハワイを攻撃しました。

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太平洋戦争の勃発です。

  

祖国日本とアメリカとの戦い。

日系人は苦難の時代を迎えました。

強制収容所に入れられた人も多かったそうです。

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日系人への迫害の嵐が、自由の国アメリカで吹き荒れました。

  

この時に立ち上がった日系人がいました。

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なぜ日系人だけ差別を受けるのか。

彼らは、アメリカ軍として戦うことで、

日系人としての誇りを保とうとしました。

そんな日系人の部隊が442連隊です。

442連隊は、ヨーロッパ戦線で、命を惜しまぬ戦いっぷりで

活躍をしました。

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442連隊が、アメリカ軍部隊の中でも、

最も勲章を得た部隊として記録されています。

ただその勲章の陰には、おびただしい犠牲がありました。

部隊の半数以上の者が負傷あるいは戦死しました。

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↑これがエリスンさんが宇宙に持参したワッペンのマーク。

442連隊のマークでした。

442連隊のことを今も日系人は忘れていません。

そしてエリスンさんも。

  

エリスンさんも、お祝いの会のスピーチで言っています。

 

もう一度宇宙に行けるとすれば、

442連隊や100大隊の日系人がしたのと同じように、

私も合衆国に忠誠を誓います。

  

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戦後生まれのエリスンさんに、

442連隊のことをいつも語っていたのは、

母親でした。

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日系人の人たちにとって、442連隊の人たちの精神は、

心の中に植えつけられているものなのでしょう。

きっとそれは私たちの予想を上回っていると思います。

 

ただ、この番組から25年。

エリスンさんの世代は引退して、今は次の、

あるいはその次の世代が中心です。

442連隊の精神は、今も日系人に受け継がれているのでしょうか。  

古い番組を書き留めていると、今はどうなんだろうと思います。

  

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