『ひとつ拾えば、ひとつだけきれいになる』がわかる年齢
今日は9月18日。
台風は去りました。
静かな朝です。
16日の晩は、大学時代の仲間と飲みました。
会場は浜松市。
同じメンバーで年に2回飲んでいます。
その2回は、豊橋市と浜松市が会場なので「豊浜会」
見かけは少々老けたけど、中身(気持ち)は大学生のままだと
話していると感じます。人間、そうは変わらない。
メンバーの一人、ハマコウさんのブログは、
膨大な本の紹介がされています。
心に留まった文章の一つを引用します。
引用元:いま ここ 浜松/「ひとつ拾えばひとつだけきれいになる」 鍵山秀三郎・亀井民治 PHP研究所 2006年 ④(最終)
出版社の案内には、
「『ひとつ拾えば、ひとつだけきれいになる』私の信念を込めた言葉です。
ゴミを拾っていて感じることは、ゴミを捨てる人は捨てる一方。
まず、拾うことはしないということです。
反対に、拾う人は無神経に捨てることもしません。
この差は年月がたてばたつほど大きな差となって表れてきます。
人生はすべてこうしたことの積み重ねですから、
ゴミひとつといえども小さなことではありません。
第一、足元のゴミひとつ拾えぬほどの人間に何ができましょうか。
ともすると人間は、平凡なことはバカにしたり、軽くあしらいがちです。
難しくて特別なことをしなければ、成果が上がらないように思い込んでいる人が多くいます。
そんなことは決してありません。
世の中のことは、平凡の積み重ねが非凡を招くようになっています。
- トイレや街頭などの徹底した掃除を40年以上続け、
多くの人々の心を揺さぶってきた著者の言葉を満載。
人生を磨くヒントにあふれた一冊である。」
とあります。
特に「世の中のことは、平凡の積み重ねが非凡を招くようになっています。」が
いいですね。最近特に思います。
ブログのサブタイトルにしている「 結果自然成(けっかじねんになる)」も
そんな気持ちを言っています。
↓このブログに次のように書いてありました。
※Inquiry (インクワイアリー)鍵山秀三郎『ひとつ拾えばひとつだけきれいになる。』
この意味を理解することが出来るのは、『一周回った人』だけだ。
つまり、まだ一周も回って無い人は、この事実をこのように考える。
『へっ、何がひとつだけだよ。意味がねえだろそんなことやったってさあ。
それよりも俺は、でかいことをするんだ。ボーイズビーなんとかって言うじゃねえか。
ちっぽけな人生にしてたまるか。俺は大物になるんだ!』
しかし、そんな彼もいずれ理解することになる。
この人生の間で、とても実現させることが出来ない、
大きな大きな使命があるということ、
そして、自分一人で生み出せるエネルギーが、極めて矮小であるということを。
人間が踏み出せる一歩など、たかが一歩だ。だが、されど一歩だ。
シラーはこう言い、
『単純なことを完璧にやり続ける忍耐力の持ち主だけが、偉大なことを成し遂げる。』
イチローは言った。
自分がこの有限の人生の中で出来ることなど、最初から限られている。
しかし、『それがどうした』と言わんばかりに確かな一歩を踏み続ける人間の目は、
まるで、無限の可能性を秘めているかのように、エネルギーに満ち溢れている。
なるほど、「一周回った人」がわかる言葉なのですね。
最近、この種の言葉が心に染み入るようになったのは、
それだけ人生経験をしたからなのでしょう。
今日も一つ一つ為す。
そうすれば「自然結果成」
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