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2016年1月31日 (日)

シリーズ真田丸7.「ふざけて書いているわけではない」「目線を下げる」

 

今日は1月31日。

  

今晩は大河ドラマ「真田丸」の第4話を見ました。

織田信長、明智光秀、徳川家康など有名武将が出てきました。

子どもたちにもあらかじめ紹介しておきました。

はたして見たかなあ?

完成した人物相関図を使って、

空いた時間には「真田丸」の話をしています。

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「主人公の名前が真田信繁」

「お兄さんが信幸で、お姉さんが松。

 お父さんは昌幸だよ」

まずは家族構成を覚えさせています。

  

  

「NHK大河ドラマ・ストーリー 真田丸 前編」(NHK出版)からの引用。

今回は、脚本を書いている三谷幸喜さんのインタビュー記事からです。

  

(真田)信繁は、人生の大半が明らかになっていない。

それも(脚本を)書きたいと思った理由の一つです。

分からないところを想像で埋めていける楽しさ。

とはいえ、突拍子もないことを書くつもりはありません。

「新選組!」のときも、荒唐無稽だというご批判を受けました。

僕自身はそんなふうには思っていなかったし、実際、

できるだけ史実に近い形で描き、記録が残っていない部分だけ、

想像力を膨らませたつもりでした。

ところが、僕自身が世間に持たれているイメージが、

邪魔をするんですね。

僕が書くものはすべてふざけていると思われがち。

確かにふだんは喜劇専門ですが、

あれだって別にふざけて書いているわけではないのですが。132p)

  

「ふざけて書いているわけではない」が印象に残りました。

この点を、他のインタビューでは、もう少し語っていました。

 

参考:マイナビニュース

引用します。

 

僕が書く以上、もしかしたら通常の大河ドラマより

ユーモラスなシーンは多いかもしれませんが、

コメディーにしようとか、笑わせようというつもりは全然ありません。

僕にとってのユーモアとは「人」を描くことにほかならないんです。

年表はあくまで歴史を俯瞰で見たものであって、

そこには「笑い」も「人物」もいません。

そこから目線をどんどん下げていくと、

それぞれの登場人物たちの顔や言葉、息づかいが見えてくる。

僕にとってのユーモアは、彼らをひとりの人間として描いた結果にすぎないんです。

  

わかった気がします。

目線を下げて、登場人物の中に入って脚本を書いている感覚になると、

いろいろな喜怒哀楽が思い浮かんでくるのではないでしょうか。

そりゃあ、きっと愉快なこともあったはずです。

「目線を下げる」はキーワードのように思えます。

ー記事には、もう一か所「目線を下げる」が出てきます。

その文章の引用はまた後日。

  

  

今晩の「真田丸」で、本能寺の変までやってしまいました。

明日は本能寺の変の話を子どもたちの前でしよう。

  

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